小澤一郎の「メルマガでしか書けないサッカーの話」第107号(2012年08月30日配信号)より全文掲載※






(株)アレナトーレ





 24日、新宿西口のブックファースト新宿にて購入者限定で行なわれた宇都宮徹壱さんと元川悦子さんの書籍発売記念のトーク&サイン会に参加してきた。ご存知の方も多いとは思うが、宇都宮さんは7月19日に『松本山雅劇場 松田直樹がいたシーズン』を、元川さんは7月23日に『僕らがサッカーボーイズだった頃〜プロサッカー選手のジュニア時代〜』を上梓された。

 サッカーメディア界の先輩ジャーナリスト(ライター)として現場では大変お世話になっているお二人で、あえてはっきりと言うが「この業界では数少ない尊敬できる先輩同業者」だけに、その緻密な取材と努力の結晶である新刊が少しでも売れるよう微力ながら協力したいと思い、今回は珍しくイベントのリポート記事を書くことにする。

 テーマの全く異なる本とはいえ、「長野県」ではなく、「松本」生まれの元川さんが大の松本山雅贔屓というのはすでに知っていたので、このイベント開催を知った時から「間違いなく面白いものになる」という予感はあったが、実際はその予感を上回る最高のイベントだった。2作品共に株式会社カンゼンからの出版ということで、同社サッカー編集部の森哲也氏(『サッカー批評』『フットボールサミット』編集長)が司会進行。

 前半に取り上げられたのが元川さんの『僕らがサッカーボーイズだった頃』。香川、吉田、清武、岡崎、大津、酒井宏樹、金崎、権田、松井大輔、石川、北嶋、川口、山田直輝という13名のプロ選手たちの生い立ちについて、元川さんが彼らに関わった指導者や親に総力取材している内容だ。

 正直、ここまで選手の関係者に話を聞けるライターは元川さんをおいて他にはいないだろう。冒頭、元川さんより「すごく取材できた選手もいれば、そうでない選手もいる」と説明があったが、どの選手のストーリーも新聞記者出身の元川さんらしい丹念な周辺取材に基づいた構成となっていて、惹き込まれる。

 話の中で元川さんからさらっと「育成をよくしたいという気持ちがあります」という言葉が出たのだが、日頃からこういう矜持を持って取材活動をしているからこそ、これだけの関係者に深く取材できたのだと感じる。私から断っておくが、元川さん自身も取材対象者との距離感を気にするタイプの書き手であり、選手と「仲良し」関係になることを嫌う。

 残念ながら、日本にはそのタイプの書き手がまだまだ多く存在し、サッカーメディアの編集者も適切な距離感を持って時に厳しく叱咤激励できるジャーナリスティックな視点や姿勢を持つ書き手を冷静かつ適切に判断できないため、選手やその関係者にすり寄って近すぎるポジションを取るような書き手に原稿依頼が殺到するような風潮が残っていると感じる。

 元川さんもそれで幾度となく苦虫を噛み潰してきたのだと思うが、本当に期待すべきいい選手に対しては取材する側も「選手育成に関わっている」という責任感を持つべきだと私は感じているし、元川さんは今以上に閉ざされてきたこの業界で長年その責任感とプライドを共存させつつ活躍されてきた書き手だからこそ、こうした内容の本からも全く「私はこの選手と仲良しです」といった子供じみた自慢が漂ってこない。




(株)アレナトーレ






 後半は宇都宮さんの『松本山雅劇場』についての話。7月19日に書店に並び、特に松本方面での売れ行きは「すごかった」のだという。実際、ツイッター上では「山雅本はここで買う」というハッシュタグが出回り、発売当日に増刷になったスタートダッシュぶり。

 著者として企画からしっかりと練り込ませる作業を怠らない宇都宮さんらしく、「単なるシーズンの記録ではなく、プラスアルファがほしかった。それが人であり、人のインタビューでした」と説明した。

