「喉から手が出るほど、欲しい――」

高級ジュエリーに、有名ブランドのバッグ。

その輝きは、いつの時代も人を魅了する。

しかし誰もが欲しがるハイブランド品は、昨今かなりの品薄状態だ。

今日もショップの前には「欲しい」女性たちが列をなし、在庫状況に目を光らせている。

人呼んで「ハイブラパトローラー」。

これは、憧れの一級品に心を燃やす女性たちのドラマである。

▶前回:カルティエの婚約指輪にこだわる大手商社・29歳女。彼から「話がある」と呼び出され…




財閥系デベロッパー勤務・愛花(29)
ハズバンド アンド ワイフ【ハリー・ウィンストン HW マイクロパヴェ・リング】


『拓斗:今晩、19時過ぎに愛花の家に行っても良い?結婚の話もしたいし』

愛花は、仕事の合間のコーヒーブレイク中にスマホを見る。

同い年の恋人、拓斗からLINEが来ていたので返事をした。

『愛花:もちろんだよ。カレー作って待ってるね』

― 付き合って1年で婚約なんて、私ってなんて幸せなんだろう。婚約指輪は、やっぱりハリー・ウィンストンがいいな。

「キング・オブ・ダイヤモンド」と呼ばれるハリー・ウィンストンの婚約指輪が欲しい。

それが今の愛花の一番の願いだ。

青い両開きのボックスから現れる未来の婚約指輪を想像すると、愛花の頬は緩んだ。



「おじゃまします。おっ、カレーのいい匂い!」

拓斗は約束通りの時間に、白金高輪にある愛花のマンションにやってきた。

「やっぱり白金高輪って通勤に便利だな。2人で住むのもこの辺が良いな」

「拓斗、付き合い始めの頃は私に『狛江に実家があるのに月16万円も家賃を払ってるなんて、もったいない!』って言ってたじゃない」

愛花が茶化すと、拓斗はごめんごめん、と笑った。

「俺は神戸の実家から大学に通って、就職してからは独身寮だから、東京の家賃相場がわからなかったんだ。この辺りの便利さは、住んで初めて実感したよ」

神戸大学工学部出身の拓斗の考え方は、いつも合理的だ。

拓斗は、ダイニングテーブルにスプーンとフォークを並べながら言った。

「愛花だって、『カレーはカレー屋さんで食べるのが一番!』なんて言っていたのに、今は家カレー派になったじゃない」

「あはは、そうだったね」

愛花はカレーが大好きだ。

しかし拓斗に「本格的なカレーは家でも作れるのに」とレシピを教えてもらってからは、外食でカレーは食べていない。

― お互いの価値観を尊重できるって、理想的な関係だよね。

よそったカレーを拓斗の前に置きながら、愛花は微笑んだ。


「俺、早速愛花のご両親に結婚の挨拶に行きたい。それまでに、愛花に婚約指輪をプレゼントしたいな」

食後のコーヒーを飲みながら拓斗が話し出したので、愛花は身を乗り出した。

「なら、今週末にでもハリー・ウィンストンに見に行かない?母がね、出かけるときは、今でも婚約指輪を必ずつけるの」

愛花はうっとりと話し続ける。

「それを見るたびに思っていたんだ。婚約指輪って、一生付き合っていく最高の宝物なんだって」

「へえ、それでなんでハリー・ウィンストンがいいの?」

愛花はスマホでハリー・ウィンストンのウェブサイトを見せながら言った。

「ハリーのダイヤはね、最高品質のものだけしか使っていないの。それに、婚約指輪の台座のHWの形。これはね、Husband and Wifeの永遠の愛を意味しているともいわれているのよ」

