「夫の帰宅が早くてウンザリ…」20時に帰ってきた夫の夕食を温めながら、妻が考えていたコト
貴方は、自分の意外な一面に戸惑った経験はないだろうか。
コインに表と裏があるように、人は或るとき突然、“もう1人の自分”に出会うことがある。
それは思わぬ窮地に立たされたときだったり、あるいは幸せの絶頂にいるときかもしれない。
......そして大抵、“彼ら”は人を蛇の道に誘うのだ。
▶前回:「出産後の妻を女として見れない」でも“あるコト”がきっかけで妻への気持ちが復活し…
Vol.15 美香子(28歳)の場合
一時期大きな話題になった『親ガチャ』。
有名な大学教授の父と、元CAのモデル体型の母から生まれた私は、側から見たら『アタリ』なのかもしれない。
確かに金銭的にも、そして成績もよかったので学力的にも苦労したことはなかった。
派手な性格ではないけど、小さい頃から男女問わず人が寄ってきて、ずっとチヤホヤされて生きてきたと思う。
第一志望だった有名私大の文学科にすんなり受かり、在学中には大手ファッション誌のモデルとしてスカウトされた。
“高学歴モデル”。そんなふうに取り上げられることも多かったし、今でも街を歩いていると、当時のファンに声をかけられることがたまにある。
でも、どこかで私の人生問題があったとしたら。
それは恐らく25歳頃まで、苦労といえる苦労をしてこなかったことかもしれない。
「ママ?」
その時、もうすぐ2歳になる息子の櫂斗(かいと)が私に話しかけてきた。
この子にとって、親ガチャ“ハズレ”だなんて思わせたくはない。
けれど…。
私は、夫である稔の分の夕飯にラップをかけて、ため息をついた。
高学歴モデルという肩書は大学卒業と同時に消滅。するとモデルの仕事は目に見えて減っていった。
賢くて可愛い子なんて、いくらでも代わりがいるのが現実だ。
名前を貸すような形で化粧品のプロデュースもしたけれど、反響はイマイチ。
結局、近所に立ち並ぶどのドラッグストアにも、棚に陳列されたプロデュース商品を見ることはなかった。
そして「絶対にモデルで有名になる!」という野心をもった女の子の前では、気後れしている自分にも気がついていた。
稔との出会いは、“お偉いさんの食事会に華を添える要員”として、夜のお酒の席に呼ばれる日々が続いていた時。
モデルとは名ばかりで、ホステスのようなことばかりしている自分に嫌気がさし、二次会をやんわりと断り六本木のバーにふらりと立ち寄った。
「お疲れですね」
ふと、カクテルを飲みながらため息をついた私に、目の前のバーテンダーは言った。
それが稔だった。
芸能人にいてもおかしくないくらい整った顔立ちで、一瞬言葉に詰まる。
1人で来ている女性客は皆、彼目当てであることは一目瞭然だった。
後日、ふらっとまた店に足を運び、その日に稔から連絡先を聞かれたのだ。
よくある営業の手段なのだろう、と期待をしないようにしていたけれど…。
でもその後食事に誘われ、そのまま“そういう関係”になって、1年があっという間に経った。
稔にとっても、遊び相手の1人だろうと割り切って考えるようにしていたのに、私は妊娠したのだ。
震えながら妊娠の事実を伝えた日のことは、今でもよく覚えている。
「結婚しよう」
予想に反して、嬉しそうに私を抱きしめた彼。結婚と同時に他の女の影は消え、息子の誕生を心から喜んでいた。
彼は「綺麗だよ」「好きだよ」と、今でも変わらず私に優しい言葉をかけてくれる。
…でも、やっぱり稔は女性から求められないと不安になる性分だった。
櫂斗が生まれて半年も経たないうちに、帰宅時間はどんどん遅くなり、毎回違う香水の香りをまとって帰ってくるようになる。
問い詰めることはしなかったが、決定的な遊びの証拠なんて、探さなくてもいくらでも出てきた。
でも不思議なことに、怒りや悲しみという感情が湧かなかった。
そういえば自分の両親も、夫婦間のやりとりはどこか義務的だったように思う。
今思えば、両親はお互いに恋人でもいたのではないだろうか。
私は初めから、結婚生活に幻想を抱いていないだけだった。
夫は私のことを、「旦那の不貞を知りつつ甲斐甲斐しく帰りを待っている、時代錯誤だけれど有り難い妻」とでも、思っているのだろう。
