夕張市にあるJR北海道・ゆうばり駅の駅舎(写真:leicahiroba / PIXTA)

病床の削減、医師不足、医療費の高騰など、医療や医療費に関する報道が後を絶たない。そうしたなかで、医療経済学的知見から問題提起をした『医療経済の嘘』が話題となっている。
著者の森田医師はなぜ医療経済分野を志したのか――その原点は、かつて医師として赴任した「夕張市」にあった。「財政破綻」「医療崩壊」「市として高齢化率日本一」――数々の悪条件に取り囲まれた夕張市に赴任した森田医師が見た夕張における医療の現実とは。

ある日突然「病院」がなくなった夕張市

夕張市の病院閉鎖は2007年の「夕張市の財政破綻」がきっかけでした。当時は日本中の大ニュースでした。

夕張市の財政破綻で「夕張市立総合病院が閉院」となりましたが、正確には、病院がなくなって診療所になりました。具体的には、財政破綻前の夕張市には、171床の市立総合病院があったのですが、それが市の財政破綻で維持できなくなって、19床の診療所になったのです。旧病院の建物の一部を使って、小さな診療所と老健(介護施設)40床に縮小しました。

ちなみに、医療法では19床までが「診療所」で20床以上が「病院」と決まっています。細かい法律の話は置いておいて、とにかく、市内の病床数が突然約10分の1に減ったということです。さらに、それまであった外科とか小児科とか透析医療などはすべてなくなってしまいました。また、市内に数件の開業医院はありますが、入院できる医療機関はここだけです。

もちろん市外に行けば、総合病院はありますし、救急車を1時間ちょっと飛ばせば、札幌にも行けます。交通事故の大ケガとか、心臓の急な発作とか、そういう場合はドクターヘリで札幌の病院へ搬送となります(逆に言うと、ドクターヘリが出動するほど距離があるということでもあります)。

街から総合病院がなくなって、町のお医者さん的なイメージの医療だけになっちゃった、簡単に言うとこんな感じですね。


(グラフ:『医療経済の嘘』より森田医師作成)

財政破綻・病院閉鎖前後の夕張市の社会・医療に関するさまざまなデータをご紹介します。

まず、数字に端的に表れたのが、医療費です。特に「高齢者1人あたりの診療費」です。

北海道全体と比較するとわかりやすいですね。

こちらの図のような感じになっています。

病院閉鎖後、夕張市の医療費は減っています。

しかし、北海道の高齢者1人あたりの医療費は、右肩上がりに増えています。

これは、北海道だけの傾向ではありません。全国的にもそうですし、他の先進国でもほぼまったく同じように高齢者1人あたりの医療費は右肩上がりに増えています。

ただ、たとえ医療費が安くなっても、そのために市民の病気が増えたり、手遅れになる人が増えてしまったり、命を落とすような人が増えてしまったら、それはまったくいいことではありません。

では、病院閉鎖後に市民の健康はどうなったのでしょうか。病死者が山ほど増えたりはしませんでした。

夕張市民の死亡総数と死亡率を見てみると、実は病院閉鎖前後でほとんど変化がありません。そのグラフが下記です。


(グラフ:『医療経済の嘘』より森田医師作成)

上が死亡総数つまり実数の推移で、下が男女別の死亡率の推移です。

こう言うと、「高齢者とか重い病気の人が財政破綻で市外に引っ越したからでは?」という指摘をいただくのですが、私も当初その可能性を考えました。

医療がなくなって不安なのは、高齢の方や重い病気の方々ですから。でも、いろいろデータを見てみるとそうでもなさそうでした。

というのは、まず人口動態を見ると、実は高齢者人口はまったく減っていません。財政破綻・病院閉鎖のあとも変わらず一貫して増えているのです。

また、医療が頻繁に必要な病気の患者さんの代表格が人工透析の患者さんですが、病院閉鎖で市内では人工透析もできなくなったので、市外へ引っ越す透析患者さんが多いかと思ったのですが、調べたら人工透析の患者さんも減っていなかった。

ですので、死亡数(率)が変わらなかったことや医療費が減ったことを、人口移動で説明するのは無理があります。

夕張市で増えた「死因」とは?

