ライオンズ、消滅?
西武ホールディングス(HD)の筆頭株主である米投資ファンドのサーベラスはこのほど、保有株式を3分の1以上に引き上げるため、株式公開買い付け(TOB)を実施すると発表した。現在の保有比率32.4%から、最大で36.4%を目指す。保有比率3分の1以上を握ると、株主総会で減資や合併などを決める特別決議を拒否することができる。TOBの期間は、12日から4月23日。
西武HDとサーベラスは、昨年12月の東証1部上場を目指して準備を進めてきたが、売り出し価格をめぐる思惑の差が表面化。一部証券会社の算定では1株あたり1,000〜1,500円だったが、サーベラスは2,000〜2,500円を想定していた。
これを受けサーベラスは、売り出し価格を引き上げに注力。西武HDに、西武多摩川線、秩父線など不採算路線の廃止、プリンスホテルのサービス料の10〜20%の引き上げ、JR品川駅周辺の再開発案の策定、経営陣の交代など、リストラ策を提案していた。
該当する路線にお住まいの方には不安なニュースだが、プロ野球ファンとしては埼玉西武ライオンズの行方が心配だ。 ライオンズは、西武HD傘下の事業会社である西武鉄道の連結子会社だ。
西武HDは、有価証券報告書の虚偽記載問題による上場廃止からグループ再編に尽力。その過程で球団を、グループ再興のシンボルに位置付けた。
球団も、経営改革に着手。球団名に「埼玉」を冠するなどの地域密着、「ライオンズ・クラシック」に代表されるオールドファンの開拓などを進めてきた。一部では、収益体質も整ったと聞いている。
そんな中での今回のTOB実施だが、株式保有率の3分の1以上を確保したサーベラスが、米メジャーリーグに比べ収益性が乏しい日本球界に嫌気が差すことも考えられる。
もちろん、サーベラスがメジャーを手本に、球団のいっそうの体質強化を図る可能性もある。だが、不採算ということで路線の廃止を持ちかける投資ファンドだ。どうも嫌な予感がするのは、はたしてボクだけだろうか。
企業が球団を手放すのは、ある日突然ではない。必ず予兆がある。西日本鉄道が昭和47年、ライオンズの前身である西鉄ライオンズを手放したときもそうだった。
西鉄ライオンズの消滅は44年に勃発した八百長事件、黒い霧事件がきっかけと思われがちだが、この事件も球団消滅の一因に過ぎない。西鉄は事件以前に、球団運営のモチベーションを失っていた。
九州一帯に鉄道路線を張り巡らせようよしていた西鉄だったが、30年代前半に市場環境が一変。戦後復興に伴う道路網の整備、石油の自由販売などで、バス事業が台頭した。
本業の鉄道事業では、高度経済成長に伴い、輸送力の強化が求められていた。西鉄もそれに応え投資はするものの、なかなか利益を確保できずにいた。
一方この頃の九州地方では、主要産業だった石炭産業が急速に縮小。鉱山の休・閉山が相次ぎ、西鉄の鉄道事業に大ダメージを与えた。
これらの市場環境の変化から西鉄は36年、グループ再編に着手した。新規の旅客獲得を狙い、観光事業を強化。子会社のライオンズを観光・旅客誘致事業に位置付けた。
一見、球団が注力事業に位置付けられたと思われるが、実態はそうではない。ライオンズは当初、「本物のプロ野球を提供することで、福岡市民をはじめ西鉄電車を利用する客に利益を還元する、サービスをする」という思想で設立された。グループ再編は、設立当時の思想を改めるものだった。
親会社の営業ツールになったライオンズだったが、はたしてその期待に応えることはできなかった。31、32、33年に日本シリーズ3連覇を果たしたが、この頃にはチームも弱体化。本拠地である平和台球場にも空席が目立ち、球団は毎年、当時の価値で4,000〜5,000万円の赤字を計上していた。
その結果、球団は営業ツールからリストラの対象に成り下がった。
何とかして収益を確保し親会社を見返したい球団だったが、まさに貧すれば鈍する。親会社からまともな援助が期待できないのだから、その場しのぎの対応しかできなかった。
最初の対策は、監督・中西太、助監督・豊田泰光、コーチ・稲尾和久の青年内閣の組閣だ。
スター選手が指揮を取ることで注目を集めようとしたが、就任当時の36年、中西28歳、豊田27歳、稲尾24歳と、指導者としての経験はあまりにも乏しかった。
そんな球団の場当たり的な対策に嫌気が差した豊田は、翌37年に助監督を辞任。オフには国鉄スワローズ(現在の東京ヤクルトスワローズ)に金銭トレードされたが、球団は経費削減と臨時収入を得る豊田方式を味をしめた。
41年に田中久寿男、42年に高倉照幸を読売ジャイアンツに金銭トレード。いずれも、黄金時代を支えた選手だ。中西の前監督で、球団常務をしていた川崎徳次も、投手コーチ就任の要請があった阪神タイガースに譲った。
しまいには、稲尾すらも放出しようとした。はたして球団マネジャーの藤本哲男の涙ながらの懇願で実現はしなかったが、ライオンズは蛸が自らの足を食べるように、崩壊していった。
そして、44年の八百長事件だ。この事件をきっかけに西鉄の球団売却はいっきに加速するのだが、仮に事件が起きなかったとしても、遠からず西鉄ライオンズは消滅していただろう。
