藤田光里(左)と原田香里の対談は大盛り上がり(撮影:ALBA)

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2021年3月まで日本女子プロゴルフ協会(JLPGA)の理事を務め、いまは女子ゴルフ界発展のため尽力し、自身のゴルフ向上も目指す、女子プロゴルファーの原田香里。まだまだこれからと話すゴルフ人生、そして女子ゴルフ界についての未来を語る。
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桜の便りがちらほらと届く春になりました。ゴルフを愛するみなさん、こんにちは。原田香里です。
藤田光里さんとの対談シリーズ第3回は、藤田さんがプロ入り前後の話をじっくりとしてくれています。28歳も離れているから当たり前なのですが、私の時代とはずいぶん状況が違う話に改めて驚きました。プロゴルファーと両親の関係、お金のことにも話が及びます。
―2013年に藤田さんがプロ入りした時、原田さんはもう理事でした。原田さんがプロになった1989年とは時代も大きく違います。お二人でその頃のことを振り返っていただけますか?
藤田:プロテストに受かったあと、地元北海道の3試合に推薦で出場させていただきました。それ以上に印象に残っているのはルーキーキャンプですね。天気が悪くて停電したりして過酷でした。
原田:ルーキーキャンプで停電…。あ!恵庭CC(北海道)の時ね。
―ルーキーたちにギャラリー、ボランティア、スタッフやメディアなどを含めた試合の仕組みを体感してもらうために、日本女子プロゴルフ協会(JLPGA)主催の「日本女子プロ選手権コニカミノルタ杯」で96年から行っているのがルーキーキャンプですね。恵庭CCで行われた2013年は、雷雨などの悪天候で最終ラウンドが中止になったんでしたっけ。
原田:そうです。でも首位が2人だったので、プレーオフだけやったんです。イ・ボミさんが6ホールの長いプレーオフの末、比嘉真美子さんに勝った試合ですね。試合に出られない新人たちが、生で試合を裏側から経験するのがルーキーキャンプです。
―藤田さんは2010年、11年のJGAナショナルチーム育成選手だったりして、同期の人たちとは面識があったんですよね?
藤田:私たちの頃はいろいろなことが境目だったんですけど、そのからみで横のつながりはありました。選考合宿に呼ばれたから入っていると思ってました(笑)。最初は中学生のときでしたかね。合宿は「ゴルフ場まで一人で来てください」って言われるんですけど、私と比嘉真美子さんだけ超遠い(笑)。
原田:北海道と沖縄だもんね。
藤田:そうなんです。男女別で、女子はゴルフとトレーニングのほかに、語学やスピーチもありました。
原田:そんな頃なのね。
藤田:(チームに)選んでほしい人はみんな、ものすごく気合が入っていてびっくりしました。例えば、朝5時に集合、って言われたら、その少し前に行けばいいと私は思ってたんです。でも、3時から(ウォーミング)アップしてる人とかいました。
原田:すごい気合だね…。
―前回も少しお話ししていただきましたが、プロになってからのご両親との関係はどんなものですか?
原田:うちは、呼ばないと試合にも来ませんでしたね。私たちの頃は、試合にずっと来ている親御さんはほとんどいませんでした。私は地元が山口県ですが、中国地方や九州などの試合を見に来ていましたね。ほかの選手も、地元の試合に応援に来るくらいが普通だったんじゃないかな。今はだいぶ違うようですが。
藤田:最初のころは、試合に一緒に来ている母が、北海道にいる父に全部、報告していたのでとても窮屈でした。静岡でQTがあった時に、御殿場の男子の試合(三井住友VISA太平洋マスターズ)を見たい、と言った時も「自分の練習しろ」って言われて。朝の6時半から夜まで何度も母に電話がかかってくるんです。
原田:すごい。
藤田:元々、職場に何で親が来るの?って思っていたので(2016年に)父が亡くなった後は「来なくていいよ」と言ったら、母に悲しい顔をされちゃって。「試合見たいんだけど…」って。今までとは違うんだな、と思ってそれなら、いいかって。だから今は、練習ラウンドの時、母は観光に行ったりしています。
―窮屈じゃなくなったんですね。
藤田:そうです。
原田:私も、子供の仕事場に親が来るという感覚がなかったので、理事になってプロテストを担当した頃にはびっくりしました。(プロテストについてきた)親御さんたち向けのルールを作る必要があったくらいです。
藤田:ゴルフをしない人(親)は、平気でジーンズとスニーカーでコースに来たり、クラブハウスのソファを陣取ったりしますもんね。
原田:クラブハウスでお弁当を広げない、とか、ごみを散らかさないとか…。
―うわぁ、そこからですか。大変でしたね。車の運転ができないジュニア時代からついてきた感覚のままなんでしょうね。ところで、お二人はお金の管理ってどうしていますか?
原田:私は父と相談しながらでしたけど、最初から自分で管理しています。
藤田:はじめはぜんぶ父が管理していました。使いたい時にもらう形だったので、いくら振り込まれていたかも知らなかったんです。カードも使っちゃいけないって言われたので、一緒にいる母が全部現金で払ってたんです。
―お二人、全然違いますね。
藤田:賞金をいくら稼いだかも、ウェブサイトの賞金ランキングでしか知らないし、スポンサーからいただくお金もわかっていなかったんです。パソコンだけは、学生の時に貯めていたものから買いましたけど。父が亡くなって初めてカードを使うようになりました。今は、賞金についてはメールでお知らせが来るし、ネットバンキングですからね。
原田:一度ぜひ、通帳記入して眺めてみて。賞金が振り込まれるとニヤッとするから(笑)。頑張ってよかった、って思うよ。
藤田:なるほど。
―早く引退するつもりだった藤田さんですが、今もプロとしてご活躍です。その後、どんなふうに考えるようになったんですか?
藤田:弟も大学を卒業したし、父も亡くなったので、自分のためにゴルフをやろうって思うようになりました。
原田:それはよかった。
―スポットライトを浴びることの多い女子プロ世界。いろいろな話しがあるものですね。次回はどんな話しが…。(続く)
原田香里(はらだ・かおり)
1966年10月27日生まれ、山口県出身。名門・日大ゴルフ部にで腕を磨き1989年のプロテストに合格。92年の「ミズノオープンレディスゴルフトーナメント」でツアー初優勝。93年には「日本女子プロゴルフ選手権大会」、「JLPGA明治乳業カップ年度最優秀女子プロ決定戦」勝利で公式戦2冠を達成。通算7勝。その後は日本女子プロゴルフ協会の運営に尽力し21年3月まで理事を務めた。
藤田光里(ふじた・ひかり)
1994年9月26日生まれ、北海道出身。北海道のアマチュアタイトルを総なめにし、2013年のプロテストに一発合格。同年のQT(予選会)で1位に入り、翌14年にツアーフル参戦で初シード入り。15年の「フジサンケイレディス」でツアー初優勝。その後はケガに悩まされるが、19年のステップ・アップ・ツアー「ユピテル・静岡新聞SBSレディース」で優勝。レギュラーツアー復帰を目指している。
(聞き手・小川淳子)

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