◆これまでのあらすじ
新婚の真弓は夫の雄介と協力し、自宅マンションの売却活動中。1ヶ月経っても内覧が入らない状態だったが、工夫を重ねてついに初めての内覧が実現。しかし、訪れた客は意外な人物で…。

▶前回:「昔ハマってたんだ…」40歳バツイチ男と結婚した年下妻。夫の趣味に“前妻の影”が…




Vol.8 意外な訪問者


― なんで“彼”がここにいるの!?

マンションを売りに出して1ヶ月と少し。

待ちに待った初めての内覧の日、訪れる検討客のために部屋の隅々まで部屋を磨きあげてその日を迎えた。

だけど――。

「本日はよろしくお願いいたします」

目の前で自分に向かって頭を下げているこの男。

忘れもしない、自分を振った元恋人の修平だった。

― こんな偶然、ありえないでしょ。

しかし、呆然とするのもつかの間。

「お邪魔しまーす」

間延びした挨拶とともに、修平の背後から小柄な女性がひょっこりと顔を出す。

― え、誰?修平の新しい彼女…?

「わぁ、玄関からもう素敵なおうち。海外セレブのコンドミニアムみたい」

独り言にしては大きな声でキャッキャとはしゃぐ彼女は、肌の様子や雰囲気からしてかなり年下に見えた。20代半ば…いや、前半かもしれない。

対して修平は、「メグ、あまり人様の家ではしゃぐなよ」なんて言いながら彼女の頭を撫でている。

― 私は一体、何を見せられてるの…?ていうか修平、私のこと、さすがに気づいてるよね?

修平も驚いているだろうに、彼女の前だからか、動揺した素振りは見せない。

何も知らない仲介業者の新堂さんが「それではリビングからご案内しましょうか」と声をかけると、涼しい顔で私に会釈したのだった。


リビング、キッチン、ベッドルームにトイレとバスルーム。

事前の打ち合わせ通り、新堂さんは順番に室内を案内していく。

「わぁ、素敵なインテリアですね」
「やっぱりメゾネットってなんか憧れ〜!」
「写真撮影してもいいですか?」

メグという女性は終始テンションが高く、嬉しそうにスマホで写真を撮っている。様子からして、私と修平の関係には気づいていなさそうだ。

修平はというと、ほとんど無言でじろじろと部屋を眺めている。値踏みするようなその視線に、私は居心地の悪さを感じてしまう。

― そういえば付き合っていた時も、こんな感じだったなぁ…。どこか相手を見下しているような…。

「お部屋の中のご案内は以上でございますが、何か売主様にご質問などはございますでしょうか」

一通り紹介を終えると、新堂さんは改まって2人に確認を取る。




「このマンションって、ペットは飼えますか?あと、隣の家の人ってどんな雰囲気の方でしょう?ゴミって24時間出せますか?それから…」

メグは私の部屋を気に入ったのか、矢継ぎ早に質問を投げかけてくる。

対して修平は隣でじっと腕を組み、不気味なほど黙ったままだ。

一通りメグの質問に答え終えると、彼はゆっくりと口を開いた。

「今回、この素敵なお部屋を売却なさる理由を伺ってもいいですか」

私と新堂さんは目を合わせる。

“売却理由”――この質問になんと答えるかは、彼と事前にしっかりとすり合わせしていた。

「将来子どもを持つことを考えて」なんて正直に話すのはもってのほかだ。せっかく興味を持ってくれたメグのような若者に、「この部屋は子どもができたら住めないんだ」と思わせてしまったら元も子もない。

「最近結婚したのですが…夫の会社の家賃補助制度があるので。会社の借り上げで賃貸に住むことになったんです」

努めて自然に微笑もうと、口角に力を入れる。

― 『最近結婚した』なんて、あえて言う必要もなかったけど、なんか悔しくて言っちゃったわ。

自分を振ってきた元カレが現恋人とイチャイチャしているのを見たら、主張したくなったとしても仕方ない――自分にそう言い聞かせた。




一方、「結婚した」という言葉に、修平が眉を持ち上げ、私の左手を確認したのを私は見逃さなかった。付き合っている時もよくやられた、「へえ、君が?」という表情。

付き合う前、仕事の取引先としての関係の時は、そんなこともなかったのに。

― 付き合い始めたらなんか変わっちゃったのよね。相変わらずだなぁ。

モヤモヤした気持ちに心を支配されながらも、玄関まで彼らを見送る。最初こそ無邪気な発言に面食らったが、メグは最後までにこやかで礼儀正しく、「お休みの日にお邪魔しました」と何度も頭を下げていた。

「どうもありがとうございました。それじゃあ、また」

修平は最後まで他人を装い、貼り付けたような笑顔でメグの後について出て行く。その後に新堂さんが続いた。

「お2人と少し話してから、またあとで報告に上がるので」

小声でそう告げると、素早く扉を閉める。私はぼんやりとその姿を見送った。

― 『それじゃあ、また』って、何?

