97kgまで太った女性、あだ名は”ビア樽”…1日7食生活を送っていた食生活を変える壮絶ダイエット経験
97kgから47kgに、マイナス50kgのダイエットを実現させた鈴木沙織さんは、太っていることで数々の悲しい体験をしてきた。体型をいじられ”ビア樽”というあだ名を付けられたり、大好きなテーマパークを車いすで周ることになったり。痩せたことで周囲からの見え方が180度変わり「女性として見られることが嬉しかった」と話す。彼女はダイエットを進めるなかで、どんなストレスを抱えていたのか。過去のダイエット経験を話してくれた。
【写真】鈴木沙織さん、マイナス50kgのビフォーアフター 車椅子でテーマパークを周る悲しい経験も
■お昼にロールケーキ2本をペロリ「気づいたら97kgになっていた」
鈴木沙織さんは、ダイエット料理研究家として活躍。97kgから47kgまで、50kgのダイエットを実現させ、その経験をもとに「しっかり食べて、楽しく痩せられるレシピ」を発信している。そもそも、なぜ97kgまで増量したのか。当時の食生活は”1日7食生活”。「本当に危ない食生活だった」という。
ーーダイエットを決意される前はどのような食生活を送っていたのでしょうか?
「叔母がパティシエ、父が菓子メーカーで働いていたので、実家では”甘いもの”にまみれていた生活を送っていました。揚げ物も大好きでした。例えばスイーツだったら、お昼にロールケーキを2本食べて、それをご飯替わりに。若い頃は営業をしていたので、外回りの時はコンビニでからあげとコロッケを買って食べちゃう。今考えると、本当に体に悪いんだろうなっていう食生活を続けていました」
ーー家に甘いものがあるのが普通だった?
「昔から実家にはおやつがたくさんありました。叔母の手作りケーキから、父の会社で作られた1.5倍サイズの大きなどら焼きとか。食事の回数は、1日7食。朝昼晩に加えて、10時と3時のおやつ、夕食後、夜寝る前。そういう食生活をずっとやっていたら、気づいたら97kgになってしまったんです」
ーー働いてからは、独り暮らしをしていたとのこと。食生活の自由度は増したのでしょうか?
「そうですね、野菜を食べなくていいんだと(笑)。好きなものだけ食べる生活になりました。朝から菓子パン(400kcal程度)を2つ食べていて、営業に出たら10時のおやつでアイスとプリン、ランチはコンビニでからあげ弁当を食べて…自炊をまったくしなくなってしまいました。スーパーで買ってきたからあげをご飯の上に乗せて、ケチャップをかけた丼を夜食にして、野菜は野菜ジュースさえ飲んでいればいいと。実家にいた時の栄養バランスが取れていた食事の反動で、好きなものばかり食べて数年生活していました」
■「このままでは早死する」医者からの一言でダイエットを決断
ーーそのような食生活を続けていた当時、どのような心境だったのでしょうか?
「仕事のストレスがたまって、食に走ってしまう傾向がありました。食べることでストレスの解消はできていたんですが、どんどん太っていく自分へのコンプレックスは増すばかりで…。会社では『ビア樽』というあだ名で呼ばれていて、内心は傷ついていた。外回りに出ると汗が止まらなくて、取引先の方に『あなた、大丈夫?』と心配されたり。そんなことがある度に、痩せよう痩せようとは思うんですけど、それがすごいストレスで。さらに食に走ってしまう悪循環でした」
ーーほかに、体調面ではどのような影響が?
「結構な負担がかかりました。階段を上るのが、苦しくてつらい。長い距離を歩けない。お肉が付きすぎて股ずれしてしまって、カニさん歩きみたいな変な歩き方になってしまいました。身体も支えきれず、膝にも痛みが出て、これはやばいぞと思って生活していました」
ーーダイエットを決意するのに、決定的な出来事があったのでしょうか?
