「え、そんなことで離婚したの？」35歳女が許せなかった“夫の生活習慣”とは
高度1万メートルの、空の上。
今日もどこかへ向かう乗客のために、おもてなしに命をかける女がいる。
黒髪を完璧にまとめ上げ、どんな無理難題でも無条件に微笑みで返す彼女は「CA」。
制服姿の凛々しさに男性の注目を浴びがちな彼女たちも、時には恋愛に悩むこともあるのだ。
「私たちも幸せな恋愛がしたーい！」
今日も世界のどこかでCAは叫ぶ。
◆これまでのあらすじ
食事会で知り合った小川と食事に行った七海。楽しいけれど、なぜかときめかない…。
▶前回：「見てはいけないものを、見てしまった…」CAがステイ先のホテルで目撃した禁断のモノ
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Vol.5 ファーストクラスに乗る男
9月末。
七海は、あれから何度か小川に食事に誘われ、その都度仕事を理由に断っていた。
普通なら「気がないのかも」と察してくれてもいいはずだが、小川にその様子はない。
『すみません、最近彼と別れたばかりで、次の恋愛に行く気分じゃないんです』とLINEを送ると、小川は納得したのか、連絡が来なくなった。
そして、今日はニューヨーク便乗務。
久しぶりのファーストクラス担当で、七海は少し緊張している。
「予習が十分できていなくて、心配です…」
離陸前から七海が珍しく弱音を吐いた。すると5歳上の先輩、梨奈が言った。
「大丈夫。ファーストクラスのお客様は素敵な方ばかりだから、ベストを尽くせばいいのよ」
七海を優しくフォローする梨奈だが、七海より後輩CAたちの間では「恐ろしすぎる先輩リスト」に名前を連ねるお局CAの1人だ。
― 私が30歳越えた途端、優しくなった気がする。仲間意識？
梨奈はチーフCAだ。
美容に相当なお金をかけているというのは有名な話で、見た目だけでいえば、七海の同期と言っても疑う人はいないくらいだ。
「梨奈さんが一緒で心強いです」
これはお世辞ではない。梨奈の瞬時の判断力や、保安の知識、また、お客様に対するホスピタリティに見習うべきところはたくさんある。
― にしても、梨奈さん雰囲気変わったような気がする。丸くなったっていうか…。
「梨奈さんとご一緒するの、久しぶりですけど、雰囲気変わりましたよね？あ、全然変な意味じゃなくて！」
思ったことを口にしてはみたものの、慌てて取り繕う。
「いいのよ。そう、変わったかもね。私、最近離婚したから、そのせいかも」
ギャレーに搭載しているドリンクをチェックする梨奈の手が止まった。
― あ、しまった！私、地雷踏んじゃったかも…。
「離婚」という2文字に、七海は一瞬動揺する。
「ごめんなさい、私、立ち入ったことを聞くつもりじゃなかったんですけど」
「いいのよ。隠していてもいずれバレるし」
梨奈は、外銀に勤める同い年の男性と結婚していた。子どもをもうけず、2人で気ままに生活している、と前回フライトが一緒だった時に話していた。
「私はつい最近、大好きだった彼にフラれちゃったんです。 CAとは時間が合わないからって」
なんとなく自分の失恋話を打ち明ける七海。
「普通の会社員とじゃ時間合わないよね、私の場合、どうしても許せないことがあってさ…」
― 許せないことって、浮気とか？
「お客様がいらっしゃるから、続きは後でね」
梨奈の「お客様」というワードに、七海は背筋をしゃんと伸ばした。
エコノミー、ビジネス、ファーストクラス、それぞれサービスの内容は違ってくる。
例えば、エコノミーに乗務すれば、ひたすら慌ただしく、機内といえども1万歩前後は歩く。
一方、ファーストクラスの場合は、それほど忙しくはない。ただ、とにかく自分が使える“気”は1滴残らず使う、という感じだ。
食事はフルコース、お客様のタイミングで提供するので時間はバラバラだし、ワインの知識も必要だ。また長距離線となると、お休みに合わせてマットレスを準備したり、着替えを提供したり。
1人ひとりに合わせて行うため、お客様とのコミュニケーションは大切。お席までご挨拶に伺い、雑談を交える中で、喜んでいただけるサービスを考えるのだ。
限られた時間で準備や確認をこなしていると、あっという間にエントリードアはクローズし、離陸した。
「中谷様、本日はご搭乗ありがとうございます」
ニューヨークに留学中の孫に会いに行く、という老夫婦から順に挨拶にまわっていく。
彼らのように旅慣れた方々は、ちょっとした雑談から醸す雰囲気や、マナーがとても素敵だ。
― やっぱファーストクラスのお客様はさすがだわ。
ファーストクラスを利用しているお客様は、今日は6人。
搭乗客名簿の情報によると、中谷夫妻に、ニューヨークに戻る外国人のお客様が2人。そして、会社経営者の日本人が2人だ。
今日がファーストクラス初担当の後輩が、七海のところにやってきた。
「七海さん、1Aのお客様、搭乗と同時に爆睡されてますね」
ドリンクの準備をしながら、メモを残すように指示をする。
「マスクしてるけど、素敵だと思いません？」
すると、背後から梨奈のピリついた声が聞こえた。
