原宿や下北沢などを歩いていると、こんなカッコをした女性を目にすることはないだろうか? 頭には、夏なら昔の中年男性のようなちょっと古くさい麦わら帽子、冬ならニット帽。上半身は、シャツやTシャツの重ね着が基本で、シルエットはゆるゆる。スカートはほとんど履かず、ズボンやスパッツ。そして全体的に黒やグレー、茶系などの落ち着いたカラーで統一している。

 女性ファッション誌で例えると、『JJ』や『ViVi』などのギャル系ではなく、『SEDA』や『Spring』などに出ていそうな女性たちだ。女性らしいシルエットの服も着ないし、肌を露出することはむしろ避ける傾向がある。

 『下流社会』などを執筆するマーケティング・アナリストの三浦展氏によると、こういう女性は「かまやつ女」というらしい。要するに、ミュージシャンの「かまやつひろし」を彷彿とさせるようなファッションをした女性というわけだ。三浦氏によると、こうした「かまやつ女」が最近、増えているという。

 そして、こうした女性が増える背景には、女性格差社会が到来したことを意味するとか。女性の社会進出が当たり前になり、お金も権力も美貌も手に入れた女性はいまや珍しくない。そんな女性を目の当たりにした「かまやつ女」たちは、自分にはとても太刀打ちできないと感じてしまったのだ。美しさを保つためには、努力もお金もかかる。あるいは、そんなの自分らしい生き方じゃないわと、努力することをやめてしまった。

 その結果、楽な方、楽な方にと格好が向かっていき、男性を意識しないようなファッションができあがったのだ。自分らしさという幻想の果てに・・・。

 昨年、電車男が話題となってオタクが脚光を浴びたが、なぜオタクがモテないかというと、モテようと努力しないからだ。モテることに興味がないのかもしれないが、一方でありのままの自分を愛してくれる人がいつか出てくるのではないかと、幻想を抱いていたりする。でも、そんな人を待っているだけなんて・・・。過剰な演出をする必要はないが、多少の努力は必要だと思うぞ。

 ファッションは時代を映す鏡。こうして考えると「かまやつ女」はオタクな女性の典型で、彼女たちが増えている背景もなんとなく分かるような気がする。もちろん「かまやつ女」なんて個人的にはまっぴらゴメンなんだけど。男も女も似たり寄ったりということなのかもしれない。(梅中伸介/verb)



「かまやつ女」の時代―女性格差社会の到来 -livedoor ブックス