◆これまでのあらすじ

顔だけのダメ男と別れたばかりの残念美女・杏奈。かつて振った男性たちがエリートになっている姿を見て再アタックし始めるが、散々な目にあってばかり。勇気を出してデートに誘った高濱も既婚者だということが判明し…。

▶前回:29歳で、突然モテなくなった美女。狙っていた男に「君のここがダメ」と指摘された欠点とは




Vol.9 自分以外は全員幸せ!?


高濱との夜を過ごした、翌日の月曜日。

朝6時に目が覚めた杏奈の気分は、自暴自棄になっていたここ数日とは打って変わってスッキリしていた。

そのまま部内でも一番早く出社し、企画書の作成や経費の精算準備など、ここ数日溜めていた仕事を一気に片付ける。

「ふぅ…」

作業が一段落した10時ごろには、会社のカフェテリアで、昨晩の切なくも楽しい夜を思い出した。

― 高濱くんって、本当に素敵な人なんだな…。

あのあと高濱は、時間が許すまでずっと杏奈の話を聞いてくれた。

直人の愚痴や、今までのひどいデートの数々、そして卑屈な弱音…。最後の方は同じ話題の堂々巡りになったものの、一切否定の言葉を使わず、全てを受け入れてくれたのだ。

帰る頃には、沈んでいた心も、幾分軽やかになっていて…。

クラス会で再会した時、高濱にまっすぐに惹かれた直感は、間違いなかったのだ。

ただ、妻子がいたことは盲点だった。

高校時代の同級生だからか、印象が当時で止まった状態で、独身だと思い込んだまま突き進んでしまっていた。ピーターパンのような直人とずっと一緒にいたからか、杏奈の時間は止まっていたけれど、普通に考えたら家庭を持っていても当然の年頃なのだ。

― 私ったら、30近くにもなって何しているんだろう。こんなんじゃ幸せになんかなれないよ…。

温かくて甘いラテを口にし、心身共に落ち着かせる。それでも胸の中の空虚は埋まらなかった。

そんな時、麻沙美からのメッセージ通知がスマホにポップアップしてきた。

「あれ…、久しぶりじゃない」

麻沙美とは、例の食事会以来だ。叱られて以来音沙汰もなく、杏奈からも連絡しづらくなっていた。

ふいの連絡に、杏奈は気持ちを奮い立たせる。

恐る恐る通知を開いてみると、そこに書いてあったのは、思いがけない知らせだった。




会社終業後。

恵比寿のカフェに呼び出された杏奈は、席に着くなり麻沙美から詳しい報告を受けていた。

「妊娠、4ヶ月…?」

「うん。実はあの食事会でもノンアルだけだったのよね。気づいていた?」

「ううん、全然気づかなかった。いま4ヶ月っていうと…いつ出産なの?」

「順調にいけば夏前には」




急な呼び出しで駆けつけたものの、まさかそんな嬉しい報告だとは思ってもみなかった。

もともと子ども好きな杏奈だ。友人の子どもが生まれるとなれば、もちろん嬉しい。

「おめでとう!産まれたら赤ちゃんも一緒に遊ぼうね!ああ、今から楽しみだよ!」

「ありがとう。でも、杏奈だからこうやって報告したけど、まだ何があるかわからないから」

「あ…そうだよね」

ゆくゆくは教育関連の事業で起業するのが夢だという麻沙美は、現在もすでにその準備を着々と進めているらしい。

本格的に動き出す前の、今のうちに子どもを出産しておきたい…。そんな思いから、早期に検査をして、治療を開始し、苦労の末ここまで至ることができたのだそうだ。

「ちゃんと人生設計してるんだね、麻沙美は…」

将来を見据え、着実に道を歩んでいる麻沙美の様子に、杏奈は急に落ち込んだ。現在のことで精いっぱいで、行き当たりばったりの自分の幼稚さを、改めて痛感したのだ。

「ところで、あれから白倉さんとデートしたんだってね?」

会話が途切れたタイミングで、麻沙美が尋ねてきた。ワクワクした表情を見ると、どうやら妊娠報告よりもこっちが本題だったのかもしれない。

「ああ、いい人だったんだけど…やっぱり価値観が合わなくて」

白倉とのデートの愚痴を言いたい気分だったが、麻沙美をまた怒らせるわけにはいかない。杏奈は、白倉とはそれきり疎遠になった、と適当にごまかして、それ以上の言葉はグッと堪えた。

「そう…残念だったね。実は彼、今アプリでかなりモテていると聞いたから、杏奈とはどうなったか気になっていたんだ」

「え?アプリでモテモテ?」

杏奈は興味本位でそのアプリを覗く。

白倉のプロフィールは、簡単に見つかった。




「大手商社勤務だし、ステイタス的には当然よね。けっこう品定めしているみたいだけど…」

麻沙美の言葉を聞きながら、プロフィールに目を通す。

年齢がいちばん出る目元はオシャレ眼鏡と加工でごまかされ、初回のデート代は全額自身が負担すると書いてある。プロフィールのおじさん構文みもLINEのやり取りを思い出させる文体だ。

白倉とうまくいかなかったことを、惜しいと思う気持ちはない。それなのに胸がモヤモヤするのは、嫌な思いをさせられた相手への苛立ちなのだろうか。気づけば杏奈の口からは、思わずネガティブな言葉が漏れ出ていた。

