「鎌倉殿の13人」ついに頼家の死、朝雅の活躍、実朝の花嫁選び…第33回放送「修善寺」予習

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死の淵から奇跡的な復活を遂げたものの、鎌倉殿の座を追われる羽目になった源頼家(演:金子大地)。

それと交代で鎌倉殿の三代目となった千幡あらため源実朝(演:峯岸煌桜)。しかし新たな災いの種がまかれ、鎌倉の暗雲が晴れることはありませんでした。

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第33回放送は「修善寺」。当地に幽閉された頼家が亡くなることが予想されます。

なので今回は『吾妻鏡』より、頼家が亡くなる元久元年(1204年)の記事をいくつかピックアップ。大河ドラマの予習になれば幸いです。

「色悪」平賀朝雅、活躍と口論

脚本の三谷幸喜から「色悪」として平賀朝雅(ひらが ともまさ)を演じるよう使命を帯びた山中崇。色悪(いろあく)とは美男子だけど腹黒というキャラ(歌舞伎用語)ですが、美男子でない彼がそれを演じることによって絶妙なエグ味が期待されます。

(先週も自分の妻よりも姑に取り入るなど、すごく嫌なヤツぶりが素晴らしく演じられていましたね。もちろん称賛の意味です)

そんな平賀朝雅は元久元年(1204年)4月に伊勢・伊賀の両国(現:三重県)で蜂起した平家の残党を3日で鎮圧。後世に言う「三日平氏の乱」で武功を立てたため、両国の守護職に任じられました。

文弱なイメージの強い朝雅だが、武士らしい活躍も。性格はともかく、文武両道だったのかも(イメージ)

さすがは婿殿……北条時政(演:坂東彌十郎)とりく(演:宮沢りえ。牧の方)の満足顔が目に浮かびますが、そんな朝雅は畠山重保(はたけやま しげやす。六郎、畠山重忠の嫡男)と口論を起こします。

いったい何を揉めたのか、その内容は『吾妻鏡』に記されていないものの、とかく京都かぶれな朝雅のこと。恐らく「鎌倉幕府がどうあるべきか(朝廷の走狗か、武家政権の独立か)」などが争点となったのかも知れません。

大抵の創作ではそんな感じですが、あるいは朝雅が田舎者(坂東武者)の重保をバカにした可能性も考えられます。

このトラブルを恨んだりくが、畠山父子の粛清を企むのですが、それはもう少しだけ先の話し。

「期待の若武者」北条政範、京都で病死

さて、北条家待望の嫡男として一族(主に時政とりく)の期待を一身に集めてできあいされている北条政範(演:中川翼)。

しかし彼は元久元年(1204年)11月5日、いきなり死んでしまいます。実朝の正室となる坊門信清(ぼうもん のぶきよ)の娘を迎えにいくため、京都に滞在中でした。

子尅。從五位下行左馬權助平朝臣政範卒〔年十六。于時在京〕。

※『吾妻鏡』元久元年(1204年)11月5日条

【意訳】真夜中ごろ、北条政範が亡くなった。享年16歳、このとき京都に滞在していた。

愛する息子の死を知らせる飛脚が鎌倉に着いたのは11月13日。時政とりくがどれほど嘆き悲しんだことか、察するにあまりあります。

京都への道中、既に具合が悪かった北条政範(イメージ)

遠江左馬助。去五日於京都卒去之由。飛脚到着。是遠州當時寵物牧御方腹愛子也。爲御臺所御迎。去月上洛。去三日京着。自路次病惱。遂及大事。父母悲歎更無可比云々。

※『吾妻鏡』元久元年(1204年)11月13日条

【意訳】北条政範がさる11月5日に亡くなったことを知らせる飛脚が鎌倉に着いた。彼は時政とりくの間にできた愛息である。御台所をお迎えするため10月に上洛、11月3日に到着したが、道中すでに病身だった。とうとう亡くなってしまい、両親の悲歎は何物にも比べようがないほどだったという。

政範の亡骸は11月6日に京都東山・鳥辺野あたりに埋葬されました。政範の下男たちからその報告を受けた11月20日、同じ口で平賀朝雅と畠山重保の口論について聞いたので、よりいっそう畠山への怒りが燃えたのかも知れません。

故遠江左馬助僮僕等自京都歸着。去六日葬東山邊云々。又同四日。於武藏前司朝雅六角東洞院第。酒宴之間。亭主与畠山六郎有諍論之儀。然而會合之輩依宥之。無爲退散訖之由。今日風聞云々。

※『吾妻鏡』元久元年(1204年)11月20日条

溺愛する政範の死に悲しんだ時政とりくが、次なる望みを賭けて朝雅の鎌倉殿擁立を企むのは、そう遠いことではありませんでした。

実朝の花嫁選び

さて、政範が京都まで迎えに行った御台所候補・坊門信清の娘ですが、最初から彼女が選ばれた訳ではありません。

最初は元久元年(1204年)8月4日、宿老たちは実朝の正室に源氏の門葉・足利義兼(あしかが よしかね。上総前司)の娘をと考えていました。

しかし、実朝は気に入らなかったようで提案を却下。すでに京都へ(公家の娘を迎えたい、と)打診しており、果たして彼女が選ばれたのです。

実朝と坊門姫(イメージ)

彼女は坊門姫(ぼうもんひめ。実名不詳)、当時12歳の少女でした。一説には坊門信子(のぶこ)と呼ばれますが、史料には裏付けがなく『尊卑分脈』に記載されている坊門信清の妹(彼女にとっては叔母)・信子と混同されたと言われます。

鎌倉へ嫁いできた彼女は実朝と夫婦円満ながら子はできず、やがて実朝が暗殺されると出家して本覚尼(ほんがくに。通称:西八条禅尼)と号し、その菩提を弔いました。

ただし京都に帰っており、後に兄の坊門忠信(ただのぶ)・坊門忠清(ただきよ)が承久の乱で鎌倉幕府に敵対した際、その助命嘆願を行なっています(お陰で死罪を赦免)。

それは少し先の事とて、大河ドラマではおままごとみたいな夫婦が画面を彩ってくれることでしょう。それが視聴者にとって、ひとときの癒しとなればいいのですが……。

終わりに

前回の予告編で何か仮面が登場しましたが、あれは修禅寺に伝わる頼家の仮面と思われます。

当寺でもその詳細は明らかにされておらず、岡本綺堂が新歌舞伎「修禅寺物語」を書くキッカケになったとか。その禍々しいデザインは、頼家の悲しい末路を予感させます。

そして前回、一幡(演:相澤壮太)を前に仏心が芽生えてしまった善児(演:梶原善)。悪役がにわかに好感度を高めると、間もなく死が訪れる本作の法則に倣えば、彼も年貢の納め時が来たのでしょう。

サブタイトルの「修善寺(しゅぜんじ)」は頼家最期の地名であると共に、「終(了)善児」を意味しているのではと予感します。

予告編に出てきた義時の亡き兄・北条宗時(演:片岡愛之助)の遺品を見た義時がすべてを察し(あるいはかねて承知の上でわざとらしく善児に見せつけ)、トウ(演:山本千尋)に命じて善児を粛清させるのでしょう。

ますますの鬱展開、視聴者に頼家ロス&善児ロスをもたらすことが予想されます。来週も、覚悟を決めて見届けたいところですね。

※参考文献:

坂井孝一『鎌倉殿と執権北条氏 義時はいかに朝廷を乗り越えたか』NHK出版新書、2021年9月安田元久『北条義時』吉川弘文館、1986年4月