どんなに手を伸ばしても、絶対に届かない相手を想う。

結ばれることのない相手に人生を捧げる、女たちの心情を紐解いていく。

これは、「推し」がいる女たちのストーリー。

◆これまでのあらすじ

推しのK-POPアイドルの結婚をきっかけに、マッチングアプリを始めたスミレ(27)。韓国出身の経営者・ユジュン(31)とマッチングし、さっそく1回目のデートへ。まるで韓流ドラマの王子様のような彼。完全に恋に落ちたと思ったスミレだったが…?

▶前回:恋愛経験ほぼゼロの27歳女が、マッチングアプリをしてみたら。出会ったのは…




K-POPを愛しすぎて暴走する女・スミレ(27)【後編】


彼との2回目のデートでは、品川の水族館へ行くことになった。

― 水族館デートなんて、もうすでにカップルみたい…!

気持ちが舞い上がり、気づけば約束の15分以上前には到着していた。品川プリンスホテルの化粧室で、念入りにメイクを直す。

1回目のデートで、彼は素敵なディナーと花束をプレゼントしてくれた。だからそのお礼に、今日は私がサプライズを用意してきた。

― 喜んでくれるといいなぁ。

いろいろな角度から、鏡に映る自分を見る。

まつ毛はもともと長いほうだが、マスカラを丁寧に重ね塗りして、より力強い目元を演出した。チークは青みピンクをチョイスして、頬の高い位置にふんわりのせる。

そして仕上げに、じんわりと赤色が滲んだグラデーションリップで口元に艶っぽさをプラスした。

メイクの仕上がりに満足して、鏡に映る自分に小さく微笑む。

ふとスマホを確認すると、待ち合わせの時間の3分前になっていた。急いでエスカレーターに乗り、待ち合わせ場所である水族館入口へと小走りで向かう。

180cm超えと長身の彼はひときわ目立っていて、すぐに見つけることができた。私が駆け寄ると、こちらに気づいた彼は小さく手を振ってくれた。

「おはよう、スミレ……ってその大きな荷物、どうしたの?」


彼とのデートに浮かれ気分のスミレ。手にしていた大きな荷物の中身とは……?


その言葉に、苦笑した。

「もうバレちゃったか……。あのね、この前のお礼がしたくて。これ、ユジュンに似合うと思って買ってきたの」

私はサンローランの紙袋を差し出す。中身はカシミヤのタートルネックセーター。これは、推しだったV2のドヒョンが着ていたものとおそろいだ。

「えっ、僕に?絶対高いでしょ……?申し訳ないよ」

「いいのいいの。私が買いたくて買ったんだから。次にデートするとき、着てくれたら嬉しいな」

彼はおずおずと紙袋を受け取り、眉尻を下げて何度も「気を使わせてごめんね、ありがとう」と頭を下げた。それでも気持ちが収まらなかったのか、水族館の帰りに、彼はシャネルのコスメをたくさん買ってくれた。




K-POPアイドルのペン(ファン)をしてた頃は、何十万円貢いでも、せいぜい推しから認知されて一言お礼を言われる程度。でも、彼はこんなに喜んでくれて、プレゼントまでしてくれる。

私は、思いに応えてくれる彼のことをどんどん好きになっていった。

次第に、私の生活はユジュンを中心に回るようになっていた。

しかし、時間に融通の利く私と違って、経営者である彼は忙しい。予定が合わせづらく、なかなか会えない。

もどかしさが募り、私は彼のSNSを日常的にチェックするようになった。

相互フォローし合っているInstagramではすべての投稿にハートを押し、こっそり探し出したTwitterは裏アカウントからフォロー。

彼のフォローとフォロワーにはくまなく目を通して、いいね欄も逐一確認した。

― あ、新しい香水載せてる。どこのブランドだろう……?私も同じもの買っちゃおう。

こうして、彼が身に着けているものはすべて特定し、ユニセックスなアイテムはおそろいで持てるようにすぐ購入。そして、自分のInstagramのストーリーにさりげなく上げてみる。

ストーリーの既読を確認するたび、つい笑みがこぼれた。

― おそろいのアイテムだって気づいてくれたかな?LINEくれるかな?

淡い期待を胸にスマホをぎゅっと握りしめる。しかし、彼からの連絡はない。それどころか連絡の回数が激減し、最近は返事が3日に1回くらいしか来ない。

2週間ほど前、3回目のデートで軽くカフェに行ったきり、次のデートの約束もできていない。忙しいのはわかるけれど、さすがに寂しい。

リモートワークをいいことに、仕事中でもお構いなく数分おきにSNSをチェックしては、彼に会いたい気持ちを募らせた。

「あ、このお店って……」

いつものようにSNSを見ていると、彼がTwitterで「ランチしてる」と写真付きでつぶやいているのを発見した。

その店は、私が住む東新宿駅から徒歩7〜8分ほどのところにあるイタリアン。どうやらひとりでランチをしているようだ。

― いま家を出たら間に合うかな……?

今日はミーティングもなく、すっぴんで髪もボサボサ。それでも、大急ぎで支度をすれば20分ほどで出られそうだ。

私はすぐに自宅の作業用デスクから離れ、超特急で身支度を始めた。



「え、スミレ!?どうしたの!」

読書をしていた彼を見つけて声をかけると、とても驚いているように見えた。

「私、この近くに住んでいて。たまたま店の前を通りかかったら、窓からユジュンらしき人が見えて……来ちゃった」

さすがに、裏アカウントからフォローしているTwitterの投稿を見て、とは言えない。

「……そうなんだ、すごい偶然だね。せっかくだし、お茶でも飲んでいく?」

彼がメニューを差し出し、微笑みかけてくれる。私は、飛び上がりたくなるような喜びの感情を抑え、大きくうなずいた。

― めっちゃ急いで支度してきてよかった〜!

