年収が上がるのに比例して、私たちはシアワセになれるのだろうか―?

ある調査によると、幸福度が最も高い年収・800万円(世帯年収1,600万円)までは満足度が上がっていくが、その後はゆるやかに逓減するという。

では実際のところ、どうなのか?

世帯年収3,600万の夫婦、外資系IT企業で働くケンタ(41)と日系金融機関で働く奈美(39)のリアルな生活を覗いてみよう。

◆これまでのあらすじ

米国カリフォルニア州へ移住した奈美とケンタ。想像していたよりも、物価が高く生活水準をもっと上げるために、奈美は就職活動を開始した。しかし、仕事はなかなか見つからず…。

▶前回:「家事や育児だけしていても、虚無感しかない」専業主婦に向かない女たちの悲痛な叫び




Vol.10 家は、賃貸派?購入派?


「いただきます!」

奈美は、アンが入れてくれた紅茶を一口飲むと、にっこりと微笑んだ。

今日は、夫同士が同僚ということで知り合ったアンの家に、翔平と一緒に遊びに来ている。

彼女は、夫と2人の子どもの家族4人で、1年前に移住してきたシンガポール人。早稲田大学への留学経験があり、日本語が堪能だ。

「それにしても素敵なお家ね」

奈美は、白で統一された家具に観葉植物のグリーンが映えるリビングを見まわして言う。

「ありがとう!でも、庭がないタウンハウスだけどね。本当は庭付きの一戸建てがよかったんだけど」

アンは、奈美が手土産で持ってきたアップルパイを食べながら苦笑いを浮かべる。

タウンハウスは、隣の住戸と壁が繋がっている“戸建て風”の集合住宅で、戸建てと比べると価格はお手頃だ。

「ガレージも付いてるし充分すぎるよ!持ち家ってだけで憧れちゃう」

「そんなことないよ。私は、奈美みたいな賃貸アパート暮らしがうらやましいわ」

「えっ、どうして?」


持ち家と賃貸、どっちを選択するのがいいの…!?


「持ち家は、結果的に資産になるでしょ?賃貸の場合、家賃を払い続けても手元に何も残らないから。賃貸アパートに住んでいる方が贅沢だなって」

「確かに…。東京に住んでいたときは、私たちも同じこと考えて、マンション買ったわ」

結婚から移住までの約10年で奈美たちは、2度マンションを購入して、どちらも値崩れせずに売ることができた。諸々の諸経費はあるものの、結果的に、家賃を支払わずに家に住んでいたことになる。

「将来は、この家を売却して、子どもたちの大学費用に充てるつもりよ!」

アンは、お絵かきをして遊ぶ子どもたちを見つめながら言う。

「奈美たちは、家を買わないの?」

「考えなくはないけど…。このあたりって高いよね?学区がいいとかで」

「そうそう!私たちは学区を優先したから、戸建ては諦めたの」

米国では学区のレベルが高い地域は、良い教育を受けさせたい所得の高い親が集まるため、不動産価格が高くなるのだ。

「子どもには、質の高い教育を受けさせたいって思うもんね。私たちは、買うとしても今ではないかな。買っちゃうと身動きがとれなくなるから…」

奈美の心の片隅では、サンフランシスコの求人を見送ったことが引っかかっている。アーバインではなく、米国でも他の都市なら、希望する金融の仕事に就けるのではないか、と淡い期待を抱いているのだ。




「ところで、アンたちは何でアメリカに移住してきたの?」

「夫がアメリカの生活が好きだからよ。こっちの大学に留学したときに、いつかはアメリカに移住するって決めてたみたい」

「アンはそれでよかったの?シンガポールでは、金融機関でバリバリ働いていたけど、仕事辞めて一緒に来たんだよね?」

やや前のめり気味に、奈美は問いかける。

「住んだことが無い国で、これまでとは違う生活をしてみたいなって思ったの。

それにね、シンガポールは受験戦争が加熱し過ぎているから、周りに影響されずに、のびのびと子育てしたいって思いも強かったかな…。とはいえ、アメリカも同じような状況だけど」

「どこの国も受験戦争は加熱してるよね。日本でも同じ。でも、移住者だと一歩引いて冷静になれる部分があるよね。それにアメリカは、色んな価値観をもつ人が混在してるから、子どもは1つの価値観に縛られにくいだろうし」

