オトナの男女なら、一度や二度はあるだろう。

友達や恋人には言えない“あの夜”が…。

寂しかったから、お酒に酔っていたから、魔が差して…。

そうやって自分に言い訳をしながら、人は一夜の過ちを犯す。

これは、オトナの男女の「誰にも言えないあの夜」のストーリー。

▶前回:「奢ってくれない男と食事したの初めて…」麻布十番での食事会に女がうんざりしたワケ




Vol.11『人生最大の事件』智也(31)


「望美、本当に…なんて言ったらいいか…」
「……」

1月下旬の土曜日、僕は新宿のカフェで、彼女の望美に深々と頭を下げた。

彼女との交際歴は6年。しかし、僕の大きな過ちにより、今日でピリオドを打つことになったのだ。

「智也、場所変えよう」
「だよな。ごめん」

僕は、黙って望美について行った。

「金曜だし、どこも空いてないね。ここ高いかな…」

「いいよ。最後にご馳走させて」

蟹料理屋の個室で、僕らはウーロン茶と一品料理をいくつか注文した。

ふたりの間に、気まずい空気が流れる。

望美が想像よりも怒っていないのは、愛想が尽きたのか、呆れているのか…とにかく失望していることは明らかだ。

「じゃあ、話してよ。どうして飲み友達の女を妊娠させ、結婚することになったのかを」

「うん…」




1ヶ月ほど前。

僕と望美は、これまでにない大ゲンカをした。

原因は、年末に計画していたバリ旅行を僕が「キャンセルしたい」と言い出したから。

祐天寺にある彼女の家で過ごしていたときに切り出したのだが、すでにキャンセル代が発生する時期だったこともあり、彼女の反応は最悪だった

「そんなに怒るなよ!母親の体の具合が悪いんだから」

母は、埼玉の西川口に一人暮らししているのだが、このところ調子が良くないらしい。

心配になった僕は、年末は実家に帰ることが、最善だと考えたのだ。

「わかってるよ。でも、その病気って難病指定だけど、薬で今は症状も安定してるんでしょ」

「…そうだけど、うちは離婚しているから、僕しか頼れる人がいないんだよ」

望美の言い分も間違ってはいない。

でも、休みがシフト制の人材派遣会社に勤める彼女と付き合ってから、実家に帰る回数は減った。

だから、今回は母親を優先したかったのだ。

「はぁ…沖縄で悠々自適に暮らしてるお兄さんは?」

「でも、沖縄からはすぐに来れないだろ!!」

そう怒鳴りつけた後で、マズイ…と思った。望美の目に涙が浮かんでいたからだ。

彼女は本来とても優しい子だ。だから、やり場のない感情が、あふれ出たのだと思う。

「もういいよ。智也とは一生旅行しない。帰って」

「はいはい。帰りますよ〜」

僕は、望美に言われるまま、部屋を出た。

こういう時は、いくらなだめてもその日のうちに望美の機嫌が直ることはない。

だから、放っておくのが一番なのだ。




僕は、祐天寺の商店街を歩きながら、なんとなく女友達に連絡をした。

『智也:華、暇してない?』

華との出会いは3ヶ月前。人数合わせで参加した食事会だった。

彼女は、24歳という若さでネイルサロンの経営をしている。パワフルでノリがいいから、時間を持て余した時に最初に思い浮かぶ女友達だ。

だけど、それだけの関係。華はフリーだが、僕に恋人がいることを伝えている。

保守的で真面目な望美とは真逆。だから、望美と喧嘩した日なんかは、ついつい連絡してしまうのだ。

『Hana♡:今仕事終わったところ。行く?笑』

― さすが、華は話が早い。

『行く?』の後にビールの絵文字がついていたので、僕は即答し、華がいる恵比寿までタクシーで向かった。

「智也くん、こっちこっち!」

ふたりの間で定番になっている焼き鳥店。彼女は、すでにビールと鶏皮ポン酢を注文していた。




「お待たせ。じゃあ、僕もビールを…」
「あ、もう注文してるよ。さっきもうすぐ着くって言ってたから」
「お!気が利くね。サンキュー」

そんな会話を交わした後、僕たちはいつも通り楽しく飲み始める。