お店にいた小1時間、彼は終始、笑顔で話を聞いてくれた。会えなかった時間を埋めるように、私は必死で話した。

笑顔の裏に隠された、彼の本心に気づくこともなく……。


彼との久々の再会に喜ぶスミレだったが、地獄に突き落とされる出来事が……


「今日は急にごめんね。会えて嬉しかったよ」

家に帰ってすぐ、彼にLINEをする。既読はすぐについたけれど、そこからなかなか返事が来ない。

いつもなら3日待てば「返事遅くなってごめん」と連絡をくれる。それなのに、5日待っても1週間待っても、彼からの返事はなかった。

― どうしたんだろう……。Twitterを監視しているのがバレちゃったかな?あの日、行かないほうがよかったかな?

悶々と自問自答を繰り返しては、不安を募らせる日々が続いた。

……そして、10日が経ったころ、事件は起こった。

「え!?」

帰宅後にシャワーを浴び、メディヒールのパックをしながら彼のInstagramをチェックしていたときのこと。

驚きの投稿を目の当たりにし、私は思わず声を上げた。

「これ、絶対女じゃん……!」

問題の投稿は、ストーリーにアップされていた代々木上原『セララバアド』での食事中の様子。料理の向こう側に、白いトップスを着た女性のようなシルエットが映りこんでいた。

さらによく見ると、女性ものと思われるディオールのスマホケースが向かい側に置かれている。

― これって匂わせ?私への当てつけ!?

私は、頭にカッと血が上り、ストーリーをスクショして「これ誰?」というメッセージとともにLINEで彼に送った。

すぐに既読になったものの、返事はいくら待ってもこなかった。

数時間が経ち、冷静さを取り戻すと、さっきの行動は衝動的すぎたかもしれないと思えてきた。

あの女性は仕事関係の人かもしれないし、友人だったのかもしれない。なにより、私はまだ彼の彼女ではない。彼が誰と食事をしようが、口を出す権利は微塵もないのだ。

我に返り、慌てて送ったメッセージを取り消した。

そして「さっきのLINEはなんでもないから、気にしないで!」と追加でメッセージを送る。

深夜3時まで連絡を待ったが、メッセージは既読にさえならなかった。




「……うそ」

朝起きてすぐ、いつものようにInstagramを開いたがユジュンの投稿が見当たらない。不審に思い、彼のプロフィールページにアクセスすると、「投稿がありません」と表示されていた。

― ブロックされた……!?

私は愕然とし、すぐにLINEを確認した。昨日送ったメッセージは、未だ既読になっていない。

― もしかして、LINEもすでにブロックされてる……?

昨夜の自分の行動を心底悔いた。まさか、たった1通のLINEで彼に嫌われてしまうなんて…。

あまりの衝撃に耐えきれず、友人の早苗に電話をかけた。

『おはよう〜朝からどうしたの?』

少し眠そうな彼女の声を聞いた瞬間、安心したのかどっと涙があふれた。

「早苗ぇ、聞いてよぉぉ!」

突然泣き出した私に、早苗は戸惑っているようだった。

彼女には「素敵な人と出会えた」ということまでしか話しておらず、ちゃんと付き合えたら報告しようと思っていた。だから、出会いから今日に至るまでの話を、一つひとつ丁寧に説明する必要があった。

私の話に、彼女は静かに相づちを打つ。

20分ほどかけて一部始終を話し終えると、早苗は冷静な口調で諭すように話し始めた。


早苗が言い放った核心をつくひと言に、スミレは…


『スミレ。それは好きな人に対する愛情表現じゃなくて、もはや“推し活”だよ』

何を言っているのかよく理解できず、早苗の言葉にぽかんとする。

『推しとファンの関係だったら、いくら愛情を注いでも拒絶されることはないと思う。むしろ良いファンと思われるかもしれない。でも、男女の恋愛においては、そうじゃない。相手の気持ちを考えずに、愛情を表現し続けることは、ただの押し付けだよ』

早苗の言葉に、ぐうの音も出ない。

考えてみれば、ユジュンの気持ちに気づくタイミングはいくらでもあったのかもしれない。

でも、私は彼が出していたサインをすべてスルーし、感情のまま突っ走ってしまった。




「思い返すと、私、彼に恥ずかしい行動いっぱいしてた……。ほんと、黒歴史だわ。穴があったら入りたい……」

スマホを片手に、頭を抱える。彼に対する言動を一つひとつ思い出し、大声で叫びたくなる。

意気消沈している私に対して、早苗はすかさずフォローを入れてくれた。

『思いの伝え方はともかく、やっとリアルで好きな人ができただけでも成長だよ。この経験を生かして、次の恋を頑張ろうよ』

しかし、私は彼女の言葉にすぐに「うん」と言えず、少し沈黙した。

「……早苗の言うとおり、ユジュンは私にとって“好きな人”じゃなくて、”推し”だったんだと思う。一方的に追いかけていただけで、彼への思いやりの気持ちとかコミュニケーションが欠けていたなって。恋愛って難しいね……」

今までは、付き合っても好きになりきれずに別れるという、中途半端な恋愛ばかりしてきた私。今回はやっと人を好きになれたと思ったのに。

― 正直、ユジュンのことはまだつらいけど……次にリアルで好きになれる人ができたら、ちゃんと恋愛がしたいな。

電話を切り、再びベッドに倒れこむ。

今日は、新大久保にひとりでサムギョプサルでも食べに行こうかな。

そんなことを考えながら、私はそっと目を閉じた。

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推しの“親族”とつながろうとする女が登場