温浴施設のほっとパーク鉾田で保存されるキハ601(手前)とKR-505(奥)。鉾田駅保存会は車両再塗装などにボランティアで取り組みます

2024年6月、茨城県のある地方私鉄が開業100周年を迎えました。しかしこの鉄道、現在はありません。2007年4月1日に廃止された「鹿島鉄道(かしてつ)」。廃止時の車両は9両でしたが、このうち6両が今も沿線3ヵ所で保存され、ファンや地域住民にありし日の姿を伝えます。

節目の年にあわせて、車両保存する3団体は共同で記念イベントを企画。「かしてつ石岡〜常陸小川間開業100周年記念シンポジウム」が2024年6月、茨城県小美玉市小川文化センター「アピオス」で開かれました。シンポで語られたのは現在もファンに愛される鉄道の魅力、そして廃止直前の秘話です。発言を要約してお届けします。

現役83年、廃止後17年

かしてつ1世紀は現役鉄道83年、廃止後17年に分かれます。鹿島参宮鉄道(旧社名)は1924年6月、石岡〜常陸小川間7.1キロを開業。5年後の1929年5月までに、石岡〜鉾田間27.2キロを全通させました。

2001年まで航空自衛隊百里基地(小美玉市)への航空燃料輸送で経営を維持しましたが、同年夏に貨物輸送が廃止されると収支が悪化。さまざまな存続活動は実らず、2007年3月31日が最終運行日になりました。

沿線3カ所で車両6両を保存

鹿島鉄道保存会が保有する2両。クラシックなキハ714(右)と、今も現役で走れそうなKR-501(左)

廃止後に車両を保存するのは鉾田駅保存会(鉾田市)、鹿島鉄道保存会(小美玉市)の両団体と小川南病院(同)。保存されるのはキハ601、KR-505(以上鉾田駅保存会)、キハ714、キハ431、KRー501(以上鹿島鉄道保存会)、キハ432(以上小川南病院)です。

キハ601は戦前の1936年製で、かしてつ廃止時点で「全国最古の現役気動車」でした。キハ431、キハ432は番号で分かるように同形車。2両とも富山県の加越能鉄道から譲受されました。

小川南病院で保存されるキハ432。1957年製で、前面デザインは当時流行の2枚窓の湘南型です

ブルーバンドで鉄道存続を訴える

記念シンポは保存3団体共催で、小美玉、石岡の両市などが後援しました。ディスカッションのトップバッターは、かしてつ応援団の栗又衛・元顧問。2001年の廃止表面化当時は県立小川高校教諭で、近隣の学校に呼び掛けて「かしてつ応援団」を立ち上げました。

応援団には、最終的に中学9校と高校7校が参加。関係機関に鉄道存続を求める手紙を送ったほか、話題づくりでラッピング列車を運転。公的支援継続を求める、「かしてつブルーバンドプロジェクト」も展開しました。ブルーバンドは青いリストバンドで、活動のシンボル。マスコミに取り上げられました。

栗又元顧問は、「結果的に鉄道は存続できなかったが、生徒たちは『自分たちの力でも社会を動かせる』と自信を持ったはずだ」と回顧しました。

安易な公的支援は鉄道存続にマイナス!?

かしてつ廃止までの流れを詳細に検証したのが、鹿島鉄道保存会の加藤三千尋代表です。車両3両を保存する鹿島鉄道記念館のオーナーで、たまたま視聴したテレビで知ったのが「かしてつ応援団」の活動。自らも存続運動に加わりました。

通常非公開の鹿島鉄道記念館の車両を投映しながら、かしてつ廃止までを検証する加藤鹿島鉄道保存会代表(壇上左側)

加藤代表が注目したのは、2002年7月の鹿島鉄道対策協議会による公的支援決定。沿線自治体でつくる対策協は5年間の鉄道存続に必要な公的資金を投入したのですが、沿線住民に「かしてつは廃止されない」の誤解を与えてしまい、存続運動の盛り上がりを欠く結果になりました。

存続か廃止かが最終局面を迎えた2006年、対策協が実施したのが、かしてつに代わる新事業者の募集。東京のイベント企画会社と、地元住民団体が応募したものの要件を満たさず、最終的に廃止が決まりました。

かしてつにもネコ駅長??

実はこの時、引き継ぎが模索された事業者がありました。それは岡山県の両備グループです。

両備グループは当時、和歌山県の南海電気鉄道貴志川線を引き継ぐ和歌山電鐵の鉄道再生が注目を集め、かしてつも両備グループ入りして生き残る道が探られました(和歌山電鐵の開業はかしてつ廃止前年の2006年4月です)。

最終的にかしてつは廃止、貴志川線は存続と明暗を分けたのは沿線の熱意。和歌山は沿線住民が両備にエールを送ったのに対し、かしてつにそうした動きはなく、沿線を視察した両備が、新事業者に手を挙げることはありませんでした。

ところで、和歌山電鐵の有名人(?)といえばネコのたま駅長。ひょっとしたら、かしてつにも動物駅長が誕生していたかもしれません。

くりでんの気動車が走るはずだった

加藤代表がもう一つ、明かしたのが車両更新。かしてつを走る可能性があったのが、宮城県のくりはら田園鉄道(くりでん)のKD95形気動車です。

くりでんは旧社名・栗原電鉄のように元は電気鉄道でしたが、施設老朽化への対応や経費節減を狙いに、1995年に電車運転を取りやめ気動車に切り替えました。

くりでんは、かしてつとほぼ同時期に廃止に向けた動きが進み、仮にかしてつが存続された場合、くりでんから車両譲渡を受ける算段でした。しかし、結局は両社とも廃止。奇しくもくりでん廃止日は、かしてつ廃止と同日の2007年4月1日でした。

記念イベントでは、かしてつゆかりの品や写真、資料が展示されました。写真は運行最終日のヘッドマーク

湊線にあって、かしてつになかったもの

茨城では、1987年に筑波鉄道、2005年に日立電鉄、そして2007年に鹿島鉄道と地方鉄道の廃止が続きました。その中で唯一残ったのが茨城交通湊線(勝田〜阿字ヶ浦間14.3キロ)です。湊線は2008年4月、第三セクターのひたちなか海浜鉄道に移管されました。

湊線にあって、かしてつになかったもの……。シンポでは、「地元の熱意」で議論が収束。現在も地方鉄道の厳しい経営環境が続きますが、かしてつ廃止時とは異なり、鉄道を地域資源と位置付け存続の道を探ります。

かしてつは今も廃止時の車両の半数以上が保存され、ファンに愛される鉄道。保存車両を訪ねる、関東鉄道のバスツアーは人気です。線路跡のうち石岡駅〜旧四箇村駅間5.1キロはバス専用道に整備され、路線バスの定時運行に効果を発揮します。

以上、鉄道が廃止されてやがて20年という現在も、かしてつは現役感十分。栗又元顧問や加藤代表、さらには小川南病院の諸岡信裕前理事長、鉾田駅保存会の岡野利通理事長はいずれも鉄道ファンを自認します。そうした熱意に支えられて100周年の節目を迎えたかしてつ、今後も長く歴史が続くことを祈りたいと思います。

加越能鉄道からキハ431、キハ432が譲渡された縁で富山県からもファンが参加。加越能鉄道の車両模型を展示しました
ゲスト出演した音楽デュオ「ANAK(アナック)」。かしてつ沿線で活動し、鉄道応援歌「鉾田線」などを披露しました

記事:上里夏生