◆これまでのあらすじ
新婚の藤田真弓(38)は、夫の雄介と協力し、自宅マンションの売却活動中。しかし、やっと予約が入った初めての内覧で、まさかの元カレ・修平に遭遇。ほどなくして、マンション内の上の階で同じ間取りの部屋が売りに出されていることを知る。

▶前回:かつて婚約破棄された39歳の元カレと3年ぶりに再会。結婚を報告したら、思わぬ反応で…




Vol.9 競合物件


元カレの修平が自宅の内覧に来てから数日後。

物件情報ポータルサイトを眺めていたら、マンション内の上の階、同じ間取りの部屋が、私の部屋とほとんど差のない金額で売りに出されていることを知った。

夫の雄介とともに呆然としていると、スマホが鳴る。

「藤田さん、今よろしいですか」

電話をかけてきた相手は、仲介業者の新堂さんだ。

「もうご覧になったかもしれないですが…同じマンション内の上の階の部屋が、売りに出されています」

「ええ、ちょうどいまサイトを見ていました…金額が、うちと200万円しか違わなくて。これじゃ、普通は上の階を選びますよね」

掲載されている写真を見ると、上の階は圧倒的に有利そうだ。

ヴィンテージ感を生かし暖色系のフローリングや建具でまとめた私の部屋と違い、上の階は真っ白なフロアタイルを敷いたモダンな内装。

「内装・設備フルリニューアル工事完了済」と書かれており、最新式のキッチンや浴室が写っている。

「たしかに、この状況は不利ではありますが…いかんせん、まだ出てきたばかりの部屋です。少し様子を見ましょう。私も、タイミングをみて見学できないか確認してみます」

「お願いします」

話しながら、頭を下げる。

― 内覧で元カレに遭遇したと思ったら、次は、競合住戸の出現…。なんか、全然うまくいかない。

電話を切ると、自然と深いため息をついていた。


「しかし、こんなに綺麗にリニューアルしていて、階数も上なのに、200万円しか違わないなんて…。明らかに、この部屋を意識した価格設定だよね」

まだポータルサイトを読み込んでいる雄介が、考え込むようにつぶやく。

「『たった200万円出すだけで、下の階の部屋にはない最新の設備と10階の眺望が手に入る』って購入者に思わせることができれば、勝ちだもんね…」

言いながら悲しくなる。

― なんか、自分の部屋が当て馬にされてるような気分…。

200万円は、決して安い金額ではない。

しかし、もし35年ローンを引くとなると、200万円を上乗せすることで発生する追加支払いは、月々数千円だ。多くの人は上の階を選ぶだろう。




― そういえば、修平は…。結局どうなったんだろう。

ふと、数日前に内覧に来た修平のことを思い出す。

彼の恋人と思われる女性・メグは私の部屋をかなり気に入ってくれていたようだが、結局買ってくれるのだろうか。

― さっき電話した時、新堂さんに聞けばよかったなぁ。

競合物件に気を取られて、その後の経過を確認するのを忘れていた。

元恋人に自分の家を売るなんて複雑すぎる気分だが、こうして競合物件が出てきたからには、今目の前にいるお客さんのことはしっかり掴んでおきたい。それが過去に婚約破棄にまで至った人物だったとしても、だ。

― 私も、ずいぶん神経が図太くなったな…。修平と付き合ってたころは、もっと繊細だったし、彼の顔色をいつもうかがっていたかも。

雄介という心から信頼できるパートナーを得て、結婚して、心の持ち方も少しずつ変わっているのかもしれない。

― 雄介がいてくれてよかった。

まだパソコンを眺めて首をひねっている雄介を横目に見ながら、私は焦っていた心が少しずつ落ち着いていくのを感じていた。



その日の夜。

食事を終えてリラックスしていると、スマホが鳴った。見ると、大学時代の後輩・健斗くんからのメッセージだった。

『健斗:真弓さん、遅くにすみません。ちょっと話したいことがあって、今電話できます?』




彼とは長い付き合いだが、たいていはミズホや大学時代の友人を交えて食事することが多く、あまり個人でコンタクトを取ったことはない。

― 珍しいな。この前話してた、マンション購入の相談かな?

