■彼の目に映ったものは



松田直樹の訃報から二週間が経った今、思うことがある。彼が松本で見た風景は何色だったのだろうか、と。幼い頃の“サッカーを始めた時の気持ち”を思い出すセピア色だったのか、或いは何もかもが初めての体験ばかりの新天地で、そのめくるめく日々は色鮮やかな原色だったのか。

「正直、JFLへ行くことに葛藤や不安はあったが、社長やGMの話を聞いて吹っ切れた」――。1月上旬に行われた加入記者会見。葛藤や不安、それこそが松田の正直な気持ちであったことだろう。国内トップクラスの練習場と、ワールドカップの決勝戦が行われたホームスタジアム。チームメイトは各国の現・元代表がずらりと顔を揃えている。リーグ優勝は実に3回、間違いなく日本サッカーをリードするビッグクラブと言える横浜Fマリノスから、発展途上のプロビンチャへ。新たな挑戦と言えば聞こえは良いが、都落ちとも呼ばれかねない移籍である。筆者も松田移籍の噂を耳にした時は信じきれるものではなかった。

■松田はプロ17年目にして初めての移籍だった



昨シーズン、大事な試合で勝ちきれずにJ2昇格を逸したチームは、経験豊富な選手を迎えることで、チームに緊張感を持たせようと試みた。恐らく、昨シーズンのJFL最優秀選手、ガイナーレ鳥取優勝の原動力となった服部年宏と重ね合わせたのではないか。服部の加入した鳥取もまた、2年連続でJFL5位となるなど、あと一歩でJ2昇格を逃し続けてきたチームだ。その鳥取は、2010シーズンを黙々と勝ち星を積み重ねる大人のサッカーでJFL制覇、悲願のJ2昇格を成し遂げている。

服部も松田同様に国際経験豊富なベテラン選手だ。しかし、松田と一つ異なる点がある。それは既に鳥取に来るまでに移籍を経験していることである。服部と言えば、常勝ジュビロ磐田の主力選手として活躍後、J2に舞台を移していた東京ヴェルディに移籍している。つまり移籍をするという意味を、既に理解していた。

しかし松田はそうではなかった。プロ生活17年目(!)にして初の移籍。多くの輝かしいキャリアを積んできたスター選手も、こと移籍ということに関しては全くの“ビギナー”だったのである。見知らぬ土地で、居場所も信頼もゼロから築き上げなければならない。働く場所が変わる、それも今までいた場所と180度異なる環境ならば、尚更大きなプレッシャーとストレスが掛かっていたことは想像に難くない。

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著者プロフィール


多岐太宿
物書きを目指していた2004年末、地元に偶然にもアルウィンと松本山雅FCがあったことから密着を開始。以来、クラブの成長と紆余曲折を偶然にも同時進行で体感する幸運に恵まれる。クラブ公式、県内情報誌、フリーペーパー等に寄稿。クラブの全国区昇格を機に、自身も全国区昇格を目指して悪戦苦闘中。


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