8月5日の試合で公式戦出場を果たした渡邉拓馬(筆者撮影)

「久しぶりに試合をして、“これだ〜!”っていう感覚はありましたね。最初は不安でしたが、初戦でスムーズに入れたので、なんとか1日持ち堪えられた。チームメイトにも助けられましたし、何よりこの公式戦での緊張感が、本当に懐かしかったです」

8月5日に東京都・大森ベルポート(品川区)で開催された3人制バスケットボール3×3(スリーバイスリー)のプロリーグ「3x3.EXE PREMIER 2018」関東北カンファレンス・ROUND6にて、東京都立川市を拠点とする3人制チーム「立川ダイス」が今季で4度目の優勝。この日、デビュー戦を飾った同チームの元バスケットボール日本代表の渡邉拓馬は、試合直後に安心しきった表情でこう話した。


4度目の優勝を果たした立川ダイス(筆者撮影)

同競技は、2020年東京オリンピック・パラリンピックの新種目にも採用されているため、より一層注目度が高まっているスポーツのひとつ。

3x3.EXE PREMIERは2014年に創設され、当初は1カンファレンス7チームだったが、年々参加チームが増加。男子の2018シーズンには6カンファレンス、全36チームにまでとなった(女子は1カンファレンス6チーム)。

シーズン最終戦は8月25日(=ダイバーシティ東京プラザ)に行われ渡邉も出場、9月16日に行われる日本一決定戦のファイナル進出を決めている。

3x3はボールのサイズも違えば、ファウルに対する審判の基準も異なるなど、同じバスケットでも大きく違う。

かつて5人制バスケで日の丸を背負い、2015-16シーズンを最後にユニホームを脱いだ渡邉は、なぜそんな“異競技”とも言える3人制の舞台で再びコートに戻ることを決めたのか。

そして、今年で40歳を迎える中で、なぜ復帰を決意したのか。

バスケ一筋で駆け抜けた競技人生

渡邉は、幼少期からバスケットボールの環境に囲まれて育った。両親ともに地元の実業団でプレーし、引退後もミニバスのコーチを務めている。2人の姉もバスケに励み、2番目の姉・貴子は愛知県の名門・名古屋短大付属高(現在は桜花学園)で全国制覇を経験し、大学時代には福岡ユニバーシアード女子日本代表として銅メダルに輝いた。


今年5月にインタビューに応じた渡邉拓馬(筆者撮影)

そんなバスケ一家である家族に影響され、自身も同じ競技の道を志した渡邉。地元の福島県・福島工業高の3年時には、ウインターカップ準優勝の成績を残し、大会得点王に。

さらに、当時高校1年生の田臥勇太(リンク栃木ブレックス)擁する能代工業との決勝戦は、当時のバスケ界を知っている人から「あの試合はすごかったね!」と今でも言われるほど、記憶に残る伝説の一戦となっている。

その後、進学した拓殖大学でも、関東大学1部リーグで4年連続で得点王を獲得。加えて、大学バスケ最高峰の舞台であるインカレでも、3年時に準優勝を果たすなど数々の輝かしい戦績を残した。

プロでも活躍できるという自信をつかんだ渡邉は、卒業後の2001年にトップリーグのトヨタ自動車アルバルク東京(現・アルバルク東京)に入団。スーパールーキーとしてすぐさま主力に定着すると、2001-02シーズンのリーグ初優勝に貢献し、自身も新人王のタイトルを手にした。

日本代表にも選ばれ、アジア選手権や東アジア競技大会などに出場。バスケットプレイヤーとして、つねに第一線を走り続けた。

だが、32歳を迎える2010年。突然、燃え尽きたような感覚に陥った。いわゆる「燃え尽き症候群」と呼ばれる状態だろう。トヨタ自動車アルバルク東京の時代に計6度の優勝を経験し、バスケを続けるにあたって、これ以上モチベーションが上がらなくなった。

ただ渡邉は、当時チームが低迷期だったこともあり、「ここで終わるのはちょっと違う」と、その責任感からすぐに引退という決断には至らなかった。

その後、2012-14シーズンには日立サンロッカーズ(現・サンロッカーズ渋谷)に移籍し、2014-15シーズンからはアースフレンズ東京Zという現在Bリーグ2部(B2)のチームでプレー。そして古巣への復帰が決まった2015年、ここで骨を埋めることを決めた。

引退後は「現場とフロントのパイプ役」に

2015-16シーズンを最後にユニホームを脱いだ渡邉。セカンドキャリアとして選んだのは、やはりバスケだった。引退を決めるタイミングで、アルバルク東京の上層部からフロント入りを打診された。翌シーズンから始まるBリーグへの出場意欲もすでになかったという。


5日の試合でドリブルをする渡邉拓馬(筆者撮影)

「なんの迷いもありませんでしたね。言っていただいた瞬間、すぐに引き受けることを決断しました。

翌シーズンからBリーグが開幕することは知っていましたが、もうボールにも触りたくないくらいバスケをやり切っていたので。実際に開幕戦を観ても羨ましいという感情はなかったです(笑)」

それから“アルバルク東京GM補佐兼アカデミー統括”という肩書きで、セカンドキャリアをスタート。主に心がけていたのは、「現場とフロントのパイプ役になること」だと渡邉は話す。

