◆これまでのあらすじ
外資系電機メーカー勤務の与田雅樹(28歳)は、彼女・芽依の趣味である「占い」に対し、「一時の運に左右されるべきではない」と意見を述べた。しかし翌日、偶然通りかかったマンションの前で、知らない男に手を振る芽依を目撃。自分の運の悪さを実感し…。

▶前回:「こんな時間に何してるの?」飲み会帰りの男が偶然見かけ驚愕した、彼女の“深夜の顔”




マイナスの奇跡【後編】


雅樹は車を走らせながら、昨日の芽依との電話を振り返る。

― 結局、言えなかったな…。

「芽依が手を振っていた、あの男は誰だ…?」という追及の言葉。

喉まで出かかっていたのに口に出さなかった理由は、ひとつ。真実を知るのが怖かったからだ。

芽依と交際し始めて、1年ほどが経つ。

お互いのことを知るにつれ信頼関係は育まれているものの、その存在に慣れ、時に疎ましく感じてしまうことが増えた。

それで先日、芽依の好きな占いについて批判してしまった。機嫌よく話す芽依の姿がなぜか癪に障り、つい否定的な意見を述べたのだ。

そんなタイミングで見た、知らない男に手を振っている芽依の姿――。

雅樹は、芽依が自分にうんざりして、別れを考えているとしか思えなかった。

そこで昨晩、意を決して芽依に電話をかけた。

「明日って、会えないかな?」

話し合えば修復できる状態なのではないかと、期待を込める。

「ちょっと用事があって…。ごめん」

突然だから断られるのは承知の上だったものの、まるで谷底に突き落とされたかのような絶望感に陥った。

「…ああ、どうしたらいいんだ」

運転しながら、雅樹はつぶやく。

危機を前に「芽依を失いたくない」という思いが湧き上がって、胸が苦しい。

― 自分の力では、もうどうしようもない状況かもしれない…。

神頼みなどしない性格だが、何かにすがりたいような感情が込み上げる。

それで雅樹は今、車である場所へと向かっているのだった。


雅樹の自宅マンションのある渋谷から、車で1時間ほど。

千葉県君津市にある『濃溝の滝』に到着した。

縁結びや恋愛成就にご利益があるとされるパワースポットだ。

昨日、芽依との電話を終えた雅樹は、焦りを抱えながらパソコンを開き、パワースポットについて検索した。

パワースポットにはまるで縁がなく知識も少ないが、とにかく恋愛運を上げる効果があり、東京から行きやすい地域という条件でここを見つけた。

駐車場に車を停め、遊歩道を10分ほど歩く。

冬の寒い時期だからか、観光客が少なく、スムーズに目的の場所にたどり着いた。

― これが、『亀岩の洞窟』か…。

目の前に泉があり、奥の岩場が洞窟のようになって、緩やかな滝が流れている。

太陽の光が洞窟に射し込むと、水面にハート型を映し出すことがパワースポットとなった由縁だそうだ。

だが、季節や時間帯にもよるため、そこまで見事な景色を目にすることはできなかった。

それでも、あたりに漂う澄んだ空気を吸い込み、穏やかな水の流れを眺めていると、心が和み、癒しを得ているような感覚になる。

― どうか、芽依との関係が修復できますように…。

雅樹は、思いよ届けとばかりに、心のなかで強く願った。




すると、歩み寄ってくる足音が耳に届き、「えっ」という女性の声が聞こえた。

雅樹が声のするほうに振り返ると、驚きの光景が目に飛び込んできた。

「ええ…。嘘だろう…」

芽依が立っていた。

デニムパンツにキルティングコートを羽織り、ニット帽をかぶった芽依。周辺の景色から、浮き上がっているように見える。

思いがけない事態に、雅樹は言葉を失った。



雅樹は、「少し話をしよう」と芽依に声をかけた。

そして、車で15分ほど走った場所にある、和食の店に移動した。

瓦屋根の趣ある外観で、一軒家をリフォームしたような、木のぬくもりを感じる落ち着いた造りとなっていた。

手打ち蕎麦が名物らしく、注文を終えたところで雅樹が口を開く。

「いやあ、ホント。まさか、あんなところで芽依に会えるとは思わなかったよ」

「それはこっちもだよ。だって雅樹、パワースポットになんて興味なさそうだったし」

「昨日の電話で、『用事がある』って言ってたのは、ここに来ることだったんだ?」

「うん…」

芽依は頷くと、言葉を続けた。

「だって…。最近、私たちあんまりうまくいってない感じがして。なんとかしたいなって思ったから…」

芽依は込み上げる感情を抑えているのか、声を震わせる。




― 俺と同じことを考えていたなんて…。

関係を修復したいという共通の目的で、偶然にも同じ場所を訪れていたのだ。

