彼氏に内緒で他の男と会っていた女。恋人に怪しまれ、咄嗟に出た言い訳とは
「好きになった人と結婚して家族になる」
それが幸せの形だと思っていた。
でも、好きになった相手に結婚願望がなかったら…。
「今が楽しいから」という理由でとりあえず付き合うか、それとも将来を見据えて断るか…。
恋愛のゴールは、結婚だけですか?
そんな問いを持ちながら恋愛に奮闘する、末永結子・32歳の物語。
◆これまでのあらすじ
順調に社内恋愛を楽しむ結子と日向。ある週末、1泊2日で軽井沢に出かける。祖父母の別荘があるとのことだったが、豪華な建築と内装に、結子は日向の正体について疑問を抱き始め…。
Vol.7 予期せぬ訪問者
「で、日向くんと1泊2日で軽井沢に行って、どうだったの?」
13時を少し回った頃。
結子は同僚の楓に誘われ、『希須林 青山店』にランチを食べにやってきた。
楓は、ランチメニューよりも結子の軽井沢での話に興味津々だ。
オーダーするや否や、結子と日向の話を尋ねる。
結子と楓は同期入社で付き合いは長い。だが、なんとなく一線を引いた付き合いをしてきた。
彼がいるか、いないか。それはどんな人なのか、といったことは、一応知らせ合ってきたけれど、それ以上踏み込んだプライベートの話はこれまで暗黙の了解で避けてきた。
それが友人である以前に、仕事仲間でもある楓と結子の距離感だった。
しかし、先日、楓の不倫現場を目撃してから、その距離が明らかに縮まった。
「日向くんの祖父母が所有している別荘に連れて行ってもらったんだけど、とても素敵でびっくりしちゃった」
「それで?」
楓が、ニヤニヤしながら聞いてくる。
「一緒にいると楽しいの。彼、優しいし、私の話を聞いて返す意見も的確。美味しいものを一緒に美味しいって共有する時間は癒やしだし、正直いい感じだよ。
最初は遊びかな?って思ったけど、そんなこともなさそう。だけど…」
「何かあるの?」
「彼は、年下なうえに結婚願望がないから、本気にならないようにしてるよ」
楓は小鉢のサラダを食べながら、「確かに…」とうなずいた。
「まだ彼28歳だし。30歳過ぎたら気が変わるかもしれないよ」
楓の言葉に、結子は、食べる手を止め小さくため息をついた。
「でも、日向くんが、30歳過ぎて結婚する気になったとしても、その頃私はいくつだと思う?
彼が33歳なら私は37歳。彼が35歳なら私は39歳!」
日向のことを知れば知るほど、結子は冷静にならなくてはと自分の気持ちにブレーキがかかる。
「そっかぁ。30過ぎて、優しくて、家柄の良い彼ができた。最近、稀に見るいい話だと思ったけど。なかなかうまくいかないね」
「そういうもんよ。ところで、楓こそ彼とは相変わらず?」
今度は結子が聞くと、不意打ちを食らったように、楓から笑顔が消えた。
楓は、「うん」と短く答えた。
「この間、バレたら会社を辞める覚悟はある、とか言ったけど、結子たちに見られたことで、自分のこれからを見つめ直そうっていう気になったよ。
すぐには別れられないけど。心の中に、いつでも別れられる準備をしておく必要があるって思った」
楓の口調に、迷いはなかった。
「なんでそういう風に思ったの?」
「彼に聞いたの。今は子どもが小さくて別れられないって言ったけど、じゃあ、いつだったら別れられるの?って」
楓の目は笑っていなかったが、すぐにハッと我に返り、「こんなこと言う女、重いよね?」と苦笑いした。
「子どもが二十歳になるまでとか、そういう約束さえあれば、私はいつまでだって待っていられるのに、って言ったら、彼、困ってた。
結局、先が見えないのよね、私の恋愛って」
――将来の約束さえあれば――
そのフレーズが、結子の心に刺さる。
「わかる、今が幸せであればあるほど、この幸せが長く続けばいいのにって欲張っちゃうんだよね。
本当は将来なんて誰にもわからないのに、未来の約束が欲しくなる…」
「そうはいっても、私たち、油淋鶏とお粥を美味しく完食できてるから、たいした悩みじゃない!」
そりゃそうだ、と2人で笑い合っていると、テーブルに伏せた結子のスマホがブルっと震えた。
「あ、会社からだ。もしもし?」
電話は受付からの内線を取った高坂からだった。
「来客?アポなしの?」
高坂いわく、田中という男性がアポなしだけど、と断った上で、結子を訪ねてきたという。
「以前プロジェクトでお世話になり、近くを通りかかったのでご挨拶だけ、とおっしゃってますが、どうします?
