アグネス・ラム(※写真はイメージです)

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今年、民進党の新代表に就任した蓮舫。彼女が、グラビアアイドルの登竜門とされる「クラリオンガール」の出身だったということは、グラビア好きの間ではよく知られている。
では、歴代クラリオンガールとはどのような人がいたのか、その栄光と今を検証してみよう。

「クラリオンガール」とは?


「クラリオンガール」とは、カーオーディオメーカーの「クラリオン」社が約30年にわたり選出してきたキャンペーンガールのこと。水着審査によるグラビアアイドル的な要素が重視され、一時は芸能界の登竜門とされるほどの存在だった。
以下、歴代31人のクラリオンガールから、印象的な5人をあげてみよう。

第1回(75年) アグネス・ラム


彼女の存在が、クラリオンガールの水準と方向性を決定づけたといえるだろう。中国人の父とハワイ人の母を持つハーフで、つぶらな瞳、小麦色の肌、豊かなバストで一世を風靡、「アグネス・ラムフィーバー」を巻き起こした。
結婚後は芸能界を引退しハワイに帰国。だがその後も、往年の写真集が再発売されるなど、伝説的人気が衰えることはない。

第6回(80年) 烏丸せつこ


女優として最も大成したのがこの人。デビュー直後から惜しみなくセミヌードを披露。80年に映画『四季・奈津子』では主役に抜擢され、映画やテレビドラマで順調にキャリアを重ねる。
いっぽう奔放な私生活でも知られ、81年に不倫のすえ略奪婚。その後離婚するも、14年には再び不倫のすえ略奪婚を果たす。

第11回(85年) 宮崎ますみ


83年に映画『アイコ十六歳』でデビューした宮崎は、その後映画『XX美しき凶器』や写真集『XX-HOLY BODY』でヌードを披露。Vシネマブームやヘアヌードブームを牽引する存在となった。
05年に乳がんであることを告白するが、それをきっかけに健康志向に目覚め、現在はヒプノセラピストとしても活躍している。

第14回(88年) 蓮舫


台湾人の父と日本人の母を持つハーフ。クラリオンガール選出後は、早い時期にグラビア活動を封印。報道番組のキャスターに抜擢され、ジャーナリストとしてのキャリアを重ねていく。
04年に参議院に初当選した後は、民主党政権時代に特命担当大臣を務め、事業仕分けでは「必殺仕分け人」に。「2位じゃダメなんでしょうか」の流行語も生み出した。

第21回(95年) 原千晶


グラビアのほか、ドラマやバラエティーだけでなく、アロマインストラクターの資格も取得し、手作り石けんのブランドを立ち上げるなど、多方面で活躍を見せる。
だが05年に子宮頸がんを患い、子宮を全摘出することに。過酷な抗がん剤治療を経て、現在は女性特有のがんの啓蒙活動にも携わっている。

「政界進出」「略奪婚」「闘病」など、その後のさまざまな人生模様で、話題を提供してきたクラリオンガールたち。グラビア冬の時代と言われて久しいが、また彼女たちのような健康的な肢体がお茶の間に現れる日を待ちたい。
(青木ポンチ)

※イメージ画像はamazonよりアグネス ラム/I AM AGNES LUM/アグネス ラムです Extra tracks, Original recording remastered