「決断の95%は無意識のうちに行われる」の意味とは?(写真:PanKR/PIXTA)

ハーバード大学のジェラルド・ザルトマンは、こんな言葉で消費者の行動を表現しています。あらゆる消費者は自身のニーズを5%しか言葉で表現できず、残りは氷山のごとく無意識の底に隠されているのだ、という考え方です。

この数字がどこまで正しいかははっきりしないものの、私たちの脳が無意識下で働いていることを否定する神経科学者はいないでしょう。

代表的なのは、ルンド大学のペター・ヨハンソンらが行った実験です。

研究チームは、パッケージを隠した数種類のジャムとお茶を用意し、すべてを参加者に試食してもらったうえで、好きな味の商品を選ぶように指示。その後で全員に「なぜその商品を選んだのか?」と尋ねたところ、それぞれが「軽い苦味が好き」や「なめらかな舌触りが好き」といった理由を思い思いに答えました。

ここまでは、何らおかしな点はありません。

しかし、数分後に研究チームがこっそりジャムとお茶を別物にすり替え、今度は最初と違う商品を参加者に再び試食させたところ、おもしろい現象が確認されました。

商品のすり替えに気づかず、理由を後からでっち上げ

ほとんどの参加者は商品のすり替えに気づかず、それどころか「自分がその商品を選んだ理由」を後からでっち上げはじめたのです。

たとえば、あなたがこの実験に参加して、最初に食べたオレンジのジャムについて「さわやかなフレーバーが良い」と感想を述べたとします。
それに続いて、研究チームがこっそりとすり替えたブルーベリーのジャムを食べたとしても、あなたはその商品が別物であることに気づけず、さらには「ベリーの酸味がちょうどいい」などと言いはじめるわけです。

「そんなことが本当に起きるのか」と疑われそうですが、似たような現象は何度も確認されており、参加者の大半は商品がすり変わったことすらわからず、自分が感想をでっち上げたことにも気づけなかったと報告されています。

このような心の動きを、心理学では 「チョイス・ブラインドネス(選択盲)」 と呼びます。簡単に言えば、

・人間の選択は状況によってころころ変わる
・自らの選択の理由を明確に理解できる人は少ない

といった現象のことで、私たちの多くが商品を買う際に自分の本当のモチベーションを把握していない現象のことです。

チョイス・ブラインドネスの研究データが、すべて現実の消費行動に当てはまるわけではありませんが、人間の意思決定の多くが無意識化で行われる点に疑いはないでしょう。

誰も自分が何を欲しているのかをわかっていない

確かに、少し考えただけでも、「消費者は自分の欲しいものをよくわかっていない」ことを示した事例には事欠きません。

有名なのは、1998年にアップル社が発表した「iMac」です。スケルトンボディを採用したデザインはいまでこそ伝説のプロダクトですが、発売前の評価はさんざんでした。

特に多かったのは「iMacはユーザーのニーズを理解していない」という批判で、多くのPCユーザーは「フロッピーディスクを使えない商品に誰も興味はない」と答え、アナリストはiMacの大失敗を予測しました。

しかし、ふたを開ければ結果は真逆で、iMacは2年8カ月で500万台を売り、アップルの経営危機を救う起爆剤となりました。

アップル製品の開発プロセスを尋ねられたスティーブ・ジョブズは、1998年のインタビューにこう答えています。「顧客に意見を聞いて製品をデザインするのは本当に難しい。多くの場合、人々は自分が何を欲しているのかをわかっていないからだ」

ジョブズは顧客のニーズを軽んじていたわけではなく、当時のアップルが定期的にユーザーの商品利用データを集めていたのは有名な話です。とはいえ、私たちが自分の欲しいものを心から理解していないのも事実であり、この点を押さえずに消費者リサーチを行うのは間違いのもとだと言えます。

私もあなたも特定の商品を選んだ理由をよく理解しておらず、そもそもどのような商品が欲しいのかすらハッキリしないことが多い――。

拙著『ヒトが持つ8つの本能に刺さる 進化論マーケティング』でも詳しく解説していますが、私たちの欲望は原始時代の環境で起きる問題を解決するために設計され、それが現代にも受け継がれたシステムでした。

それゆえに、現代人の行動は、本能による無意識のコントロール下にあると考えられます。

つまり、「その奥にある“本能”とは?」という問いは、「現代人の消費行動は、原始の環境においてどう位置づけられるのか?」を考える行為にほかなりません。私たちが商品を買う理由の奥を探り、人類が持つ“究極のモチベーション”を探ることこそが、進化論的なアプローチの最重要ポイントとなります。

それでは、私たち現代人を動かす本能とは、いかなるものでしょうか?