「社長含めチームのフロント側には、バスケを知らない人が多かった。選手の気持ちを共有したり、試合内容やコート上の温度など、バスケに関するあらゆる情報を伝える必要があったんです。そうしないと、来シーズンの年俸や契約をするかどうかの決定など、すべて試合の結果や数字だけを見て判断してしまっていた。

たとえ試合に出ていなくても、チームに貢献している選手はたくさんいます。チームというのは、4番バッターだけがそろっていても勝てません。裏でサポートしてくれている選手がいるからこそ、結束力が高く強いチームへと成長していく。このことを伝えることが、現場を知っている僕が果たすべき役目だと思ったんです」

これは渡邉自身、現役時代から感じていた疑問だった。今後のバスケ界のことを考え、すぐにでも改善すべきだと、フロントとのパイブ役に徹した。現在は、プロリーグに参入したことで、現場の気持ちを知ろうと努めるスタッフが集まる“選手ファースト”のチームへと生まれ変わったが、渡邉のパイプ役としての功績があったからこその“今”だと言える。

バスケ普及のために、3x3での現役復帰を決断

2017年10月、渡邉にとってのある転機が訪れた。アルバルク東京が、立川ダイスと地域活性化を目指して相互協定を締結したのだ。

そのきっかけは、本拠地として使用していた国立代々木第二体育館がオリンピック関連による耐震改修工事に入ったことにある。アルバルク東京はホームを失い、都内で使えるアリーナを探した。そして見つかったのが、立川市の「アリーナ立川立飛」だった。

同市にあるプロチームが3人制の立川ダイスだったため、同じバスケとして一緒になって地域を盛り上げようと、両チームでタッグを組むことになったのだ。

そしてある時、立川側からこんな話が出た。

「アルバルク東京の選手が、オフシーズンに3x3に参加してくれたらいいですね」。

万が一怪我をしてしまう可能性を考えると、選手にそういう機会を与えるのは難しい。そう考えた時、渡邉は、ふとこう思った。「出られるとしたら僕しかいない」と。


レイアップシュートを放った渡邉拓馬(筆者撮影)

39歳という年齢で、1年間のブランクを取り戻すのは想像以上に難しい。それでも、新天地での現役復帰を目指すことを決断した。その理由について、渡邉はこう話す。

「僕が5人制と3人制の両方を経験することで、もっとバスケの普及に貢献できるんじゃないかと考えました。

たとえば、僕が3x3に挑戦することにより、アルバルク東京のファンが“渡邉さんがいるから観に行こう”って3人制に興味を持ってくれたり、逆に立川ダイスのファンがアルバルク東京の試合を観に来てくれたり。そういう相乗効果が生まれたら、両方のチームが盛り上がり、バスケ界のさらなる活性化が期待できますから」

渡邉にとって、この挑戦にネガティブな要素は1つもない。つねにバスケ界のことを想ってきたからこそ、この決断に至ったのだ。

「やるからには本気で臨まないと意味がない」と話す渡邉は、ちょうど東京オリンピックから3×3が正式競技種目として採用されたこともあり、大舞台での代表入りを目標に掲げ、新たな挑戦に踏み切った。

東京五輪への第一歩を踏み出す

3x3.EXE PREMIER 2018は、6月9日に開幕を迎えた。しかし、そこに渡邉の姿はなかった。やはり、試合に出るまでのコンディションを取り戻すには、予想以上に時間が必要だったのだ。

「どうしても年齢との戦いは避けられない。だから40歳前後で活躍しているいろんなスポーツ選手の本や動画を見て研究し、現役中とは違うことにチャレンジしたんです」と渡邉。

「ボールも触りたくなかった」という1年半前と違い、目を輝かせた少年のような姿が、そこにはあった。オリンピックという新たな夢が、40歳を迎える体を突き動かす。

そして、約2カ月の調整期間を経て、迎えた8月5日。念願の3x3プレイヤーとしての公式戦デビューを飾った。会場には5人制時代の渡邉を知るファンが殺到。名前をコールされた瞬間、大声援が沸き起こった。


チームメートを鼓舞した渡邉拓馬(筆者撮影)

この日は全4試合に出場。初戦ではレイアップシュートで初得点を記録し、得意の2ポイントシュート(5人制では3ポイント)も決めて見せた。

得点に関して渡邉は「よく入ってくれましたね。ちゃっかりゴールを量産するシーンも描いていましたが(笑)」と笑顔で振り返った。

チームとしても、優勝という最高の形でデビュー戦を締めくくり、3x3での手応えをつかんだ渡邉。試合を通じて「今の自分がどこまでできるのか。そういう部分は感じることができた」と感想を述べると、「ただ納得はしていないので、定期的に良いパフォーマンスを見せられるように頑張ります」と今後の抱負を述べた。

東京オリンピックに向け、第一歩を踏み出した渡邉。

バスケ普及だけでなく、「同世代の方に勇気を与えたい」と話すなど、今はモチベーションに満ちあふれている。2020年の同大会を迎える時には、なんと41歳だ。実際に出場できるのか、体がそれまでもってくれるのかはわからない。

それでも、彼は限界まで挑戦し続けるだろう。そして待つ。渡邉自身はもちろん、同世代やファンも、そして筆者も、大舞台で躍動する姿を描きながら。

(文中敬称略)