ただ、いつもと違うのは、珍しく華に元気がないことだ。僕がそれに気づき「なんかあったの?」と尋ねると、華は悩みを打ち明けてくれた。

最近雇ったスタッフの評判が良くないこと、そのせいで大事な顧客も何人か離れてしまったことなど、経営についても問題がいくつかあるようだった。

特にやりたいこともなく、なんとなく総合商社に入社した僕は、具体的に彼女に解決策を提案できないことが歯がゆかった。

「ありがとう。ちょっとスッキリした!」

でも、華は僕に話したことで、少し元気を取り戻したようだった。

「そういえば、私引っ越したんだよね」
「そうなの?」
「うん。西早稲田から中目黒に。好きな街に住むのが目標だったからね」

― かっこいいなぁ…。

僕は、若いのに行動力のある華に感心しながら、鶏モモをビールで流し込んだ。

「よかったら、このあと新居に遊びに来ない?」

店を出ると華が言い、その誘いを僕は断れなかった。

望美のことは大事だし、いつか結婚しようと思っている。でも、目の前にいる華に惹かれていることも確かで、その気持ちに嘘はつけなかったからだ。




「おぉ、外観から想像つかないくらい中は綺麗だね」

「そうなの。大家さんが去年リフォームしてくれて。すごく好みなんだよね」

僕たちは互いにドギマギしながら、小さいソファに腰を下ろす。

そして、華が用意してくれた缶ビールに手を伸ばしたタイミングで、華の唇が僕に触れた。

「…ごめん」

華の言葉を、今度は僕が塞ぎ彼女を抱きしめる。そこからは、もうほとんど衝動的に華を求めた。

不思議と罪悪感や後悔はなかった。

僕のその思いがそうさせたのだろうか…。

数ヶ月後、華の妊娠が発覚した。



「だから、二股とかじゃないんだよ。たまたまその日彼女の家に行ってしまって…」

僕はひたすら望美に説明をした。

「ただの飲み友達と、酔った勢いで?」

「うん…」

本当は、華に好意があった。だからある程度の覚悟を持って男女の仲になったのだ。

でも、そんな本音を言えば、望美を傷つけてしまうだろう。

望美は、いつの間にか緑茶ハイを飲んでいた。

6年も付き合った彼氏が、他の女を妊娠させ結婚すると言っているのだ。逆の立場でも、酒がなければやってられないだろう。




「今、妊娠何ヶ月なの?」

しばらく沈黙が続いた後、望美が口を開いた。

「えっと…何ヶ月なんだろう。7週って聞いてるけど。心拍も確認できたみたい」

僕もまだ、父親になるなんて信じられないし、実感がない。でも、華が産むと言うので、近いうちにプロポーズをするつもりだ。

「予定日は?」

「9月の前半かな」

「…そっか。秋には智也はパパになるのか…」

「望美には、本当になんて言えばいいか。いくら謝っても足りないよな」

「うん。今すぐには無理だけど、現実を受け入れるよ。今までありがとう、それとおめでとう」

望美が声を震わせながら言う。

「智也とは一生旅行しないって言っちゃったけど、まさか本当にそうなるとはね…」

不意に笑顔を僕に向けるから、ドキっとする。

― あれ。望美って、こんなに可愛かったっけ…。

100対0で僕が悪いのに、円満な別れのような対応をしてくれる望美に、僕はいたたまれなくなった。

華を妊娠させてしまった“あの夜”、僕が華に抱いていた気持ちは、望美にも言えなかったし、他の誰かにも言うことはないだろう。

それが、僕にできる望美への最後の敬意だ。

『Hana♡:ちょっと、どこにいるの?今すぐにりんごを買って帰ってきて!』

望美と別れた後、華からは大量のメッセージが届いていた。

― うっ…。

僕は一瞬ひるんだが、気持ちを切り替え、りんごを買うためにスーパーを目指した。

今、守らなければならないのは、僕の子を宿している華なのだから。

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元夫との夜が楽しくて…