繰り返すが、球団売却はある日突然に起きるものではない。水面下で進み、満を持して表面に出る。われわれファンが知ったときには、もう遅いのだ。
これを防ぐには、ファンは球場に足を運び、球団が儲かる企業であることを、親会社に示すしかない。
西武HDとサーベラスは、昨年12月の東証1部上場を目指して準備を進めてきたが、売り出し価格をめぐる思惑の差が表面化。一部証券会社の算定では1株あたり1,000〜1,500円だったが、サーベラスは2,000〜2,500円を想定していた。
これを受けサーベラスは、売り出し価格を引き上げに注力。西武HDに、西武多摩川線、秩父線など不採算路線の廃止、プリンスホテルのサービス料の10〜20%の引き上げ、JR品川駅周辺の再開発案の策定、経営陣の交代など、リストラ策を提案していた。
西武HDは、有価証券報告書の虚偽記載問題による上場廃止からグループ再編に尽力。その過程で球団を、グループ再興のシンボルに位置付けた。
球団も、経営改革に着手。球団名に「埼玉」を冠するなどの地域密着、「ライオンズ・クラシック」に代表されるオールドファンの開拓などを進めてきた。一部では、収益体質も整ったと聞いている。
そんな中での今回のTOB実施だが、株式保有率の3分の1以上を確保したサーベラスが、米メジャーリーグに比べ収益性が乏しい日本球界に嫌気が差すことも考えられる。
もちろん、サーベラスがメジャーを手本に、球団のいっそうの体質強化を図る可能性もある。だが、不採算ということで路線の廃止を持ちかける投資ファンドだ。どうも嫌な予感がするのは、はたしてボクだけだろうか。
企業が球団を手放すのは、ある日突然ではない。必ず予兆がある。西日本鉄道が昭和47年、ライオンズの前身である西鉄ライオンズを手放したときもそうだった。
西鉄ライオンズの消滅は44年に勃発した八百長事件、黒い霧事件がきっかけと思われがちだが、この事件も球団消滅の一因に過ぎない。西鉄は事件以前に、球団運営のモチベーションを失っていた。
九州一帯に鉄道路線を張り巡らせようよしていた西鉄だったが、30年代前半に市場環境が一変。戦後復興に伴う道路網の整備、石油の自由販売などで、バス事業が台頭した。
本業の鉄道事業では、高度経済成長に伴い、輸送力の強化が求められていた。西鉄もそれに応え投資はするものの、なかなか利益を確保できずにいた。
一方この頃の九州地方では、主要産業だった石炭産業が急速に縮小。鉱山の休・閉山が相次ぎ、西鉄の鉄道事業に大ダメージを与えた。
これらの市場環境の変化から西鉄は36年、グループ再編に着手した。新規の旅客獲得を狙い、観光事業を強化。子会社のライオンズを観光・旅客誘致事業に位置付けた。
一見、球団が注力事業に位置付けられたと思われるが、実態はそうではない。ライオンズは当初、「本物のプロ野球を提供することで、福岡市民をはじめ西鉄電車を利用する客に利益を還元する、サービスをする」という思想で設立された。グループ再編は、設立当時の思想を改めるものだった。
親会社の営業ツールになったライオンズだったが、はたしてその期待に応えることはできなかった。31、32、33年に日本シリーズ3連覇を果たしたが、この頃にはチームも弱体化。本拠地である平和台球場にも空席が目立ち、球団は毎年、当時の価値で4,000〜5,000万円の赤字を計上していた。
その結果、球団は営業ツールからリストラの対象に成り下がった。
何とかして収益を確保し親会社を見返したい球団だったが、まさに貧すれば鈍する。親会社からまともな援助が期待できないのだから、その場しのぎの対応しかできなかった。
最初の対策は、監督・中西太、助監督・豊田泰光、コーチ・稲尾和久の青年内閣の組閣だ。
スター選手が指揮を取ることで注目を集めようとしたが、就任当時の36年、中西28歳、豊田27歳、稲尾24歳と、指導者としての経験はあまりにも乏しかった。
そんな球団の場当たり的な対策に嫌気が差した豊田は、翌37年に助監督を辞任。オフには国鉄スワローズ(現在の東京ヤクルトスワローズ)に金銭トレードされたが、球団は経費削減と臨時収入を得る豊田方式を味をしめた。
41年に田中久寿男、42年に高倉照幸を読売ジャイアンツに金銭トレード。いずれも、黄金時代を支えた選手だ。中西の前監督で、球団常務をしていた川崎徳次も、投手コーチ就任の要請があった阪神タイガースに譲った。
しまいには、稲尾すらも放出しようとした。はたして球団マネジャーの藤本哲男の涙ながらの懇願で実現はしなかったが、ライオンズは蛸が自らの足を食べるように、崩壊していった。
そして、44年の八百長事件だ。この事件をきっかけに西鉄の球団売却はいっきに加速するのだが、仮に事件が起きなかったとしても、遠からず西鉄ライオンズは消滅していただろう。
繰り返すが、球団売却はある日突然に起きるものではない。水面下で進み、満を持して表面に出る。われわれファンが知ったときには、もう遅いのだ。
これを防ぐには、ファンは球場に足を運び、球団が儲かる企業であることを、親会社に示すしかない。
バックスクリーンの下で 〜For All of Baseball Supporters〜
野球は目の前のグラウンドの上だけの戦いではない。今も昔も、グラウンド内外で繰り広げられてきた。そんな野球を、ひもとく