【日刊埼玉西武ライオンズからのお知らせ】
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2005年の秋に高校生ドラフトで1位指名を受けた炭谷銀仁朗捕手。入団早々に「背番号27が欲しい」と口にし、いきなりファンを驚かせてくれた。もちろんそのルーキーに伊東勤捕手がかつて背負った27番が与えられることはなかった。その27番は2007年から細川亨捕手が背負うことになったため、銀仁朗捕手は2番を志願し、憧れる城島捕手の番号を背負うこととなる。だが今オフの契約更改、銀仁朗捕手は再び27番を志願し、それが球団に認められた。1年間空き番号となっていた27番だったが、来季からは炭谷銀仁朗捕手が背負うことになる。

ちなみに登録名も「銀仁朗」から「炭谷銀仁朗」へと戻されることになった。この背番号と登録名の変更は、筆者個人としては良かったと思っている。この2年は怪我に泣かされたという面もあったため、心機一転という意味合いも大きいのではないだろうか。

しかしライオンズの背番号27番というのは、決して軽い番号ではない。松坂大輔投手が背負った18番を涌井秀章投手が粛々と受け継いだように、炭谷捕手も名捕手伊東勤が背負った27番をしっかりと受け継いでいかなければならない。その重責は決して軽いものではないが、当然炭谷捕手もそのことは重々承知しているはずだ。それでもあえて27番を志願したというのは、それだけ来季にかける思いが強いということなのだろう。

今季の炭谷捕手は正捕手を期待されながらも、決して正捕手と呼ばれるに相応しい活躍を見せることはできなかった。つまり先発投手全員の正妻を担うことができなかったということだ。正捕手と呼ばれるには、誰が先発投手であってもマスクをかぶらなければならない。それが正捕手だ。逆に今季のように先発投手によって捕手を換えられたということは、例えスタメンマスクの回数がチームで1位だったとしても、それは正捕手とは呼ばない。

炭谷捕手は近年、キャッチングはかなり上達しているように思う。プロ野球1軍レベルの切れ味鋭い変化球にもずいぶん慣れてきたのだろう。今季は122試合と、リーグ2位の捕手出場数だった炭谷捕手の捕逸数は、126試合の楽天・嶋捕手の7個(リーグ最多)に次ぐ6個だった。95試合で3個の細川捕手にはまだまだ叶わないものの、キャッチング技術は確実に向上している。

来季以降さらにそのキャッチング技術を磨いていけば、投手陣もさらに気兼ねなく腕を振って変化球を投げることができる。そうすればチーム防御率も向上していくはずだ。だがそのためにはリード面をもっと磨かなければならないだろう。今季は同じ打者に繰り返し打たれる場面の多かったライオンズ投手陣だったが、炭谷捕手のリード次第では防げていたものも多かったはずだ。

だが2010年を丸々一年棒に振ってしまったことを思えば、2011年はほぼ2年振りのシーズンだった。やはりプロ野球の1軍という最高峰のレベルにおいて、この1年間のブランクはあまりにも大き過ぎた。捕手というポジションは試合で起用していかなければ育たない。机上の理論だけでは限界があるのだ。キャッチャーズボックスから何千回も、何万回も打者を見続けることにより、配球力は向上していく。スコアラーからもらうデータをインプットするだけでは、まったく足りないのだ。

そういう意味では、2012年は炭谷捕手にとっては大きな意味を持つシーズンとなるはずだ。もし来季も、今季のように同じ打者に繰り返し打たれるようなことがあれば、これは間違いなく炭谷捕手の責任となってしまう。もちろんそんなことは誰に言われるまでもなく、炭谷捕手自身が痛感していることだ。だからこそ27番を志願し、自らのハードルをあえて上げたのだと思う。

来季は星孝典捕手への期待も大きいが、この2人がデッドヒートを展開し、その結果炭谷捕手が正捕手の座を掴み取ったならば、その時ライオンズの優勝はグッと近づいているはずだ。炭谷捕手は来季25歳となる。いよいよプロ選手として脂の乗り始める年齢だ。登録名、背番号を変えたことで、炭谷捕手には来季、自己最高の捕手成績を挙げ、ライオンズの日本一奪回に大きく貢献してもらいたい!