「23歳で健康診断を受けたときのお医者さんの言葉が衝撃的で『このままでは、早死にするぞ』と3年間で2度言われたんです。まさかこの若さで死ぬと言われるとは思わなくて、まだやりたいこともいっぱいあるのに、どうしようと。その一言がきっかけで、ダイエットする決意が固まりました」
ーー健康診断で、お医者さんの真剣な一言にグサッときた?
「めちゃくちゃグサッときて、死亡宣告をされたような感じでした。製薬会社に勤務していたので、仲の良い内科の先生のところで健康診断を受けていたんですけど、だからなおさらガッツリ言ってくれたんだと思います。本当にショックで、夜も眠れなくなって、この先どうしたらいいんだろうって悶々と考えました」
■74kgの時、自力でのダイエットに限界を感じた
ーー50kgのダイエットを成功させるのは、並々ならぬ努力が必要だと思います。様々なダイエットを試されたそうですが、鈴木さんの身体にもっとも合っていたのはどの方法でしたか?
「本当に色々なダイエットを試して、何回もリバウンドを経験したんですが、最終的に痩せられたのはお医者さんにアドバイスをいただいた糖質オフダイエットでした。それをやってみたら20kgくらいするするっと痩せました」
ーーどんな食生活に変えたのでしょう?
「野菜をたっぷり、タンパク質をしっかりとる。野菜のなかでも根菜類は食べずに、緑のものはたくさんとる。そうすることで、満足感が出ます。タンパク質のお肉とかお魚をしっかりとることで、やつれることなく痩せることができます」
ーー食事の回数は?
「私はやっぱり食いしん坊なので、朝昼晩の3回だとひもじくなってしまって。5回に分けて食べていました。3回は普通の食事を食べて、残り2回は自分でスイーツを作って食べていました。コンビニに行くとヘルシーなおやつが結構売られているので、それを併用して買って食べていました」
ーー体重が停滞したときはありましたか?
「食事でのダイエットを続けましたが、74kgのとき(27歳)に自力のダイエットに限界を感じて。そこで初めてプロの手を借りました。パーソナルジムに通うことを決めて、主に筋トレを教えていただきました。それまで運動は大嫌いでしたが、挑戦したらすごく楽しかったんです」
ーー楽しく続けられたのはなぜだったのでしょうか?
「運動は楽しいものだと認識したくて、まずウェアから、かわいいものを揃えました(笑)。ちょっと着てみて、痩せたらもっとかわいく着れるだろうなと想像して。さらに、自分の食べたもの、体重、ウエストを毎日記録していたことも大きいと思います。毎日自分の身体を見ていたら、だんだんと身体が引き締まっていくのが分かりました」
■「見える化することが大事」ダイエットの経験から得た教訓
ーーモチベーションを保つためにはどんなことをされたのですか?
「数値を記録していくことが、すごく励みになりました。レコーディングダイエットと、よく言いますからね。見える化するのって大事なんだなと実感しました。食事管理だけだと本当に効果が出ているのか分からなくなることもありますが、数値化すればそれが自信になりますから」
ーースイーツのレシピ本『毎日食べてもやせられる!魔法のやせスイーツ』(主婦の友社)も発売されました。料理研究家として様々なメディアに登場されています。MAX体重だった当時、ご自身が料理研究家として歩むことになると想像できていましたか?
「こうなっていることは全く想像していませんでした。いつか食に関われたらいいなというぼんやりしたイメージしかなかったので。こんなに痩せて、レシピ本を書くまでになるなんて…」
ーー50kgのダイエットから、鈴木さんご自身が教訓を得たことは?
「食事が8割なんだなっていうのはしみじみ実感しました。食事ひとつで体重がかわる。同じような見た目でも、ゲッソリ見えるか、肌にハリがあるかで、印象まで変わるので。自分の身体は食で作られていますし、ストイックに進めすぎるとリバウンドもしてしまう。好きなスイーツを楽しみながら、息抜きしつつ進めるのがいいんだなと」
ーー今後はどのようなことを伝えていきたい?