バタンと扉が閉まった後も、去り際の修平の言葉が、頭にこびりついて離れなかった。




「まさか、初めての内覧が元カレなんてね。そんな気まずいことってある?」

「そうだよね…」

1時間後。

私は汐留にあるミズホのマンションに来ていた。

夫の雄介は内覧の前に部屋を出て、そのまま時間をつぶして友人との飲み会に出かけていった。内覧の結果を報告がてらミズホに連絡したら、「うち来る?」と誘われたのだ。

“うち”と言ってもミズホの部屋ではなく、案内されたのはマンションのラウンジだ。

ミズホの自宅は汐留を代表するタワーマンションの一室。招かれる時は彼女の部屋の場合もあれば、館内にいくつかあるラウンジということもある。




― このマンションも、よく売りに出てるのよね…。これくらいの知名度とグレード感があれば、すぐに売れるのかなぁ…。

竣工20年を超えても値下がるどころかどんどん中古取引価格が上がっているこのマンションは、築年数相応のヴィンテージ感と建物自体の造りの良さ、そして行き届いた丁寧な管理の成果か、“経年優化”と呼ぶにふさわしい物件に仕上がっている。

「それで?新堂さん、内覧後の修平さんたちの反応はどうだったって言ってたの?」

「うーん…正直、あまりしっかりと話せなかったみたい。『女性の方はすごく気に入っていらっしゃる様子でしたが、男性は多くを語らずでした』だって」

「掴めないね。買う気があるのか、そうだとしたら修平さんが一人で買うのか、それとも、そのメグって子と結婚していてペアローンを組むのか…」

お土産に持ってきた大門の『Byron Bay Coffee』のマフィンを口に運びつつ、ミズホが首をかしげる。

私はふと、新堂さんが話していた言葉を思い出した。

『今回のお客様は中古物件紹介のポータルサイトからの問い合わせでした。情報として記入されていたのはお客様の名字とお住まいの区、そして電話番号だけでした』

― 情報を隠している様子なのは、なぜ…?

最初に聞いたときは、修平が、私に個人情報を漏らさないようにしたのだと思った。

― でも、この部屋に私が住んでいることなど知らないはずだし…。

そもそも、仲介業者が内覧者の個人情報を勝手に話すことはNGだ。情報を細かく記入したところで、売主には届くはずがない。

ならば、何かしらの事情があるのか。

彼女と住む家を探しているわけではなく、別の目的があるのか。

考えてもわからないことだらけだ。ラウンジの窓から見える夕暮れ景色を眺めながら、私はぐるぐると考え続けていた。



修平の訪問から数日経ったある日。

私は家を売り出して以来ほとんど日課になっている、物件紹介ポータルサイトのチェックをしていた。

競合になるような物件が売り出されていないかを確認するためだ。

ほとんどの場合、近所の浜松町エリアで売り出しが出るのは住戸数の多い特定のタワーマンションばかりなので、私の部屋とは競合しない。だから、安心してサイトを閉じることが多かった。

けれど…。




「え、ウソ!?」

「どうした真弓、何かあった?」

思わず大きな声を上げてしまったので、キッチンにいた雄介が駆け寄ってくる。

「このマンションの10階の部屋が新しく売りに出てるの。まったく同じ間取りと面積で、設備も内装も完全リニューアル済。もちろん、眺望もあちらの方が上。価格は…」

画面を覗き込んだ雄介が、ごくりと唾を呑み込む。

「8,250万円。この部屋と、たった200万円しか変わらないね…」

予期せぬ競合部屋の登場に、私たちはただただ言葉を失う。

その時、ソファの上に置いていた私のスマホが鳴った。

「…はい、もしもし」

それは――“ある人”からの連絡だった。

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