ひそかに1人でサロンを訪れたときに仕入れた知識を披露する。

「ハズバンド…?まあ、いいや。見に行ってみようか」

拓斗の優しい言葉に愛花は喜び、さっそくハリー・ウィンストンに予約の電話を入れた。




「うわあ…。すごいな」

拓斗は、初めて足を踏み入れたハリー・ウィンストン 銀座店で、感嘆の声を上げていた。

落ち着いた照明に、モノトーンを基調とした内装。その中で、ショーケースに並ぶジュエリーたちがまぶしく輝いている。

ダイヤの輝きの強さに、拓斗は圧倒されているようだ。

ショーケースには、おなじみのリリークラスターやオーシャン・コレクションのウォッチが並んでいる。

普段使いできそうなHWロゴ・コレクションや、トラフィック・コレクションも魅力的だ。

ダイヤの美しさは、プラチナの素材があってこそ引き出されるといわれる。

しかしハリーのダイヤモンドは、イエローゴールドやピンクゴールドの素材でも、全く引けを取らない輝きを放っている。

「ご希望のお品がございましたら、お早めのご注文をおすすめします」

席に座ると、店員さんが笑顔で婚約指輪のカタログを見せてくれる。

「拓斗、決めるなら、早めに決めようよ。これからハイブランドジュエラーは皆、どんどん値上げしちゃうって」

愛花がささやくが、拓斗は咳払いして言った。

「い…いったん考えさせていただきます」




サロンを出ると、拓斗は驚いて言った。

「愛花、あれはさすがに予算オーバーだよ!愛花の欲しいスペックのダイヤにしたら、俺の予想の倍はしてたわ」

愛花は落ち着いて言った。

「せっかくハリーで買うなら、妥協せずに選びたいの。予算オーバー分は私が払うよ」

愛花の収入と、同じ財閥系メーカーで働く拓斗の収入はほぼ同じだ。だからお金を負担することは何の問題もない。

「いや、そこは男の見栄を張らせてよ。だからハリーの小さいダイヤにするか、他のジュエラーで検討してほしい」

― 男の見栄?意味わかんないんだけど。

今まで聞いたこともなかった拓斗の言葉に、愛花は眉をひそめた。

その日は、拓斗に連れられて他のジュエラーも見て回った。

唯一心を動かされたカルティエでは、殺気立った目でダイヤを見定めている女性が、婚約者と思しき相手に必死に電話をかけていた。

その姿になんだか気後れしてしまい、愛花は何も見られなかった。

「拓斗、私、やっぱりハリー以外の指輪は考えられない。差額は自分で出すから。お願い!」

「いや…。そんなに高い指輪を買うぐらいなら、それ頭金にして車でも買おうよ」

― 車?そんな話、初めて聞いたんだけど。

結局、婚約指輪は決められず、2人のジュエラーパトロールは終了となった。


数ヶ月後、愛花はハリー・ウィンストン 銀座店を、1人で訪れていた。

― 初めて拓斗とここに来たときは、こんなことでもめるなんて思っていなかった。

婚約指輪の件でもめてから、愛花はこのまま拓斗との結婚に向けて進んで良いのかさえ、わからなくなっていた。

― 今日は結婚指輪のことは忘れて、美しいジュエリーを見て癒やされよう。

「こちらは、本日入ってきたチャームでございます」

トレーに乗ったシールド・バイ・ハリー・ウィンストンを、チェーンに通して試着させてもらうと、首元でプラチナの印章と小さなダイヤがきらりと輝く。

― 婚約指輪とセットでつけられたら、なんて素敵なんだろう。

思わず購入を決め、支払いを待つ間に、拓斗からLINEが来ていたことを思い出し返信する。

『拓斗:もうすぐ愛花の誕生日だよね。バースデーディナーの場所は希望ある?あと、プレゼントのリクエストもお願い』

『愛花:婚約指輪とお気に入りのネックレスをしまえるジュエリーケースが欲しいな。あと、バースデーディナーはここに行きたいです』

愛花がリクエストしたのは、『テール・ド・トリュフ東京』。

バースデーデートがロマンチックなものになれば、このもやもやした気持ちも一気に晴れるだろう。

― 婚約指輪のことだって、わかってもらえるよね。

愛花は濃紺のハリー・ウィンストンの袋を受け取りながら自分に言い聞かせた。






「愛花、誕生日おめでとう!」

コスパが良いから、と『テール・ド・トリュフ東京』での食事はランチになってしまったが、拓斗が差し出した紙袋を見て、愛花の胸は高鳴った。

「ありがとう…あれっ?」

予想より大きな包みを開けると、中から出てきたのはジュエリーケースではなく、iPadだった。

「愛花、今のiPadはもう古いでしょ。だから新しいのをプレゼントするよ」

「私、ジュエリーケースって…」

愛花が絶句すると、拓斗は満面の笑みで言った。

「ジュエリーケース、見に行ったんだけど、意外と高くてさ。同じお金を払うんなら、iPadの方がずっと役に立つし、コスパ良いでしょ」

「…iPadなんて、欲しいと思ったら自分で買うよ。私は拓斗にジュエリーケースをプレゼントしてほしかったの。拓斗、最近私の意見を聞いてくれないよね。婚約指輪のこととか…」

はあ、と拓斗がため息をついた。




「これから先、もっとお金が必要な場面が出てくるとき、変なことに使っちゃったって後悔したくないだろ?」

― 変なこと?

「愛花ってそんな夢見がちなキャラじゃないと思ってた」

「夢見がちだと思われてもいい。私のことが大切なら、夢を見させてほしいの」

愛花は必死だった。

「愛花こそ、俺のことが大切なら、夢から覚めてよ」

愛花の心の中で、何かが崩れる音がした。

「拓斗、結婚はやめよう」

心底驚いている様子の拓斗に、愛花は静かに言った。

「婚約指輪のことだけじゃない。…私、本当はカレー屋さんのカレーが食べたい。家のカレーは、作るのに手間がかかりすぎて、心の底から楽しめない」

「ええっ、そんなこと?俺だって、愛花も安い社宅に住めば良いのにって思ってたけど、言わないであげてたんだよ?」

ムキになって言い返してくる拓斗の姿は、愛花をさらに冷静にさせた。

「やっぱり無理だよ。私たちって、根本的に価値観が違うんだもの」

恋人同士なら『好き』という気持ちでカバーできた価値観の違いも、2人の関係が夫と妻に変われば、醜い争いの種になってしまうだろう。

2人分の会計を済ませて、愛花は1人レストランを後にした。

― 私がハリーにこだわらなければ、拓斗と結婚できたかもしれない。

でも、ハリーにこだわっていなくても、2人は遅かれ早かれダメになっていただろう。

― やっぱりあの日、ハリーに行って良かった。私たち、ハズバンド アンド ワイフにはなれないって気づけたんだもの。

愛花は、すっきりした気持ちになって、スマホでカレー専門店を調べ始めた。

▶前回:カルティエの婚約指輪にこだわる大手商社・29歳女。彼から「話がある」と呼び出され…

▶1話目はこちら:お目当てのバッグを求め、エルメスを何軒も回る女。その実態とは…

▶Next:10月27日 金曜更新予定
セレブ妻が狙うのは、入手困難なシャネルのアイコンバッグ。その意外な理由は?