さらに死因別で見ると、実は男女ともに、死因第1位のガン、2位の心疾患、3位の肺炎がおおむね低下しています。


(グラフ:『医療経済の嘘』より森田医師作成)

ですが、よく考えると計算が合いません。

死因上位3疾患だけでも死亡総数の相当の割合を占めるはずですから、この3疾患の死亡率がこれだけ下がっているのに総死亡率が横ばいなら、何かの死亡率が増えていなければ数が合いませんよね。実は、死亡率が増えているものがあるのです。それは「老衰」です。

老衰は病気ではなく、自然に命が枯れていく「状態」です。でも、国で決められた死亡診断書の「死因の種類」の1番には、「病死及び自然死」と書かれています。

老衰は自然死ですので立派な死因の1つです。これまでは日本人の死因のずっと下位のほうだったのですが、ここ数年で一気に上位に上がってきて、今は死因の5位にまでなっています。

でも、夕張市の場合は増え方が違います。


(グラフ:『医療経済の嘘』より森田医師作成)

このグラフは、夕張市の死亡総数のうち「老衰死」の割合の推移です。ちなみに、全国平均で言うと、全死亡数の6〜7%というところです。

「財政破綻で病院がなくなって、しっかり検査できないから、『老衰』ということになっているのでしょうか?」というご意見もよくいただくのですが、実際に夕張の臨床現場にいた医者の立場から1つ言えるのは、「死亡診断書に老衰と書くのは、実は簡単なことではない」ということです。

「老衰」を受け入れるには信頼関係も覚悟も必要

検査をして病気が判明して、それが原因で患者さんが亡くなったというのはわかりやすく、医師としてご家族にも説明がしやすい。その日、初めて患者さんを診る医師でも、それなら死亡診断書を書けます。

それに比べて老衰は、あくまでも自然死という「状態」であって「病気」ではない。ですので、「老衰」であるということをご本人・ご家族に受け入れていただくためには、医療側と患者・家族側との間に信頼関係が必要で、ご家族にとっても、それを受け入れるための時間と覚悟が必要なのです。

たとえ100歳の婆ちゃんでも、それまで走り回るくらい元気だった方の急病のときは、総合病院などに行ってちゃんと検査してもらいます。

老衰と診断できるのは、たとえば超高齢の患者さんが、特に大きな病気もなく徐々に体力が弱ってこられた場合とか、あるいは介護施設などでご家族が「父はもう高齢でだんだん体力も弱ってきていますから、なにかあっても札幌で検査とかではなく、最大限夕張でできることをしていただいたら、あとは自然に看取ってください」と言われるような場合です。

医療側としてはいろいろな疾患の否定もしなければいけないし、また、その老衰を受け入れるまでの気持ちの変化にも寄り添っていくわけですから、結構時間と労力が必要な大事なプロセスです。

検査して「病名」をつけるほうが科学的・論理的だし、医師としてはかっこいいけど、それはあくまでも医者の立場からの世界観であって、だんだん体力が衰えてきた超高齢患者さんを、病名を付けずに老衰と診断する勇気も地域医療では時に必要だと、私は思うのです。

次は1年間に市民が救急車を何回呼ぶかという話ですが、夕張市は小さい市ながら独自で消防署を持っているので、このデータは簡単に把握できます。

先述のように、病院閉鎖で夕張市には救急病院がなくなってしまいました。インフルエンザとか、ちょっとした肺炎くらいなら市内の診療所で対応できますが、心筋梗塞の発作とか交通事故の大ケガとか、いわゆる重症症例は市外の病院に救急搬送されます。ということで、救急車が病院に到着するまでの時間は以前の約2倍に伸びてしまいました。

近くに救急病院もなくなった。救急車も時間がかかるようになった。すると、「何かあったら手遅れにならないように、ちょっとした症状でもすぐに救急車を呼ぶ人が増えるんじゃないか?」という予想もできます。

でも事実は真逆で、夕張市の救急出動は約半分になりました。


実は、全国的には救急出動は高齢化の進展もあり、約10年で約1.3倍に増えています(2001年が約440万件、2012年は約580万件)。これは高齢化率が約10年で17.4%(2000年)から24.1%(2012年)へと、約7%も急激に上昇しているから、ある意味仕方ないのかもしれません。

夕張市は人口がすごい勢いで減っていますが、前のグラフのように人口が10年で半分になったかというとそこまで減ってはいない。

しかも、救急症例の多くは高齢者です。

夕張市では総人口は減っていましたが、高齢者人口(75歳以上)は増えていました。

高齢化率もずっと上昇傾向です。それなのに救急出動件数が半分になったのは、いったいなぜなのでしょう。

在宅医療が増えた夕張市の現実

それはこのデータと関係があるのかもしれません。


(グラフ:『医療経済の嘘』より森田医師作成)

介護施設での看取り率と訪問診療の患者数の推移です。上のグラフが訪問診療、いわゆる在宅医療の患者数です。

もう1つ、夕張市内には特別養護老人ホーム、「特養」とか「特老」というものですね。そこの看取り率が市内特養での看取り率です。

「病院がなくなって入院できなくなったから在宅医療に追い出されたのでは?」と考えられる方もいるかもしれません。

でも、実は私がいた頃の診療所では、19床のうち平均5〜6床しか病床は埋まっていませんでした。

ですので、入院しようと思えば簡単にできたのです。

でも患者さんの希望をしっかり聞くと、入院を希望される方がほとんどいなかった。その結果、在宅医療が増えていきました。

これが財政破綻後の夕張市で起こったことです。