売却に苦戦してる私に聞かれても、アドバイスできることなんてないけれど…。

若干悲しい気持ちになりつつも『電話できるよ』と返信すると、すぐにLINE通話がかかってきた。

「真弓さん、こんばんは。いきなりすみません」

「大丈夫だよ。どうしたの?この前言ってた、マンションの話?」

「違うんです…あれ、そうかもしれないな。いや、やっぱり違うかも」

電話の向こうで、健斗くんがゴニョゴニョ言っている。

いつも冷静な彼が少し取り乱しているのが不思議で「どうしたの」と声をかけると…。

「今日、修平さんに会ったんです。それで、真弓さんのことを聞かれて…」

― 修平と健斗くんが?どういうこと?

またもや現れた修平の存在に、胸がザワザワした。


「真弓さんは昔、修平さんを大学の集まりに何度か連れてきてくれたじゃないですか。ほら、あの時って、お互いのパートナーも伴っての会が何度かあったから」

「そういえば…」

彼と付き合っていた時のことを思い出す。5年以上もの関係だったし、最後は婚約までしていたので、お互いに紹介し合った友人は数知れない。健斗くんも、その1人だった。

「それで僕、修平さんと意気投合して。僕も彼も、自転車が好きだったから、僕がよく参加している自転車仲間のLINEグループを紹介したんです。

20人くらいのメンバーで、時々、何人かで集まってサイクリングしてるんですけど」




健斗くん曰く、修平は私と別れて以来、その会に参加していなかったそうだ。健斗くんも、あえて彼にコンタクトを取ることはなかった。

そして今日も、湘南まで自転車に乗る企画があり、健斗くんもそれに参加したそうなのだが――朝一番で、修平から連絡があったそうなのだ。「今日の集まり、俺も参加していい?」と。

「…飛び入りでしたけど、予定の合うメンバーでゆるくやっている会ですから、OKしました。それで、普通に楽しく皆で自転車に乗ったんですけど…」

休憩の時、健斗くんは修平から声をかけられたという。

「急に言われたんですよ。『最近、真弓に会ったよ』って」

― 内覧の時のことだ。「会った」って言っても、まともに会話してないじゃない。

数日前のことを思い出して、私は複雑な気持ちになる。

それに、話を続ける健斗くんの声のトーンがどことなく暗いのも、少し気になった。

「僕、思わず『じゃあマンション売却のことも聞きました?その後、どうなったのかな』って言っちゃったんです。てっきり、真弓さんから色々聞いてるのかなと思っちゃって…」

修平はなんと「ああ、なんとなくは聞いてるよ」と返事をしたらしい。

まるで私から、直接相談を受けたみたいな言い方だ。思わず口を挟んでしまった。

「彼は…色々あって、私がマンションを売ろうとしているのは知ってるけど、直接ちゃんと話したわけじゃないよ」

健斗くんは動揺した様子で「そうですよね」と返す。

「ごめんなさい。真弓さんがマンション売却に苦戦されている話や、この前聞いた、マーケティング方法を変えることとかを話しちゃったんですけど…」

大丈夫でしたか、と申し訳なさそうな声だ。

「話しているときの修平さんの様子に、なんか違和感があって。サングラスしてたから、表情はよく読めなかったんですけどね」




「今日いきなり自転車の会に参加してきたのも変だったし。それで、真弓さんに伝えておいた方がいいかなと思って、連絡しました」

「そうだったんだね…。教えてくれてありがとう」

「すみません。もっと早く違和感に気づけたら、色々話さずにおいたんですが…」

申し訳なさそうに声を落とす健斗くんに「大丈夫だから、謝らないで」と告げた。



健斗くんと電話で話してから1週間後。

私は、ある場所で、再び修平の姿を目にした。

はじめは顔がよく見えなかったので、自信を持てなかったけれど…よく見ると、内覧の日に着ていたものと同じジャケットを着ていたので、確信を持った。

「修平!」

考えるより先に声が出た。私の声に気づいた彼は立ち止まり、ゆっくりと振り向く。

そして薄い唇を持ち上げ、ニヤリと笑った。

「…久しぶり、真弓」

「この場所にいるってことは、修平…」

修平が、なぜ内覧にやってきたか。なぜ、上の階の部屋がこんなタイミングで売りに出されたのか。

私はその瞬間にすべてを理解した。

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ついに修平と話すことができた真弓。彼の目的とは?