雅樹は驚きをおぼえながらも、芽依とのつながりの深さを感じた。

芽依を愛おしく思い、今すぐにでも抱きしめたいという感情が急激に湧き上がってくる。

だが、雅樹のなかでわだかまりとして残っている事案があった。

「芽依。俺、昨日見ちゃったんだよ…」

雅樹は、悲痛な表情を浮かべて切り出した。

「昨日さ、同僚と飲みに行った帰り、タクシーに乗ってたら。知らない男の部屋からお前が出てくるのを、見ちゃったんだ…」

雅樹が言い終えると、芽依は首をかしげ、眉をひそめた。

するとすぐに安心したような笑顔を見せ、「フッ」と吹き出した。


「違う違う!それはね、占い師さんのところに行ってたの」

芽依が笑顔で否定する。

「自宅マンションの1室を占いサロンにしている人で。ほら、友だちの実花に『信頼できる占い師さんだよ』って紹介されて」

「そうだったのか…」

雅樹の肩の力がガクッと抜けた。

― 確かに。よく考えたらその可能性はあったよな…。

考えが及ばなかったのは、自分が冷静さを失っていたからだと気づく。

「私たちのこと…どうしたらうまくいくかを相談したくって。そうしたら、『パワースポットに行ってみるといいよ』ってアドバイスされたんだ」

「ええ…。それでここに?」

雅樹は驚きを隠せなかった。

占い師がすごいのか、この場所を選択した芽依がすごいのかは測りかねたが、不思議な力が働いていることは認めざるを得ない。

「そうしたら、雅樹に会えた」

芽依が真っすぐな瞳で見つめる。

「うん」

「これって…奇跡じゃない?」

「ああ。奇跡…かもな」

芽依が得意げに尋ねるので、雅樹は観念したように頷き返した。



雅樹は芽依とともに東京に戻るため、店を出ると駐車場に向かった。

そこで、車のキーが手元にないことに気づく。

「じゃあ私、テーブルの近くに落ちてないか見てくるね」

芽依が来た道を戻り、店に引き返す。

雅樹は上着のポケットを確認し、車の周辺を見て回った。

「あったよ〜!」




店のほうを見ると、芽依がキーを握って腕を掲げていた。

そのまま駆け寄ってくると、数メートル手前のところで、「はーい」と雅樹に向かってキーを放り投げた。

それがわずかに軌道を逸れ、雅樹はつかみ損ねて下に落としてしまう。

すると、足元にあった側溝の隙間に、キーが吸い込まれるように落ちていった。

「嘘だろう…」

雅樹が呆然と見下ろしていると、芽依がつぶやいた。

「奇跡だ…」

「いや…。確かに、かなりの低確率だけど…。俺たちにとってマイナスでしかないよ」

「マイナスの奇跡も、また奇跡だよ!」

芽依が何か確信を掴んだように強く言った。

「この世は奇跡で溢れている!」

芽依が嬉しそうに声を上げる。

「いやいや…。喜んでないで。取る方法考えてよ」

雅樹は、元気を取り戻した芽依の姿に安堵しつつも、呆れたように言った。

結局、再び店に戻り、店の人に力を借りて側溝の蓋を開け、キーを取り出したのだった。



翌年の秋。

雅樹は芽依を連れて、再び千葉の『濃溝の滝』を訪れた。

10ヶ月ほど前にこの場所で会って以来、関係は完全に修復。今は結婚に向けた話をするまでになっている。

2人にとっての再出発の場所であり、あれから間もなく1年が経つということで、見ごろの時期に再び訪ねてみたのだった。

「うわっ!見て雅樹。すごいキレイ!」

亀岩の洞窟に太陽の光が差し込むことで、水面にハートの形を映していた。

「本当だ。キレイだね」

自然の作り出した神秘的な光景に、雅樹も胸を打たれる。

早朝ではあるものの、周辺には絶景を目当てに来ている何人もの観光客の姿があった。

そのなかの、あるカップルの会話が雅樹の耳に届く。




「ねえねえ、聞いて。1年ぐらい前にね…」

彼女のほうが、彼氏に熱心に声をかけている。

「友だちから聞いた話なんだけど。1年前くらいに、別れそうだったカップルが、ここで偶然再会したらしくて。ヨリを戻して今度結婚するんだって」

彼氏のほうは、「ふ〜ん」と言うだけであまり関心を示さない。

雅樹はそのやり取りを、ただ微笑ましく思いながら聞いていた。

▶前回:「こんな時間に何してるの?」飲み会帰りの男が偶然見かけ驚愕した、彼女の“深夜の顔”

▶1話目はこちら:彼女のパソコンで見つけた大量の写真に、男が震え上がった理由

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男は友人関係にあった女性と交際。どこに出かけても居眠りをする彼女に…