ランチに出ていますと言ったら、一瞬ご挨拶したいので1Fで待っていてもいいですか?と」
田中という名前の心当たりは、何人かいる。
会社の名前聞いてくれればいいのにと思ったが、応対したのが高坂なのだから仕方がない。
「10分くらいで戻るから」
高坂に伝えると、結子は通話を切った。
「ごめん、アポなしの来客みたい」
「オッケー、戻ろうか」
会計を済ませ、楓と足早に会社までの道を歩く。
「日向くんと次のデートはいつ?」
「特に約束してないんだけど、今日も時間が合えば夕飯食べて帰ろうって」
こんな曖昧な口約束でも、きっと日向は守ろうと努力をしてくれるし、もし無理でも連絡はくれるはずだ。
コンビニに寄っていくという楓と途中で別れ、結子はオフィスのビルに着いた。
1Fのロビーを見渡すと、奥の窓際に1人の男性が立っていた。その背格好、立ち姿に、結子は確かに見覚えがあった。
― まさか…ね。
だが、結子の一抹の不安は、すぐに現実となった。
「久しぶり」
振り向いたその男の顔を見た瞬間、結子は青ざめた。
目の前にいるのは、3年前、北海道に転勤になった後、結子から一方的に別れを告げたかつての恋人、中田翔平。
高坂のことだから、中田と田中を取り違えたのだろう、と結子は悟る。
「ごめんね、突然。ちょっと話せるかな」
結子は、言葉を発することなく、無意識に1歩、2歩と後ろに下がっていた。しかし、後ろからガヤガヤと人が入ってくる気配から、ここは会社なのだと我に返った。
「ごめんなさい…。ちょっとびっくりしちゃって。
これから会議で時間が取れないので、仕事終わりでよければ、近くのカフェで」
すると、翔平は嬉しそうに「じゃあ、19時に『ロータス』で」と言って、聞き分けよく立ち去っていった。
エントランスから翔平の後ろ姿が見えなくなった途端、結子は脱力した。とにかく気持ちを静めようと、その場にあった椅子に座る。
― いきなりなんの用事?
誰に連絡するつもりもなく、スマホを手にしたが、その手は微かに震えていた。
「ごめん、急な打ち合わせが入ってしまって、今日は無理かも」
約束を思い出し、日向にLINEを入れる。
「やることは山のようにあるから、仕事して待ってるよ」
すぐに日向から返信が来た。
翔平からはなんの用事なのかは知らされていないが、突然連絡もなく会社に押しかけてきて、いい話ではないことは容易に想像がついた。
「ごめん、今日は本当に時間が読めないから」
日向にこんな返答しかできないことに心が痛んだが、「また今度」という短い返信を見て、結子は少しほっとした。
◆
19時にロータスに行くと、地階のテーブル席で翔平がビールを飲みながら待っていた。
「お疲れ。久しぶりだな」
以前となんら変わらぬ様子だ。
「久しぶり。びっくりしちゃった。何か私に用事でも?」
結子は恐る恐る尋ねた。
「来月から、ようやく東京に戻って来れることになったんだ」
翔平は、嬉しそうに報告する。
「そう…」
浮かない顔で短く答えると、翔平はいきなり姿勢を正し、結子を見た。
「付き合ってた頃は、申し訳なかった。僕は、自分の都合ばかりを優先し、結子の気持ちなんて考えたこともなかった」
― えっ?
