日曜日の朝は毎週、TBS系列で放送されている情報番組「サンデーモーニング」を見ている。スポーツコーナーの「週刊御意見番」では、球界OBの張本勲氏がどのようなコメントをするのか、楽しみにしている。

 前回の放送では、今季限りで現役を引退した田口壮氏をゲストコメンテーターに招き、今季の日本人メジャーリーガーの活躍を振り返っていた。
 放送時間がわずかだったのが残念だったが、それ以上に番組司会者の関口宏氏のコメントに呆れてしまった。
 「この中(日本人メジャーリーガーたち)に、もう日本に帰ってきた方がいいという選手はいますか?」。それは、異国で奮起する彼らに冷や水を浴びせるようなコメントだった。

 米メジャーリーグの情報は今や、リアルタイムで入手できるようになった。われわれファンは、テレビやラジオ、インターネットなどのメディアを通じ、ニューヨーク・ヤンキースイチローテキサス・レンジャーズダルビッシュ有などの活躍を知ることができる。

 そんな今となっても変わらないのは、日本人のヤッカミだ。メディアやファン、球界関係者ですら、選手が不調に陥ると、「あいつはもう、メジャーでは通じない」「日本に帰ってくるべきだ」と言う。
 今季もニワカ評論家が雨後の筍のように現れ、興味本位で選手の進路を心配している。

 また、球界関係者の中には、アマチュア選手がプロ野球を経ずにメジャーに挑戦することを歓迎していない者が少なくない。
 花巻東高等学校の投手、大谷翔平は先日、メジャー挑戦を表明した。このことについて東北楽天ゴールデンイーグルス星野仙一監督は、「(大谷は)若いし、メジャーに行きたいなら行けばいい」と理解を示す一方で、「(アマチュア選手のメジャー挑戦について)ルールをちゃんとしないと、どんどんいい選手が米国に行く」、「(日本球界への復帰制限を)5年ぐらいにすればいい。そうすれば選手は相当な覚悟が必要になる」と持論を展開した。
 球界の行く末を思っての提案だが、復帰制限というルールでアマチュア選手を縛り付けるのは、時代遅れに思えてならない。

 日本人のヤッカミは、村上雅則野茂英雄がメジャーに挑戦した当時と、何ら変わらない。

 村上は、わが国初のメジャーリーガーだ。1964年、南海ホークス(現福岡ソフトバンクホークス)に在籍していた村上は、サンフランシスコ・ジャイアンツ傘下のマイナーチームに野球留学生として派遣され、8月にジャイアンツとメジャー契約を結んだ。
 メジャーでの活躍が認められ、来季のメジャー契約を得た村上だが、帰国後、待っていたのは猛烈な反発だった。ホークスはもちろん、多くの関係者が、村上が来季もメジャーでプレーすることに反対。まるで村上がカルト集団に勧誘されたかのような反応で、実の母親すらもテレビの全国ネットで息子に懇願した。

 野茂のケースは、記憶に新しい。1995年、近鉄バファローズ任意引退し、ロサンゼルス・ドジャースと契約したが、スポーツ新聞各紙は野茂を「恩知らず」「わがまま」「トラブルメーカー」「裏切り者」と強烈に批判した。
 批判はマスコミだけに留まらなかった。王貞治長嶋茂雄、星野といった球界の重鎮たちも、野茂を非難。渡米前から、野茂はメジャーでは通用しない、と断言するコーチもいた。当時読売ジャイアンツのオーナーだった渡邉恒雄氏は野茂を、悪者と決め付けた。
 家族ですらも、味方でなかった。野茂の父親は考え直すように息子を説得しようとした。野茂の代理人だった団野村氏も、母親の沙知代氏に、「お国のためにも、野村家の名誉のためにも、野茂を絶対にメジャーに行かせてはならない」と言われた。

 当時の日本人にとって、メジャーに挑む村上や野茂は誇りではなかった、むしろ、和を乱しかねない厄介ものだった。
 村上から半世紀、野茂から20年間が過ぎようている今、メジャーは身近な存在になったが、日本人のヤッカミは何ら変わっていない

 メジャーに挑戦したいのなら、ルールが許す限りチャレンジすればいい。これがボクの持論だ。
 周囲がどんなに騒ごうと、彼らはあくまで無責任な傍観者だ。そんな傍観者の言葉に耳を貸す必要は無いのだ。

 野茂のメジャー挑戦を支えた団氏だが、周囲からの非難が相次ぐ中で一時、気持ちが揺らいだことがある。そんなとき、野茂は団氏の肩を叩き、こう言ったそうだ。「大丈夫。僕たちは正しいことをやっているんです」。