でも、干渉されず自分のペースで子育てができるのは、不思議なくらい楽しかった。
稔がどのくらい稼いでいるのかは知らなかったが、生活費や私が自由に使えるお金も少なくなかったので不満もない。
…それなのに、ここ最近、悩みの種が出てきてしまった。
それは、稔の帰宅が早いことだ。
今日だって彼は20時に家に帰ってきて、私が温め直したハンバーグを食べている。
「美味しい」なんて言葉をかけられて、適当に笑顔を見せたけれど…。
朝、冷たくなっている夕飯を見るほうが気が楽だったのに。
「櫂斗が寝たら、話があるんだ」
息子を寝かしつけて、久しぶりに稔と向き合って座った。
「話って何?」
すると深刻な顔つきで、彼は私に話し始めた。
「仕事を失うかもしれない」
話を聞けば、共同経営していた男が詐欺で逮捕されたらしい。
そもそも稔は経営者なんて大口を叩いているが、頭の回転が遅い夫にそんなことをできるはずがない。
このコロナ禍で、女と遊びながらも経営できていたほうが不思議だったのだ。
それにしても、やっぱりバカな男―…。
私が、困惑するとでも思っていたのだろうか。
「大丈夫よ」と伝えると、稔は驚いたような表情を浮かべた。
彼に話していないが、最近両親から譲り受けたマンションの家賃収入が入り始めたところだった。
金銭的な余裕と、精神的な余裕というのは密接に関係しているのだと実感する。
ところが、何を思ったか稔が私を抱きしめたのだ。その瞬間、背中に寒気が走る。
― やっぱり私、この男のこと全然愛していないわー。
稔の腕を振り払う。そして私は静かにある覚悟を心に決めたのだった。
◆
あれから3年。
私は旧姓に戻り、所有するマンションの1室で子どもを育てている。
その時玄関のチャイムが鳴り、私は母親を招き入れた。
仕事が終わらない時、櫂斗を見ていてくれるのだ。
「じゃあ、私は執筆を始めるわ。緊急で何かあれば呼んでね」
今、私は駆け出しの作家として活動をしていて、初めて連載が決まったのだ。
実は私には昔から、作家になりたいという夢があった。
でも私が通っていた大学の文学科は有名な作家を何人も輩出していて、とんでもない才能を持っている同級生たちをイヤというほど見てきた。
応募したどの文学賞に擦りもしなかった私は、努力をすることに疲れ、その夢に蓋をしたのだ。
「せっかくいい大学出たのに」
大学卒業後もモデルとして活動した私に、そう言ってくる人もいた。今思えば、企業にでも就職していたら、また違った人生だったのだろうなと思う。
でもあの時は、才能ある同級生のなかで、“普通”の人生を選ぶことが怖かったのだ。
モデルになってまた挫折をして、子どもを授かり、結婚。
そしてあの後、夫だった男は見ず知らずの女と駆け落ちをするという、読後感の悪い小説の結末のようなことをやってのけた。
「そんな男、早く離婚すればよかったのに」と、よく言われる。
でも、彼との生活には私は感謝していた。
私を十分に悲劇のヒロインにしてくれたから。
稔との結婚生活をSNSで小説風に書いたら、思わぬ反響があった。その文章を見たあるテレビ番組のディレクターから、出演オファーが来たのだ。
人生というのは、思いもよらない形で願いが叶うことがある。
元モデルという肩書も手伝ってテレビ出演の反響は大きく、私は「このチャンスを無駄にしたくない」とその後も必死にSNSで発信を続けた。するとそれから1年後に、本の出版が決まったのだ。
私には最高のミステリー小説を書く才能はないけれど、世間は小説よりも実話を面白がるところがある。
そして、“かわいそうな私”を自分自身と置き換えて、応援してくれる読者は想像以上に多かった。
…どこかで、元夫との生活を「人生のネタ探し」として客観視して見つめていた私は、したたかな女なのかもしれない。
でもそれでいいのだ。
机に向かった私は、新作の小説を書き始める。
20代の頃とはまるで違う自分が、生き生きしながら筆を走らせた。
▶前回:「出産後の妻を女として見れない」でも“あるコト”がきっかけで妻への気持ちが復活し…
▶1話目はこちら:夫が冷たい、子どもも産めない…。結婚生活に絶望した貞淑妻の恐ろしい二面性