「食の好みが合わない」と彼女をフッた男。数年後に彼女の今を知り、猛烈に後悔したワケ
◆これまでのあらすじ
外資系証券会社に勤める健史(29歳)は、女子大生との飲み会で知り合った琴音と交際を始める。ドライブデートで彼女に運転を任せ「視野が狭い」と指摘したとき、7年前にも同じように当時の彼女・和実とドライブしたことを思い出す。今回の目的地は、お墓参りで…。
▶前回:女子大生と交際中の外資系証券マン。ドライブデートで、彼女の指定した目的地に驚き…
視野の広さは【後編】
「まさか、デートで墓参りに行くことになるとはなぁ…」
運転席でハンドルを握る琴音は、まるで聞こえていないかのように車を軽快に走らせる。
― こんなことなら、もっと早く行き先を聞いておくんだった…。
琴音の発案によりドライブに出かけたものの、まさか行き先が、千葉にある墓苑だとは思わなかったのだ。
健史は、せっかくの天気がいい休日を無駄にしているかのような気分になる。
先ほど訪れた道の駅から、車で1時間ほど。周囲に田畑が広がり、田舎らしい風景が見えてきた。
さらに進んで山道へと入ると、人気が少ない寂れた景色となっていく。
冬の木々が寂しさを助長し、薄気味悪い雰囲気さえ漂い始めた。
「なんか。この辺、出るらしいよ」
運転中の琴音が、急に呟いた。
「ええっ…。出るって、まさか…?」
健史が敏感に反応し、表情を覗くと、琴音が「ふっ」と吹き出した。
「おい、やめてくれよ…」
健史は、そういった類の話が得意ではなかった。
遊園地のお化け屋敷ですら苦手としており、不安そうにする健史の心中を察して、琴音がからかったのだ。
「着いたよ」
目的地である墓苑に到着し、琴音がハンドルを切って駐車場に入った。
車を降りて、まず管理事務所を訪ねる。
「受付してきちゃうから、ちょっと待ってて」
健史は、手続きをしている琴音の様子を遠目に眺める。
手際のよさから、頻繁に来ているように見受けられた。
琴音が桶と柄杓を借りて戻ってくると「さ、行こ」と促した。
その言い方が、いつも以上にクールに響く。
どこか緊張感を帯びたような気配もあり、健史は思わず居住まいを正した。
広い墓苑の中を、琴音は地図も見ずに歩いていく。
健史は、その後ろ姿をただ追った。
恋人の知り合いとはいえ、直接つながりのない人物の墓参りであり、特別な感情は湧かない。
3〜4分歩いたところで、琴音が立ち止まった。
琴音が手を合わせる墓石には、『有原家之墓』と刻まれていた。
「琴音と名字が違うけど。やっぱり友だちとか…?」
健史が背後から声をかけると、琴音が振り返って首を横に振った。
そして、落ち着いた声で言った。
「健史。憶えてるでしょう?お姉ちゃんのこと」
「んん?お姉ちゃん…?」
質問の意図がわからず、健史は首を捻った。
『有原』という知り合いがいたかどうか、記憶を遡る。
すぐに、ある女性の顔が浮かんだ。
ここに来るまでの道中、車のなかで話題にあがった、7年前に付き合っていた彼女・和実。その名字が『有原』だったことを思い出した。
「琴音…お前。和実のこと、知ってるのか?」
琴音が「うん」と頷く。
「お姉ちゃん。3年前のちょうど今くらいの時期に、亡くなったの」
和実とはしばらく会っていなかったものの、健史はショックを受ける。
「健史。7年前にお姉ちゃんとドライブをしたとき、こっちのほうに来たでしょう?そのとき、私に声をかけてくれたの、憶えてない?」
「ええ…?」
再び記憶を遡り、和実と出かけたときの状況を思い浮かべた。
神社へのお参りに付き合った帰り、どこかで食事でもしようという流れになった。
せっかくなら美味しいものを食べようと、店を探すために、いったん駅のほうへと向かった。
駅前を通りかかった際、ベンチに座る学生服姿の少女を見かけた。
冬の寒い時期だというのに、コートも羽織らず縮こまっている女子学生。和実は異変を感じたのか、「様子がおかしい」と声をかけることにしたのだ。
教師を目指していただけに、放っておけなかったのかもしれない。
車を停め、2人で近寄って事情を尋ねた。
「家で親とケンカをしちゃって…」
少女は言った。
そのまま家を飛び出し、バスに乗って駅まで来てしまったとのことだった。
少女は、中学3年生だった。
あれから7年経っているということは、今は目の前の琴音と同じくらいの年齢ということになる。
「まさか…。あのときの子は、琴音だったのか…」
琴音が頷くのを見て、健史は急に寒気を感じ、ゾクッと身震いした。
もしかしたら、何か復讐でも企てているのではないかと、あらぬ方向に想像力を働かせてしまった。
当時何か恨まれるようなことでもしたかと、ぐるぐると考えを巡らせる。
だが、琴音の様子を見る限り、そこまでの悲壮感はなく、襲い掛かってきそうな気配もない。
「もう…。そんなに怖がらないでよ。別に、何か企んでるわけじゃないから」
琴音に、心の内を見透かすように言われてしまった。
ふっと肩の力が抜けたところで、健史は2人の関係について尋ねてみる。