「忙しい日常のなかで過ごされていて、そこでダイエットするとなると負担がかかる。大変かなとも思う。専門家として、簡単でヘルシーでおいしい、そして映える。そんなレシピを発信して、多くの人に笑顔を届けられればと思っています」
■お昼にロールケーキ2本をペロリ「気づいたら97kgになっていた」
鈴木沙織さんは、ダイエット料理研究家として活躍。97kgから47kgまで、50kgのダイエットを実現させ、その経験をもとに「しっかり食べて、楽しく痩せられるレシピ」を発信している。そもそも、なぜ97kgまで増量したのか。当時の食生活は”1日7食生活”。「本当に危ない食生活だった」という。
ーーダイエットを決意される前はどのような食生活を送っていたのでしょうか?
「叔母がパティシエ、父が菓子メーカーで働いていたので、実家では”甘いもの”にまみれていた生活を送っていました。揚げ物も大好きでした。例えばスイーツだったら、お昼にロールケーキを2本食べて、それをご飯替わりに。若い頃は営業をしていたので、外回りの時はコンビニでからあげとコロッケを買って食べちゃう。今考えると、本当に体に悪いんだろうなっていう食生活を続けていました」
ーー家に甘いものがあるのが普通だった?
「昔から実家にはおやつがたくさんありました。叔母の手作りケーキから、父の会社で作られた1.5倍サイズの大きなどら焼きとか。食事の回数は、1日7食。朝昼晩に加えて、10時と3時のおやつ、夕食後、夜寝る前。そういう食生活をずっとやっていたら、気づいたら97kgになってしまったんです」
ーー働いてからは、独り暮らしをしていたとのこと。食生活の自由度は増したのでしょうか?
「そうですね、野菜を食べなくていいんだと(笑)。好きなものだけ食べる生活になりました。朝から菓子パン(400kcal程度)を2つ食べていて、営業に出たら10時のおやつでアイスとプリン、ランチはコンビニでからあげ弁当を食べて…自炊をまったくしなくなってしまいました。スーパーで買ってきたからあげをご飯の上に乗せて、ケチャップをかけた丼を夜食にして、野菜は野菜ジュースさえ飲んでいればいいと。実家にいた時の栄養バランスが取れていた食事の反動で、好きなものばかり食べて数年生活していました」
■「このままでは早死する」医者からの一言でダイエットを決断
ーーそのような食生活を続けていた当時、どのような心境だったのでしょうか?
「仕事のストレスがたまって、食に走ってしまう傾向がありました。食べることでストレスの解消はできていたんですが、どんどん太っていく自分へのコンプレックスは増すばかりで…。会社では『ビア樽』というあだ名で呼ばれていて、内心は傷ついていた。外回りに出ると汗が止まらなくて、取引先の方に『あなた、大丈夫?』と心配されたり。そんなことがある度に、痩せよう痩せようとは思うんですけど、それがすごいストレスで。さらに食に走ってしまう悪循環でした」
ーーほかに、体調面ではどのような影響が?
「結構な負担がかかりました。階段を上るのが、苦しくてつらい。長い距離を歩けない。お肉が付きすぎて股ずれしてしまって、カニさん歩きみたいな変な歩き方になってしまいました。身体も支えきれず、膝にも痛みが出て、これはやばいぞと思って生活していました」
ーーダイエットを決意するのに、決定的な出来事があったのでしょうか?
「23歳で健康診断を受けたときのお医者さんの言葉が衝撃的で『このままでは、早死にするぞ』と3年間で2度言われたんです。まさかこの若さで死ぬと言われるとは思わなくて、まだやりたいこともいっぱいあるのに、どうしようと。その一言がきっかけで、ダイエットする決意が固まりました」
ーー健康診断で、お医者さんの真剣な一言にグサッときた?