 松田直樹のいたJFL2011年シーズンは、同時に「松田直樹がいなくなったシーズン」でもあった。宇都宮さん自身、「松田直樹の死が重くて、これをどういうように表現するかというのは悩んだし、(編集者と)議論してきました」と明かしている。ただ、「不在であるがゆえに、彼のいたシーズン」でもあったという2011年の松本山雅を宇都宮さんらしい独特のタッチと感性で描いている。

 宇都宮さんの企画意図説明の後すぐに松本出身で山雅を長年追いかけている元川さんも参戦し、イベントは最高潮の盛り上がりを見せる。特に元川さんが出身者として説明してくれた強烈なまでの地域性、アイデンティティーの話が興味深かった。「松本出身の人間として『長野県出身』と言われることも嫌」と言い放つ元川さんの言葉通り、松本には「長野」に対する強烈なライバル心が存在し、松本の人間にとって松本山雅というクラブ、アルウィンというスタジアムは、「ここが松本だ」と大声で叫ぶことのできる場所。「小さいかもしれないけれど、スペインのレアルとバルサのような関係がある」と元川さんは説明した。

 長野パルセイロとの『クラシコ』、そしてサッカー専用スタジアムのアルウィンをすでに持ち合わせる松本山雅だからこそ、宇都宮さんは「モチベーションのグラデーションがぼやっとしているJ2にあって、J2の魅力をどう出していくのかは松本山雅が1つの指標になっていく」と断言する。

 個人的にも、「Jに行くことはあくまで手段であり、アルウィンに2万人のサポーターを集めることが目的」(宇都宮さん説明)という松本山雅の存在には注目している。勝とうが負けようが、J2にいようがJFLにいようが、地元のサポーターたちに愛され、どんな時でも彼らが集まれる場を作ることがサッカークラブの本来の目的であり、J1やJ2というカテゴリーは手段であって目的ではないのだから。

 最後に元川さんは、「スタジアムに行ったら楽しいと思えることが大事。松本はまだ新鮮だけれど、何か付加価値がないとこの先は厳しい。J1でも鹿島のお客さんが減っているし、それはJリーグ界全体の問題」と語り、宇都宮さんも「おそらく、松本の10年後が今の新潟。10年経っても常に新鮮さが演出できるかが大事」と述べた。

 お二人共に、松本山雅というクラブを定点観測することにより、JリーグやJ2の生き残り策を見出そうという姿勢が出ており、『松本山雅劇場』という本はある意味で山雅というクラブのプロローグに過ぎないのかもしれないという印象を持った。

 山雅マフラーを持参した元川さんが後半戦にも継続出場したことで、試合を振り返ってみれば圧倒的に元川さんのトーク支配率が高いイベントではあったが(苦笑)、宇都宮さんの影が薄まることもなく、絶妙のバランスを保ちながら質疑応答とサイン会を経てイベントは終了。おそらく、参加者全員が心地良い満足感と2つの作品への期待感を持って帰宅したに違いない。

 個人的な感想でもう一つ加えるならば、こうした作り手の意図や想いが伝わるようなイベントは躊躇することなく積極的にやっていくべきなのだということも感じた。まだまだ「世に出して終わり」となっている作品や「いいものを作れば売れる」と思う風潮が多い中で、作り手が取材や執筆のスタンス同様に丁寧に読み手やファンに降りて説明を加える作業というのはこれからの時代に必要不可欠なのかもしれない。

 そこに集まる人の人数の多い、少ないに関係なく、自らの作品に興味を持ってくれた、本を手にとってくれた読者に向かう作業の大切さを尊敬する先輩お二方から学ばせてもらった。イベントに参加できなかった人も多かったと思うからこそ、本当にお二人らしいスタンスや想い、サッカーへの愛情と優しさがたくさん詰まったこの新刊2冊を多くの人に読んでもらいたい。


 宇都宮徹壱著 『松本山雅劇場 松田直樹がいたシーズン

 元川悦子著 『僕らがサッカーボーイズだった頃〜プロサッカー選手のジュニア時代〜


小澤一郎の「メルマガでしか書けないサッカーの話」第107号(2012年08月30日配信号)より全文掲載※