朴正煕政権時代に韓国の情報機関である中央情報部(KCIA)の部長や、国務総理(首相)を務め、韓国政界のドンとして君臨してきた金鍾泌(キム・ジョンピル)氏が、崔順実ゲートで窮地に陥る朴槿恵(パク・クネ)大統領に関して重い口を開いた。

金鍾泌氏は、韓国軍の中隊長を務めていた1951年、同僚だった朴槿恵氏の父である朴正煕氏から朴栄玉(パク・ヨンオク)氏を紹介され、結婚。つまり、朴大統領のいとこの夫に当たる人物だ。彼女を操ってきたと言われている崔順実(チェ・スンシル)氏の父・崔太敏(チェ・テミン)氏と朴大統領の関係もよく知る人物だ。

韓国の週刊誌「時事ジャーナル」とのインタビューのなかで、金鍾泌氏は朴槿恵大統領の性格について次のように語った。

「私の話を全く聞こうとしない。彼女は死んでも辞任しないだろう。あの我の強さは誰にもどうしようもない」

さらに、「誰が何を言っても無駄だ。5000万の国民が押し寄せて『お前なんか大統領じゃない、辞めろ!』と言っても、大統領の地位に居座るだろう。一度言い出したら誰も止められない」と述べる。

朴槿恵退陣を求める集会に、史上最大の126万人(ソウル市推計)が参加した。それでも、そう簡単には辞任しないだろうというのだ。

ここまでの朴大統領の我の強さはどこから来たのだろうか。金鍾泌氏は「両親から悪いところばかりを受け継いだ」としながら、父の朴正熙(パク・チョンヒ)と母の陸英修(ユク・ヨンス)氏までもこき下ろす。

「父親は弱くて疑い深い人だった。母親は慈悲深い国母というイメージがあるが、それは作られたもの。実像は欲深くて人のありがたみを知らない女性だった」

朴大統領と、崔太敏氏との出会いについては、次のように語った。

「とても貧しい人のふりをして槿恵に会った。彼女はかわいそうに思ったのだろう。それで非常に密接な関係となった。槿恵は彼(崔太敏)の言いなりになっていた。何をやっていたのかわかっていなかった」

「私の話も、両親の話も聞こうとしなかった。あの崔太敏とか言う、半分狂ったやつと仲がよく、二人で部屋に入ったっきり出てこようとしなかった」

朴槿恵氏と崔太敏氏の関係を心配した朴正煕大統領が、金載圭(キム・ジェギュ)中央情報部長に調査を指示したことは有名な話だが、それに対して朴槿恵氏は「やれるものならやってみなさい」と叫び大騒ぎした。金鍾泌氏は「そんなのが今はすっかり大統領だ。笑わせる」と述べた。

一方、朴槿恵氏と崔順実氏の関係については「二人が何のために接触したのかは、知る由もない」としつつも「崔太敏の娘だから、信頼して、頼み事をしたりしていた」と述べた。

さらに「朴槿恵氏と崔太敏氏の間に隠し子がいる」と金鍾泌氏が語ったとの話については「何のことだ。そんなことを言うわけがない」「崔太敏は70歳を過ぎていたから、子どもを生めない体だった」と強く否定した。