「裸にエプロン姿」も話題になったソニン、どんな仕事でもガッつく「ガツドル」を確立!?

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一般的な女性アイドルのイメージといえば、「守ってあげたくなるようなか弱い存在」といったところでしょうか。
その前提からすると、ソニンは真逆。ガツガツしていて、何でもやるアイドルという意味で「ガツドル」などと呼ばれたこともありました。
確かに、アイドルらしくはありません。しかし彼女のそこに至るまでの経歴を思うと、逆境に屈することなく、与えられたタスクを全力で全うする様は、持ち前の筋骨隆々な身体と相まって、逞しく生きることの美しさを体現しているようでした。

モー娘。オーディション不合格後に、スカウトされたソニン


彼女が芸能界デビューのきっかけを掴んだのは、1999年。モーニング娘。の第2回追加メンバーオーディションを受けた時のことです。後藤真希が全てをかっさらっていった同コンペティションにおいて、ソニンは惜しくも落選。
しかし、捨てる神あれば拾う神あり。当時、モー娘。のマネージャーを務めていた和田薫にスカウトされ、晴れて芸能界入りし、2000年1月には新ユニットEE JUMPの一員となります。

デビューシングルのPV制作費は破格の3億円だったEE JUMP


EE JUMPは、後藤真希の弟であるユウキ、カナダ人とのハーフのケン、そしてソニンの3人組。途中ケンが「プロサッカー選手になりたい」と言って脱退するも、残った2人でCDデビューを果たします。ちなみに、1stシングル「LOVE IS ENERGY!」のPV制作費は3億円という、新人歌手としては破格の予算。それだけEE JUMPは必勝を期したプロジェクトだったのです。
絶対に売らなければならない……。そんな想いからマネージャーの和田は、デビューしたばかりの2人をよく叱責していたといいます。大人として、業界の先輩として、芸能界で生きていくことの厳しさを早いうちから叩き込んでおくというスタンスは、決して間違いではありません。けれどもこのスパルタ指導は、元々ガッツのあるソニンにはいいとして、小中学校で既に手の付けられない問題児だったユウキには逆効果でした。

相方ユウキが脱走⇒キャバクラ豪遊、窮地に立たされるソニン


ある時、それまで溜め込んでいたルサンチマンが一気に爆発したこのゴマキの実弟は、女性マネージャーを殴り飛ばして、宿泊していたホテルから脱走。翌日に予定していたCDショップのドサ回り巡業をすっぽかして、友人と遊びにいってしまうのです。
残されたソニンは次の日、一人でイベントに出演。その後も、単独でコツコツと仕事をこなしていきます。これが彼女に訪れた最初の試練でした。

なおも受難は続きます。3ヶ月の謹慎を終えて戻ってきたユウキが、今度は新宿歌舞伎町のキャバクラでジャニーズJr.の友人と酒を飲んで豪遊していたことが発覚。これにより彼は、事務所を解雇及び芸能界から追放。
CM出演やアルバムの発売も決まっていたのに全てパーになっただけでなく、EE JUMPは事実上の解散となってしまったのです。

ソニンが裸にエプロンという格好に ナイスバディを披露!


自分は何も悪くないのに、活動の拠点ともいうべきユニットを失った哀れなソニン。普通ならここで腐ってしまいそうなものですが、彼女は立ち止まりませんでした。
EE JUMP解散の4ヶ月後、ソニンはつんく♂プロデュースの楽曲『カレーライスの女』をひっさげて、本格的にソロ歌手として始動。この時話題を呼んだのが、彼女の衣装。裸にエプロンというあられもない姿を披露し、実はグラビアアイドル顔負けの豊満なボディを隠し持っていたことを明らかにしたのです。

これ以降も、バストを強調した格好で歌番組やバラエティに出演し続けたソニンには、「使えるものは全部つかってやろう」的な居直りに似た力強さがありました。
「ガツドル」と呼ばれ始めたのは、まさにこの時期。番組内容に関わらず、なんでも健気にがんばる彼女に、共演するタレントたちは皆、おしんやアンネ・フランクを見るような温かさと慈しみを帯びた眼差しを向けていたものです。

今ではテレビから距離を置き、舞台女優として活動しているソニン。彼女のような特異な経歴をもつアイドルは、今後なかなかお目にかかれないでしょう。
(こじへい)

※イメージ画像はamazonよりおっととっと夏だぜ! Maxi