「あれから、和実とは連絡を取り合ってたのか?」
「そう。お姉ちゃんが『連絡先を交換しよう』って言ってくれて」
「和実は、なんで亡くなったんだ?急な事故とか?」
琴音は静かに首を横に振り、やや吊り上がった猫のようなつぶらな瞳で健史をじっと見つめた。
「お姉ちゃん、ずっと病気だったの。健史と付き合っていたころから、持病を抱えてたんだ」
当時、和実がそんな素振りを見せたことがなかったため、健史は意外に思った。
「腎臓が悪かったみたい」
「なんで、教えてくれなかったんだろう…」
「嫌われたくなかったんだよ。好きな人に、病気のことなんて言えないよ」
複雑な女心というものかもしれないが、健史にも理解できなくはなかった。
「お姉ちゃんもこの辺の出身だから。健史を連れてお参りに行ったのは、お姉ちゃんが昔から通ってた神社だよ」
健史は、何も知らなかった自分に落胆する。
「本当はね。お参りした日の帰りに、病気のこと健史に伝えるつもりだったんだよ。でも、私に会って、タイミングを失っちゃったから…」
あのとき、帰りが遅くなり、腹も減り、健史はかなり不機嫌になっていた。
ナイーブな問題なだけに、和実が切り出せないのも当然だった。
「ああ…。だからあいつ、好き嫌いが多かったのか。食べないんじゃなくて、食べられなかったんだな」
持病による食事制限を、偏食だと勘違いしていたのだ。
それを、食の好みが合わないと捉え、相性の悪さだと判断して別れる原因にしてしまった。
健史は、自分の浅はかさを痛感する。
「和実は、教師にはなったのか?」
「うん。でも1年間だけ。そのあと体調を崩して、療養生活に入っちゃったから。地元に戻って来てたから、私もよくお見舞いに行ってたんだ」
「そうか…」
当時の和実は、教師生活が始まるのを楽しみにしていた。
それが1年間しか叶わなかったことの無念さを思うと、胸が痛んだ。
「あれ。俺たちが飲み会で会ったのは?あれは偶然?」
「うん。私はすぐに健史だって気づいたよ。だから、内心かなりドキドキしてた」
「それはまったく伝わってこなかったな…」
琴音は、淡々と話し続ける。
「私は、お姉ちゃんが導いてくれたんだって思った。しかも、まさか付き合うことになるなんて。だから、絶対にお墓参りに連れてきたいと思ったんだ。
でも、正直に伝えたら健史に引かれるかもしれないって思って…。なんか、騙して連れてきたみたいになっちゃって、ごめん」
「いや、来れて良かったよ。和実のことも、知れて良かった」
通常なら、縁が切れたあとの恋人の軌跡を辿ることなど、なかなかできない。
相手が亡くなっているのなら尚更である。
それが、こうして事情を把握し、隠されていた事実まで知ることができたのだ。健史は、不思議な巡り合わせによるものであり、感慨深く思う。
琴音の言っていた「お姉ちゃんが導いてくれた」との言葉を身にしみて感じた。
「お姉ちゃん、健史のことを『すごく優しい人だ』って言ってたよ」
琴音は穏やかに語りかけるように言うと、墓石のほうに視線を向ける。
「いやあ、俺は…」
健史の頭をよぎるのは反省ばかりだ。
和実と付き合っていたころはまだ若く、傲慢で、優しく接した覚えなどなかった。
ドライブに出かけた際も、和実の運転に対して「視野が狭い」「もっと周りをよく見ろ」と助手席でふんぞり返って叱責していた。
和実の事情を察することなく、ただ罵っていた自分こそが、何も見えていなかったのだと痛切に感じる。
健史は、琴音の隣に並んで墓石の前に立ち、両手を合わせた。
◆
墓参りを終えて墓苑を出ると、まだ夕方ではあるものの、辺りは随分と暗くなっていた。
「夜道は危ないから。帰りは俺が運転するよ」
健史は、そう言って運転を交代する。
気を利かせての発言のようではあるが、ハンドルを握って少し気を紛らわしたいという思いがあった。
和実の軌跡を知ることができて良かったと納得はしているものの、やや気怠さを感じ、車内の空気もどことなく重いものになっていた。
しばらく進むと、行きの道中で琴音が「出るらしい」と健史をからかった場所に差し掛かった。
街灯の明かりも乏しく、いっそう薄気味悪い気配が漂っている。
そこで、健史は運転しながら視界の端に何かを捉えた気がした。
「ええっ…。今、人影みたいなのなかった?」
助手席の琴音が後ろを振り返る。
「いや…なんもないけど。気のせいでしょう」
過剰に怯える健史に対し、琴音が呆れてため息をつく。
「はいはい。視野が広いと大変ですね」
してやったりの表情で、嫌味っぽく言った。
ドライブ中、琴音の運転に対して「視野が狭い」と指摘していたことを逆手に取られ、健史は唇を噛む。
「なんか見えた気がしたんだけどなぁ…」
「熊じゃない?ほら、去年の11、12月ごろニュースでよくやってたし」
「ああ、やってた。そっか、熊か…。いや熊も怖いよ!」
車内の雰囲気がなんとなく和んだ。
それだけで、まだしばらく続く暗い夜道も、心強く思えた。
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