奈美は、語学学校の教師の話を思い出した。

アメリカの高所得サラリーマン世帯は、“子どもが一流大学を卒業して、大企業に勤務すること”が子育てのゴールだと考え、稼いだお金の大部分を子どもの教育費に注ぎ込んでいるという話だ。

それを聞いた中国人と韓国人のクラスメイトたちも、自分たちの国でも状況は同じだと言っていた。

2人とも子どもの教育のために、移住してきたのだ。アメリカの一流大学を卒業して、世界有数の大企業に勤務して欲しいと願っていると話していた。

「私たちは、翔平が、職業を自由に選択できるできるように、英語も含めて教育したいと思ってアメリカに来たよ」

「そうなんだね。まあ、私には専業主婦が合ってるみたいで、毎日楽しいわ。来てよかったって思ってる」

そう言うアンの目には、まったく迷いがなかった。


この後、ケンタと奈美の意見がぶつかって…!?




アンの家から戻り、奈美は自宅の駐車場に車を止めた。後部座席のチャイルドシートで、翔平は眠ってしまっている。

しばらくそのまま寝かせることにして、奈美は車内で今日のことを思い返していた。

― 持ち家は、結果的に資産になるか…。こっちで私たちも将来家を買うことになるのかな。

ケンタはキャリアップして仕事に邁進している。プリスクールに通う翔平も毎日楽しそうだ。奈美も米国の生活に慣れて、語学学校に通う日々は充実している。

このままアーバインで家を買って生活していくのか、それとも希望の職につける他の場所を見つけるのか。

考え込んでいたら、いつの間にか時刻は20時を過ぎていた。

奈美は翔平を抱きかかえて家に帰り、そのままベッドで寝かしつけた。

「おかえり!」

着替えをしてリビングのソファに座る奈美に、ケンタは声をかける。ケンタはリモートワークを終えたところだ。

「今日はアンの家に遊びに行ってたんでしょ?楽しかった?」

「楽しかったよ!夕飯までご馳走になっちゃった。ねえねえ、アンと話したら、家買ったほうがいいのかな?って、思ったんだけど…」

「確かに…。家賃だけで年間480万かかるから、もったいないよな。かと言って、既に値上がりしてるこのエリアの家の値段が、これからさらに上がるかはわからないし、今が買い時なのかの判断がつかないよな…」

そう言うとケンタは、奈美の隣に座って腕組みをして考えこんだ。




「移住って形で来たけど、異動の希望は2年ごとに出せるから。次の異動希望が出せる時までは、今の生活を続けて、その時がきたら家を買うか判断するのもアリなんじゃない?」

「確かに…、今の段階で判断するのは早すぎるよね。それがいいと思う!」

「うん、そうしよう」と奈美が大きくうなずく。ケンタは何気ない調子で言葉を続ける。

「それにさ、今家を買うとしたら奈美が働いてない分、買える家が限定されちゃうんじゃない?」

その言葉を聞いた瞬間、奈美の表情が凍りついた。

「何、その私のせいみたいな言い方?」

「奈美のせいとは言ってないよ。ただ事実を言っただけ」

周辺の住宅価格は、タウンハウスで1億2,000万円くらいからで、ケンタと奈美が代々木上原で住んでいたマンションと同等かそれ以上だ。つまり、ケンタの言うことは正論なのだ。

しかし、奈美の怒りは収まらない。

「だいたいケンタは、思いやりが無さすぎるよ。私がどんな思いでキャリアを手放したと思ってるの?」

「口を開けば『仕事、仕事』って、いつも聞かされる身にもなってみろよ。一体何のためにアメリカに移住したんだよ。そんなに働きたければ、1人で日本に帰って働けば?」

「確かに、それがいいのかもしれないね…!」

奈美は、涙混じりに言葉を吐き捨てテラスに飛び出した。

涙で滲んだ空を見上げながら、奈美はしばらく1人で考えた。

― 日本ねぇ…。

ケンタの言葉に腹は立ったが、彼が発した「日本に帰る」という言葉が妙にしっくりきたのだ。

結局奈美は、キャリアを中断されたということが今でもずっと引っかかっている。

移住したからには、ここで幸せを見つけないと、と思っていた。でも、本心では、今すぐ日本に帰って仕事をしたいと思っていることに、奈美は気づいてしまったのだ。

― 私、本当に1人で日本に帰ろうかな…。

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