「その彼、ひどい!」彼女とのデートを男が1時間で切り上げ、向かった先とは
「好きになった人と結婚して家族になる」
それが幸せの形だと思っていた。
でも、好きになった相手に結婚願望がなかったら…。
「今が楽しいから」という理由でとりあえず付き合うか、それとも将来を見据えて断るか…。
恋愛のゴールは、結婚だけですか?
そんな問いを持ちながら恋愛に奮闘する、末永結子・32歳の物語。
◆これまでのあらすじ
「恋愛の先にあるのは、もしかして結婚だけじゃない?」と思い始める結子。結婚願望がない日向ととりあえず付き合ってみようかな、と気持ちが傾いていく。
Vol.5 初めて出会った日
― やった…。
日向は、小さくガッツポーズをした。
『CHACOあめみや』で食事をした数日後、自宅でLINEを開くと、結子からメッセージが届いていた。
「私でよければ、よろしく」
日向は、思わずスマホの通話ボタンを押した。
「僕でいいの?本当に?」
結子と付き合いたくて必死になっていたが、いざOKをもらうとありきたりな言葉しか浮かんでこなかった。
「うん。食事しているときはいつも楽しかったし。日向くんの一生懸命さに、だんだん気持ちが傾いちゃった」
「やった…仕事で大きな案件任されるより、嬉しい」
日向は率直に喜びを口にした。
「でもね、しばらく社内の人には秘密にしてほしいの。だって…」
結子はその先なんとなく言いづらそうにしているので、日向が代わって言葉を繋いだ。
「僕たちが、すぐに別れるかもしれないから、でしょ?」
慎重派な結子が考えていることは日向にはわかる。
「そうそう。実際付き合ってみて、お互いアレ?って思うことも出てくるだろうし」結子は安心したように賛同した。
「了解しました!会社の人にはバレないようにしますよ」
「ありがとう。日向くん、あと1コだけ聞いてもいい?」
「どうぞ。でも、週末どこに遊びに行く?だったら、今は即答できないなぁ。楽しめる場所をこれから必死で調べるので」
結子がクスクスと笑う声が聞こえる。
「違うの。週末は別に特別なことをしなくてもいいわ。ただ、聞いてみたかったの。どうして私なんだろうって」
「本当のことを言うと、2年前に入社したときから、末永さんのことタイプだなって思ってたんですよ」
「って言ったら、信じてもらえますか?」
「もう!冗談でしょ。だって、今回のプロジェクトで一緒になるまで話したこともなかったのに」
結子の言うとおり、つい最近まで2人はまったく接点がなかった。
「そうですね。じゃあ、この話の続きは週末に」
そう言って、結子を好きになった理由を曖昧にしたまま、日向は通話を切った。
― 本当は2年前じゃなくて、3年前から知ってるんだけどな…。
日向の中で、3年前のある夏の夜の出来事が、まるで昨日のように鮮明に蘇る。
◆
―3年前―
日向は、当時付き合っていた恋人・早苗と代々木八幡にある一軒家レストランで食事をしていた。
外は雨が降っていて、7月にしては肌寒い夜だった。
2階席には、日向たち以外は、奥のテーブルに男女1組が座っているだけ。
男性はしきりにスマホの画面を気にしていて、女性が話しかけても適当な相槌を打っているようにしか見えなかった。
「大学の同期会が来週あってね…」と、話の断片が日向たちのテーブルまで漏れ聞こえてきた。
話しながら、男性の一連の動きを見守っていた女性は、隙間を見つけてやんわりと言った。
「ねえ、食事の時ぐらいスマホはやめない?」
すると、男性は顔を上げて答えた。
「あぁ、ごめんね。スマホはやめるよ。ところで、さっきの同期会だけど、俺が行かないでくれって言ったら、どうする?」
自分を注意した仕返しに、女を試しているような発言。自分への愛情や、わがままの許容度を測っているのだろう。
「行かない」とすぐに返答できない女に向かって、「ごめん、急に上司から呼び出しが来たから、悪いけど行くわ」と言って、男は立ち上がった。
2人の食事が始まって1時間も経っていない。
「人事異動がかかってるから許して」
男の言い訳じみた捨て台詞に、女性は静かに深いため息をついた。目は潤んでいた。
日向は、目の前にいる早苗の話に耳を傾けつつも、自らの視界の中でその女性を見続けた。
― 綺麗な人なのに。あんなヤツにはもったいないな…。
女性は、再び静かにゆっくりとワイングラスを傾け始めた。
しばらくすると女性は帰ろうと、伝票を手に立ち上がった。しかし、次の瞬間、ギイッと椅子がずれる音とともに、彼女はその場にうずくまったのだ。
「大丈夫ですか?」
日向は思わず女性の元に駆け寄った。2階には店のスタッフはおらず、早苗が1階まで人を呼ぶために降りて行った。
「救急車、呼びましょうか?」
「大丈夫です。ちょっと眩暈がしただけなので。酔ってしまったのかも」
日向が声をかけると、女性は力なく拒んだ。
「さっき一緒にいた彼、呼び戻しましょうか?」
もちろんお節介だと日向はわかっていた。
「本当に大丈夫なので、タクシーを呼んでもらえませんか?目黒の方まで…」
女性に言われたとおり、日向は、自らのスマホのアプリでタクシーを呼んだ。
店のスタッフがやってくると、女性は脇を抱えられ、ようやく椅子に座ることができたが、背を丸めテーブルに顔を伏せた。
テーブルに突っ伏しているのは、気分が悪いからではなく、泣いているのを見せないためなのだと日向は感じた。
タクシーに乗り込む時、「アプリで呼んでるんですよね?お金を」と、彼女は日向に一万円札を手渡そうとした。
「気にしないで、乗って。早く元気になって下さい」
日向がそれを断ると、女性は、丁寧にお礼を言ってタクシーで去っていった。
「あの人の彼、ちょっとひどいね。同期会と俺、どっちを取るの?って聞いてた?」
「うん、まあ…」
「あんな幼稚な発言をする男、私は絶対に嫌だわ」
― 母親も、昔ああいうふうに泣いてたな….