驚きのあまり結子は言葉を発せずにいた。
「誰も知っている人のいない北海道に転勤して、恥ずかしいことに、最初の1年は仕事も人間関係もうまくいかなかった。
ただ、俺の悪いところを歯に衣着せず指摘してくれる上司や先輩に恵まれた。仕事を続けているうちに、反省したんだ。これまでの自分の行動や、人への接し方を」
「それは…ラッキーだったね」
確かに、今、結子の目の前にいるのは、以前の人を見下すような高圧的な彼ではなかった。
「否定しないってことは、やっぱり結子も俺のことひどいやつだと思ってたんだね」
翔平は肩を落とす。
「向こうでは学歴とか、東京から来たからとか、全く意味がなくてさ。そんな環境で必死に仕事をしていたら、なんだか今までの自分って何?って思うようになって…」
「やだ。“今さら感”はあるけど、気づいてよかったね!」
結子はあえて翔平を試すような言葉を発した。
こんなこと言ったら、かつての翔平なら怒り狂っている。しかし、彼は「だよなー」と笑って同意した。
「前みたいにヨリを戻したいなんてとても言えないけど、連絡を取り合える関係くらいにはなれないかな」
結子は黙っていた。
「北海道にいるあいだの3年、誰とも付き合ってなかったとは言わないけど、東京戻れることが決まった時、真っ先に報告したいと思ったのは、やっぱり結子なんだよな」
3年前、いい別れ方はできなかったが、結子にも彼に夢中になっていた時期があったのは確かだった。
「LINEも電話番号も変わってたから連絡とっていいものか迷ったけど、大学のゼミの奴らに聞いたら、いまだに誰とも付き合っていないはずって言うから…」
「あの…思い出してくれてありがとう。でもごめんなさい…今はお付き合いしている人がいるの。
実は、この後も約束があって。今日は失礼するね」
結子は、予想だにしない展開にどうしていいのかわからず、上着を手に立ち上がった。
そして、翔平を振り返ることなく、店を後にした。
内心、心臓が飛び出そうなほど、鼓動が速くなっていた。
― び、びっくりしたー!別人じゃない?
小走りに通りまで出て、流れてきた空車のタクシーを止めた。
シートに身を預け、流れる景色を眺めながら思った。
翔平の言葉を信じていいのかは、わからない。ただ、彼のことを考えているうちに、就職したばかりで、彼と付き合い出した頃の自分を思い出した。
― あの頃の私、優柔不断で、翔平をイライラさせる要素しかなかったのかも。彼があんなに高圧的たったのは、私のせいでもあるのかな…。
翔平とやり直すつもりはないが、心のわだかまりが解消されたような気がした。
「このあたりで大丈夫です」
なんとなく外の冷たい空気を吸いたくて、自宅の100メートルほど手前で車を降りた。深呼吸しながらブラブラと歩き、自宅のマンションに向かう。
そして、結子は、エントランスに背の高い人影を捉えた。
「日向くん…」
結子に気づき、日向が振り向いた。
「なんか気になっちゃって。結子さん、用事がある時はだいたい誰と会うかちゃんと言ってくれるのに、今日はそれがなかったから…」
「ごめん!大学時代の先輩が急に東京に戻ってきて、会ってたの!」
結子は咄嗟に誤魔化した。
― 家の前で待ってるなんて、ちょっと可愛い…。
約束のない夜、家の前でひたすら年上の彼女を待つ男なんて。その純真さにキュンとなってしまう。
「日向くん、今、私のこと名前で呼んだね。“末永さん”だと会社みたいだから嬉しいな」
そう言うと結子は、日向の首に手を回した。
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両思いだけど、結婚できないなら…結子は日曜日ある場所へ出掛けて