「お金が欲しい」「健康になりたい」「有名になりたい」など、現代人の欲望にはいくつもの種類がありますが、なかでも私たちの行動に影響をおよぼす本能についてどう考えればいいのでしょうか?

最奥にある本能のシステムは2パターンしかない

進化のプロセスに照らせば、人類の最奥にある本能のシステムは、実は2パターンしかありません。

1 生殖:自分のDNAを後世に受け継がせたい欲望
2 生存:個体としての自分を長生きさせたい欲望

この2つが人類にとって根源的な動機なのは理解しやすいでしょう。

遺伝子を残せなければ人類という種族そのものが死に絶えますし、そのためにはできるだけ長生きして生殖のチャンスを増やさねばなりません。

生殖と生存を至上命題にしたからこそ、人類は厳しい自然淘汰を生き延びることができました。これはあらゆる生物に見られる行動原理であり、まさに“究極本能”と呼べるでしょう。

もちろん、生殖と生存の欲望は現代人の中でも動き続け、私たちの表に現れるモチベーションを裏から左右しています。たとえば、高級品を買う欲望の奥に「生殖の本能」があるのはプロローグで見たとおりですし、「健康になりたい」という欲望が個体の生存に役立つことは言うまでもなく、有名になりたい欲が満たされればDNAを後世に残せる確率も上がるでしょう。

私たちの欲望は、たった2つの究極本能からいろいろな方向に枝分かれし、現代の環境に沿った現れ方をしているのです。

ただし、本能のパターンを2つだけに絞るのはシンプルすぎるため、「消費者の欲望を理解する」というゴールを目指すためには、レイヤーを少し下げる必要があります。2つの“究極本能”から派生する欲望を数種類のサブタイプに分けたほうが、人間の消費行動を分析しやすいはずです。

基本的な本能を整理してみると

その点で、幸いにも近年では、認知科学、行動科学、神経生理学、文化人類学といったフィールドの研究者が議論を重ね、ヒトの基本的な本能を4〜10程度のパターンに整理する方法をいくつか提案しています。


その分け方は論者によって異なり、たとえば社会心理学者のドウェックは、「権力欲」や「達成欲」などを含む6パターンの分類を提案。進化心理学者のケンリックなどは、生殖と生存の本能を「自己防衛」や「地位の獲得」などに切り分け、全部で7つの欲望を提示しています。

そこで本稿では、過去100年以上にわたる心理学および社会科学の成果から、ヒトの欲求に関する洞察を抽出。

マクレランドの達成欲求、フェスティンガーの認知的不協和理論、バンドゥーラの社会的学習理論など、モチベーションに関する研究をすべてまとめたうえで、それらの共通項を「ヒトが持つ8つの基礎本能」 としてマッピングしました。具体的には、以下のようになります。

1 安らぐ・・心身の危険から離れて不安や恐怖から逃れたい本能
2 進める・・明確なゴールを設定し、それをクリアしたい本能
3 決する・・自分の行動や目標を自分で決めて実行したい本能
4 有する・・生存に役立つ物や情報を蓄積したい本能
5 属する・・特定のグループやコミュニティに入りたい本能
6 高める・・特定の集団のなかでより上の地位につきたい本能
7 伝える・・周囲の人間に自分の特性をアピールしたい本能
8 物語る・・自分の人生に大きな意味を感じたい本能

文化人、学者による複数のフィールドワークによれば、これらの欲求はどの文化でも認められるもので、あらゆる国の人間が持つ共通の本能だと考えられます。8つの分類が最適かどうかについてはまだ意見がわかれるものの、ここに挙げた基礎本能の存在そのものを否定する専門家はいないはずです。

(鈴木 祐 : サイエンスライター)