古沢憲司|クラシックSTATS鑑賞 阪神-96

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戦後、最も若くしてNPBの試合に出た投手。江夏の後輩という印象があるが、実は3年も先輩なのだ。







【キャリア】
愛媛県新居浜市出身。新居浜東高校を中退して64年阪神入団。投手として活躍。79年西武移籍、82年広島移籍。85年引退。解説者、広島、阪神コーチ。
【タイトル、それに準ずる記録】
○最多完封2
・防御率10傑入り2・WHIP1.00以下0・DIPS2.5以下0 規定投球回数以上7シーズン
オールスター出場2回。

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【論評】
3月31日生まれの古沢は高校2年でプロデビューをした。卒業まで2年もあった。戦前の西沢道夫は16歳と4日でNPBの試合に出たが、古沢は16歳と117日だった。
「がんばれタブチクン」では、大きな鼻だけが目立つ風貌に描かれていた。実際にも、地味でおとなしそうなキャラだったが、時折素晴らしい投球をした。
サイドスローからずばっと投げ込む速球は、ナチュラルに右打者のふところを攻め、のけぞらせるパワーがあった。一度調子に乗ると手が付けられないところがあり、完封試合も多かった。72年には江夏豊を差し置いて開幕投手。しかし、コントロールに難があり、不調の時は全くだめ。浮き沈みが激しく、エースの称号は得ることができなかった。
78年は向かっていく姿勢が裏目に出て33被本塁打の乱調。大きく負け越し、翌年、田淵幸一とともに“世紀のトレード”で西武に移った。しかし、以降は、負け癖が付いたようになり、先発投手としては見るべき活躍はなかった。
81年に中継ぎに転向してからは、手堅い投球で戦力となった。広島に移籍してからは、セットアッパー的な存在として実績を上げていた。84年の広島は巨人とタイだっただけの準完全優勝の強さだったが、古沢はセットアッパーとして大活躍した。しかし故障で後半戦は離脱し、日本シリーズでは登板できなかった。翌年も故障で登板なしに終わり、引退した。