「お客様の観察はいいから、さっさとラバチェックしてきて」
「はい！すみません！」
急いでギャレーを出ていく後輩。
「すみません、私が注意すべきでした」と謝る七海。
「構わないわよ。でも、私の若い頃、思い出しちゃった」
注意こそしたけれど怒っている様子でもなく、やっぱ梨奈は以前とは感じが変わったと七海は思った。
「梨奈さんが新人だったころって、どんな感じだったんですか？」
「私だってビジネス、ファーストに乗務できるようになったばかりの頃は、素敵な男性のお客様ばかり見てたわよ」
― えっ？意外すぎる。
七海は心の声を押し殺し、「本当ですかー？」とにこやかに相づちを打った。
「元夫だって、最初はお客様として知り合ったんだもの。結婚生活は6年ほどで終わっちゃったけどね。いざ結婚してみたら、人には言えないストレスしかなかった」
「人には言えないストレス…ですか」
七海が尋ねると、梨奈がニヤッと笑った。
「聞きたい？」
「ええ、まぁ…」
七海が控えめに答えると、梨奈が七海の耳元で離婚の決定打を打ち明けた。
「私がどうしても許せなかったのは、ラバ（トイレ）の使い方よ」
― え？ラバが原因で離婚したの？
何度注意しても、彼がトイレの使い方を改善してくれなかったことが許せなかったと、梨奈は言う。
「わたしたちってさ、フライト中何度もラバを掃除するじゃない？ラバの使い方ってさ、人間性が出るよね」
― た、確かに…。
床がびしょびしょに濡れていたり、トイレットペーパーがベロンと垂れ下がっていたりすると、チェックに入ったときに「はぁ…」とため息が出る。
「元夫は何度注意しても、便座を上げっぱなしにしたまま出てきちゃうの。便座が上がりっぱなしのトイレ、女性は入りたくないじゃない？」
先頃、後輩を注意したときよりも、言葉尻に熱がこもっている梨奈。
「蓋だけは閉めてほしいですよね」
「そうなのよ！」
ところがある時、フライトから戻ったら自宅のトイレの蓋が閉まっていたのだそうだ。
「私、フランクフルト便だったから、3日家を空けていたわけ。で、蓋が閉まっているってことは、誰かを連れ込んだんだな、って容易に察しがついたわ」
― その推理、スゴすぎるんだけど！
「でも、浮気以上に、彼のラバの使い方が許せなかったの。っていうか私、マナーがなってない人が嫌いなの」
CAは海外での経験や、訓練で身についているせいか、マナーを気にする人は多い。
― とはいえ浮気よりもマナーかぁ…。CAあるあるだわ。
後輩がギャレーに戻ってきた。見ると、心なしかシュンとしている。
「どうしたの？」
「1Aのお客様がお目覚めになったので声をかけたのですが、僕のことは放っておいてと言われてしまいまして…私、何か失礼なことをしてしまったでしょうか？」
七海は、搭乗客リストをもう一度確認する。
「1A」の客は、小泉というIT系企業の経営者のようだ。年齢は35歳とあるが、それ以外の前情報はほとんどなかった。
「いいわ、1Aのお客様は私が気にしておくから、あなたは他のお客様を」
そして、七海が座席の方を見ると、ちょうど小泉と目線が合う。
同時に反射的に体が動いた。
「お目覚めですか？」
七海が声をかけると、彼は、億劫そうにチラリと彼女の方を見た後、要点だけを簡潔に伝えた。
「食事、お願いしてもいいですか？簡単に食べられる軽食でいいです。飲み物は水」
それだけ言うと、また手持ちのKindleに目を落とし、文字を追い始めた。
「かしこまりました」
七海はすぐに下がり、言われた通りいつでも食べられる軽食として用意してあるハンバーガーの準備にかかる。
「え？なにそれ…七海さんには食事をオーダーしたんですか？それも軽食？」
「フルコースやCAのサービスを面倒がる人もたまにいるから気にしないで」
後輩は何か腑に落ちない様子だ。だが、食事にこだわらず、サービスすら求めてこない様子から考えると、ビジネスのために利用しているのだろう。
名簿にあった法人名のWebサイトは事前に調べているが、具体的に何をしている会社なのかはわからなかった。
― でも、あの人、どっかで見たような気がするんだよね…。
食べ終えたトレイの上は、カトラリー類がコンパクトにまとめられ、マナーがちゃんとしていることがわかる。
小泉はシートを倒し、眠り始めた。
外からの連絡を一切取れない環境下である飛行機こそ、唯一眠ることに必死になれる極上の寝室だ、と七海は以前ビジネスクラスのお客様に言われたことを思い出した。
― とはいえ、ここはファーストクラスだもんね。片道100万超えの旅客運賃を支払い、軽食を食べて寝るだけって…。
小泉という搭乗客が何者なのか、気になっていた。
▶前回：「見てはいけないものを、見てしまった…」CAがステイ先のホテルで目撃した禁断のモノ
▶1話目はこちら：機内で名刺をもらった28歳CA。ステイ先で連絡したら…
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ぶっきらぼうな小泉とニューヨークで偶然再会した七海。そして、彼の正体を知り…