「うわぁ…」

「そんな声出さないで。お互いの好みに合わなかっただけでしょ」

以前の厳しさとは少し違う、柔らかく注意する麻沙美の声。その声からは、すでに母親のオーラが滲み出ている。

女性としての圧倒的なステージの差を前にして、杏奈は何も返すことができなかった。


29歳の根無し草


ー 私、どんどん周りから置いていかれている…。

麻沙美と別れた後、目黒川沿いを歩きながら、杏奈はひとり考える。

夜の闇に溜め息が何度も白く浮かび上がり、その度に心は重さを増していく。

他人と比較しなければ、もっと楽に生きられるのかもしれない。けれど、恋すらしていない今の杏奈には、時間がありすぎる。時間を持て余した人間は、いつだってつまらない考えを巡らせてしまうものなのだ。

― どうしてこんなことになっちゃったんだろう。やっぱり、直人となんて付き合わなければよかったのかな。

苛立ちの矛先は、いつのまにか元カレへと向かっていた。

杏奈の貴重な20代の時間を、消費するだけ消費して旅立っていった直人。直人がいなければ、自分はもっといい人生を送れていたのかもしれない。

直人の現状がふと気になった杏奈は、ベンチに腰を落ち着け、スマホでを検索してみる。

電話番号、LINE、SNSは、別れ際に全て削除とブロックをしたが、共通の友人を通じて簡単にアクセスすることはできた。

無力感に支配されるあまり、つい意地悪なことを考えてしまう。もしも直人が、ひとり惨めに未練を抱いていたら…ズタズタになったこのプライドも、幾分救われるかもしれないと。

しかし、目に入ってきたのは──。




『Hello JAPAN!スパイス偏愛系YouTuber、ナオト・ガラムマサラでーす』

「はぁあ?」

画面の中には、ハイテンションに叫ぶ金髪男の姿があった。開いた口が塞がらない。

直人は現在、世界を旅行しながらその先々でのスパイス料理や観光情報を提供するYouTuberになっていたのだ。

― 世界を旅するとは言っていたけど…。

ショート動画では世界遺産をバックにダンスしており、なぜかドッキリを仕掛けられている動画もある。

「何やってるんだか…。あーあ、やっぱりこんな人、別れてよかった!」

予想に反してイキイキとしている直人のあいかわらずな姿を見て、杏奈は呆れ口調で悪態をつく。

けれど、そのまま動画を見続けているうちに、杏奈の口元にはいつのまにか微笑みが浮かんでいるのだった。

― 何だかんだで、幸せそう。すごく楽しそうだし…。

絶景を前にした満面の表情に、記憶の中での直人が重なる。

確かに直人は、いい大人としては自由すぎて、気ままで、周囲の人への迷惑などには思いが至らない性格ではあった。けれど、自分のやりたいことにはまっすぐで、いつだってなりふり構わず一生懸命にチャレンジしていた。友達もたくさんいて、遊びやイベントの誘いも絶えることはなかった。




それに対して、自分はどうだろうか?

ルックスに恵まれていたこともあり、ずっとお姫様扱いされていて、これといった苦労のない人生だった。

いつだって、楽しくて歩きやすい道を、誰かが提示してくれた。何かあれば、決まって誰かが手を差し伸べてくれた。直人だって、その中のひとりだ。杏奈の人生の選択は、いつでも他人に委ねられてきた。

その結果が、今だ。なにもない、誰からも必要とされない人間。

29歳という立派な大人であるにもかかわらず、中身は子どものまま。

人の意見やマニュアルがなければ恋愛もできない。決断だってすぐに揺らぐ。何も責任を負わないまま、ただ幸せになりたいと漠然と考えている…。

今の自分は、そんな不安定な根無し草だ。直人のことをあげつらう資格なんて、まったく無かったのだ。

― 私、本当は何がしたいんだろう。恋人が欲しいの?結婚したいの?そして、誰のことが好きなんだろう…。

いつのまにか直人のYouTube動画は再生を終了し、杏奈の手元には真っ暗で小さな画面がおさまっていた。

頭を空っぽにして、目をつぶる。これまでに経験したことのない、とてつもない孤独が今、杏奈をすっぽりと包み込んでいた。

そんな時。杏奈の真っ暗な心の暗闇に、ぽつりと小さな灯火がともる。

真っ暗な闇の中で、ただ一つ輝く彩り。あたたかく杏奈の心を照らす光。

それは、“ある人”の笑顔だ。──それもよく見覚えのある、優しくて、懐の深い、男性の…。

「え、私…?」

様々な男性とデートし、別の世界を見た。傷ついて、身の程を知って、多くの恋愛経験をつんだ。

しかし、杏奈の本能が最終的に求めたのは、もう好きになってはいけないあの人だった。

― 待って!?それって、独身女が陥りがちな最悪のパターンじゃないの。

杏奈は迷走してしまいそうな自分の心をとめるのに必死だった。

気がつけば、杏奈は高濱のいるダイニングバーへ向かっていた。

▶前回:29歳で、突然モテなくなった美女。狙っていた男に「君のここがダメ」と指摘された欠点とは

▶1話目はこちら:お姫様のリベンジ:高校の同窓会。さえなかった男たちのハイスペ化を見た29歳女は…

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高濱の店を訪れた杏奈は、彼に禁断の質問をしてしまう。