【小倉 孝保】貧しさゆえに差別され不登校に…日本で「読み書きができない現実」に直面した男性の「壮絶な人生」

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人生につきまとった差別

今年、米寿を迎えた西畑保さん。和歌山県の山間で生まれ育った西畑さんは、小学2年生の途中から学校に通っていません。極度の貧しさが原因で、教師とクラスメートからいじめを受けたのです。

それ以来、学校には通わず、同級生が中学校に通う年齢になって働きに出ました。そして、その人生につきまとったのは、「読み書きができないこと」でした。

誰しもがスマホを持つ現代、私たちは一日のどれくらいの文字を使うのでしょう。文字を介したコミュニケーションが当たり前でなかった西畑さんは、勤め先でも「読み書きができないこと」によって、差別的な扱いを受けました。

しかし、64歳のとき、西畑さんは夜間中学校で読み書きを学ぶことを決意しました。その理由は、長年連れ添ってくれた妻の皎子(きょうこ)さんにラブレターを書くためだったのです──。

各メディアでも取り上げられたこの実話は、書籍『35年目のラブレター』として刊行され、2025年3月7日には同タイトルにて全国での劇場公開も控えています。

「学ぶのに遅すぎるということはない」──。そんなメッセージを体現した西畑さんの人生を、ご本人に書いていただきました。

小学2年生のとき、貧乏だから泥棒扱いされた

ぼくは今年、88歳になりました。ミスター・プロ野球の長嶋茂雄さんと同じ年齢です。

和歌山県の山奥にある炭焼き小屋に生まれました。家は貧しく、子どものころに白いご飯を食べた記憶はありません。いつも水分の多い粥でした。

小学校に入った後、母が亡くなりました。結核だと思います。父とは血がつながっていません。母が亡くなってしばらくしたとき、それを知りました。

山奥に住んでいたので、子どもの足だと学校まで片道3時間ほどかかります。それでも通いました。友だちを作りたかったのです。

通い始めると他の子に比べ、自分がとても貧乏なことに気づきました。

そして、2年生の5月だったと思います。教室である事件が起き、ぼくはお金を盗もうとしていると疑われました。貧しかったからです。

それをきっかけにいじめが始まりました。

ぼくが教室に入ると、クラスメートは「おい、盗まれるぞ」と言って、机の上の物を片付けます。

校庭でのボール遊びも、仲間はずれです。野球のボールが飛んできたので、拾って投げ返しても、誰も捕ろうとしてくれません。転々と転がるボールを見ていると、涙があふれてきました。

好んで貧しい家庭に生まれたわけではありません。なぜ、いじめられなければならないのか。ぼくは2年生の途中で小学校に行かなくなり、文字の読み書きができないまま育ちました。

読み書きのできないぼくに降ってわいたお見合い話

パン屋で働き始めたのは12歳のときです。以降、あちこちの飲食店に勤めました。

苦労したのが字の読み書きです。

まず、出前の注文が受けられません。メモをとれないからです。仕入れに行くのも一苦労です。先輩から買うべき品を書いて、渡されても、読めません。市場の人に助けてもらいました。

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読み書きができないことで結婚はあきらめていたという西畑さんだったが、縁がありのちの妻となる皎子(きょうこ)さんとお見合いをする。結婚後も「読み書きができない自分」がばれたら離婚させられると、必死にひた隠してきたがあることをきっかけに妻に知られてしまう…。

その詳細は<【後編】貧困で「壮絶ないじめ」に遭い、学校に通うのをやめた男性が、最愛に妻についた「最大のウソ」…ばれて離婚も覚悟した>でお伝えする。

貧困で「壮絶ないじめ」に遭い、学校に通うのをやめた男性が、最愛に妻についた「最大のウソ」…ばれて離婚も覚悟した