藤田伸二「特別模範男」

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「しかるべきタイミングが来たら、俺は俺らしく、静かに鞭(ステッキ)を置くつもりだから。」

 ベストセラーとなった「騎手の一分」(講談社現代新書)の文である。あれから2年後。この本の著者であり、JRAを代表する騎手である藤田伸二が引退した。9月6日のレース後に騎手免許の取り消し申請を突然提出し去っていった。

「男・電撃引退 G1・17勝突然すぎる」(スポーツ報知)、「藤田電撃引退 ファンから愛された個性派」(日刊スポーツ)

 スポーツ紙は引退を大きく伝える。いったい何があったのか。

「JRA藤田騎手「電撃引退」の真相」と見出しできたのは東京スポーツだった。《前代未聞の電撃的な幕引きとなったが、集まった報道陣にコメントすることなく札幌競馬場を後にした。》

 代わってファンに対してはインターネットの競馬サイトに「引退メッセージ」をアップ。

《同文にはエージェント制による騎乗機会の減少や、地方出身者や外国人騎手の活躍が顕著な近年の流れに対する不満を吐露。「エージェントにより、リーディングの順番が年頭から決まっているような世界。何が面白いのか? 2、3年前から疑問を抱くようになり、競馬に対するモチベーションが無くなっていました」(原文まま)と胸中を明かしている。》

●自著でたびたび「エージェント制度」を批判していた藤田騎手

 2006年に制度化された「エージェント制」については先ほどの著書でも藤田騎手は繰り返し述べていた。

《エージェント制度というのは、騎手と契約した競馬専門紙の記者などが、騎手に代わって厩舎回りをしながら。いつ(レース)、どの馬に誰(騎手)を乗せるか、決めるしくみのこと。》

 藤田騎手曰く、この制度が導入されるまでは、騎手自らが「なんとか強い馬に乗せてもらいたい」と必死に厩舎回りをこなして自分でスケジュール管理をしていた。その結果、若い騎手を育てようという気運が出て「若い騎手は思い切って乗ることができたし、それによってジョッキーは成長することができた」という。

 しかし現在はあっさり外国人騎手などへの乗り替わり(交代)が頻繁に行われるようになって「若い騎手が目先の結果ばかりを気にして、思い切った騎乗ができなくなったら、成長することもできない」と藤田は書く。有力なエージェントを確保できた騎手に有力馬が集まるようになった。

《俺がつまらないのは、エージョントの実績や力加減、契約している騎手の序列を見れば、毎年1月1日の段階で誰がその年のリーディングを取るか、だいたい見当がついてしまうってことだ。》(「騎手の一分」)

 この本を読んだとき、藤田騎手は言わば昔ながらの「職人」なんだろうと感じた。騎手の技術や駆け引き、濃密な人間関係こそ大事にしていたのに、エージェント制ができてから希薄になったと憂いているのだ。逆にエージェント制度のメリットは人によっては「合理的でしがらみからの解放」だったのかもしれない。

 これらの意見を遠慮なく言う藤田騎手を煙たく思う人も多いだろうし、だからこそファン人気もあったのだと容易にわかる。1人の騎手の引退に際してあらためて注目された「エージェント制度」。メリット・デメリットについて教えてくれる記事があれば便利だった。スポーツ紙でもなかなかツッコめない案件なのだろうか。

 以上、今週ザワッとしたニュースでした。

著者プロフィール

お笑い芸人(オフィス北野所属)

プチ鹿島

時事ネタと見立てを得意とするお笑い芸人。「東京ポッド許可局」、「荒川強啓ディ・キャッチ!」(ともにTBSラジオ)、「キックス」(YBSラジオ)、「午後まり」(NHKラジオ第一)出演中。近著に「教養としてのプロレス」(双葉新書)。