「めちゃくちゃグサッときて、死亡宣告をされたような感じでした。製薬会社に勤務していたので、仲の良い内科の先生のところで健康診断を受けていたんですけど、だからなおさらガッツリ言ってくれたんだと思います。本当にショックで、夜も眠れなくなって、この先どうしたらいいんだろうって悶々と考えました」
■74kgの時、自力でのダイエットに限界を感じた
ーー50kgのダイエットを成功させるのは、並々ならぬ努力が必要だと思います。様々なダイエットを試されたそうですが、鈴木さんの身体にもっとも合っていたのはどの方法でしたか?
「本当に色々なダイエットを試して、何回もリバウンドを経験したんですが、最終的に痩せられたのはお医者さんにアドバイスをいただいた糖質オフダイエットでした。それをやってみたら20kgくらいするするっと痩せました」
ーーどんな食生活に変えたのでしょう?
「野菜をたっぷり、タンパク質をしっかりとる。野菜のなかでも根菜類は食べずに、緑のものはたくさんとる。そうすることで、満足感が出ます。タンパク質のお肉とかお魚をしっかりとることで、やつれることなく痩せることができます」
ーー食事の回数は?
「私はやっぱり食いしん坊なので、朝昼晩の3回だとひもじくなってしまって。5回に分けて食べていました。3回は普通の食事を食べて、残り2回は自分でスイーツを作って食べていました。コンビニに行くとヘルシーなおやつが結構売られているので、それを併用して買って食べていました」
ーー体重が停滞したときはありましたか?
「食事でのダイエットを続けましたが、74kgのとき(27歳)に自力のダイエットに限界を感じて。そこで初めてプロの手を借りました。パーソナルジムに通うことを決めて、主に筋トレを教えていただきました。それまで運動は大嫌いでしたが、挑戦したらすごく楽しかったんです」
ーー楽しく続けられたのはなぜだったのでしょうか?
「運動は楽しいものだと認識したくて、まずウェアから、かわいいものを揃えました(笑)。ちょっと着てみて、痩せたらもっとかわいく着れるだろうなと想像して。さらに、自分の食べたもの、体重、ウエストを毎日記録していたことも大きいと思います。毎日自分の身体を見ていたら、だんだんと身体が引き締まっていくのが分かりました」
■「見える化することが大事」ダイエットの経験から得た教訓
ーーモチベーションを保つためにはどんなことをされたのですか?
「数値を記録していくことが、すごく励みになりました。レコーディングダイエットと、よく言いますからね。見える化するのって大事なんだなと実感しました。食事管理だけだと本当に効果が出ているのか分からなくなることもありますが、数値化すればそれが自信になりますから」
ーースイーツのレシピ本『毎日食べてもやせられる!魔法のやせスイーツ』(主婦の友社)も発売されました。料理研究家として様々なメディアに登場されています。MAX体重だった当時、ご自身が料理研究家として歩むことになると想像できていましたか?
「こうなっていることは全く想像していませんでした。いつか食に関われたらいいなというぼんやりしたイメージしかなかったので。こんなに痩せて、レシピ本を書くまでになるなんて…」
ーー50kgのダイエットから、鈴木さんご自身が教訓を得たことは?
「食事が8割なんだなっていうのはしみじみ実感しました。食事ひとつで体重がかわる。同じような見た目でも、ゲッソリ見えるか、肌にハリがあるかで、印象まで変わるので。自分の身体は食で作られていますし、ストイックに進めすぎるとリバウンドもしてしまう。好きなスイーツを楽しみながら、息抜きしつつ進めるのがいいんだなと」
ーー今後はどのようなことを伝えていきたい?
「忙しい日常のなかで過ごされていて、そこでダイエットするとなると負担がかかる。大変かなとも思う。専門家として、簡単でヘルシーでおいしい、そして映える。そんなレシピを発信して、多くの人に笑顔を届けられればと思っています」