さっきの女性が、自らの感情に蓋をし、静かに泣く姿は、日向の中の母親の残像と重なり合い、脳裏に焼き付いた。
それ以降、日向は、早苗が当時住んでいた代々木八幡界隈に行くたびに、無意識に彼女を探していた。
そして、1年後―。
日向は、転職した会社で“彼女”を見つけた。
偶然にも社内ですれ違った際、瞬時に彼女だと確信した。
当初、配属された部署は違ったが、彼女の名前が“末永結子”であると知るまでに時間はかからなかった。
以降、社内で、LAN上の掲示板で、無意識のうちに末永結子を探すようになった。
いつの間にか、早苗との関係に溝ができてしまったが、それすら自分では気づかなかった。
学生の頃からずっと付き合っていた早苗をなおざりにしても、結子が気になって仕方がなかった。
仕事をしている彼女、同僚と雑談している彼女。結子のことをひとつ、またひとつと知るのは、まるでパズルのピースが埋まっていくような感覚にも似ていた。
― 究極、タイプなんだよな。
日向は、これまで見てきたさまざまな場面での結子を思い出しながら、デスクの上のダーツを手に取った。
そして、ヒュッと壁のボードに向かって放たれたダーツは、まるで日向の一途な気持ちを表すかのように、タンと小気味のよい音とともに的に突き刺さった。
◆
日曜日の11時に、渋谷のハチ公前で結子と待ち合わせた。
5分前に日向が到着すると、すでに結子が待っていた。
「今日はどこに連れて行ってくれるの?」
「買い物して、ベタだけど映画でも見て、その後は散歩でも。明治神宮とか代々木公園とか」
2人は雑踏の中をゆっくりと歩き出した。
「今日はこうやって渋谷にいるけど、お休みの日、いつもは何してるの?」
「家でゴロゴロ」
この日の結子は、質問ばかり投げかけてきた。
「日向くんは何人家族なの?」
「2人。父親と僕。今日は質問ばかりですね」
会社ではつまらない詮索や妄想をされそうだから、プライベートをベラベラ喋らないようにしている。
「うん。何も知らないのもどうかなって。1人っ子?」
「1人っ子、じゃない。兄弟はいるような、いないような。疎遠なんです」
曖昧な言い方に、結子は何かを察したようだった。
「ま、いっか。こんな人混みをブラつくの、久しぶりではぐれそう」
「はぐれますよ」
日向は、結子の手を取った。
◆
22時。
夕食を一緒に食べた後、日向は結子を目黒駅まで送った。
駅のロータリーから、姿が見えなくなるまで見送り、停まっていたタクシーの1台に乗り込む。
「白金方面まで」
10分かからずに到着し、車を降りる。指紋認証で開けた門をくぐり、同じように玄関も解錠する。
「あら、春樹さん、おかえりなさい」
ドアを開けると、家政婦の多恵が帰り支度をしているところだった。
「今日は随分、遅いですね」
「明日から、しばらくお休みをいただいたので、やることが多くて」
通いで1週間のうち5日ほど家事を請け負っている多恵は、この家に通い始めてから10年になる。
「お父様は、明日朝からハワイにゴルフをしに行くとかで、もうお休みになられていますよ。2週間ご不在にされるようです」
「なるほど、それで。ま、一つ屋根の下に住んでいるけど、1ヶ月くらい顔合わせてないしなぁ。どうせハワイも1人じゃないんでしょ?」
日向の皮肉っぽい言い方に、「さぁ?」と多恵は困った様子だ。
自室に上がり、服のままベッドに飛び込むと、スマホを開いた。
「今日は、ありがとう。楽しかった」
結子からのLINEを見て、日向はついニヤけてしまう。
しかし、あることを思い出し、慌てて飛び起きた。
再び部屋のドアを開け、階下の多恵に向かって叫んだ。
「多恵さん!軽井沢の別荘の鍵、どこにあるか知ってる?」
「ダイニングテーブルの上に出しておきますね」
多恵の返事が聞こえると、日向はホッとしてまたベッドに寝そべった。
― やっと手に入れた…。
ずっと憧れていた結子が自分の恋人になった。
今の満たされた気持ちをゆっくり味わうように、日向は深く息を吸い、目を閉じた。
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