「喉から手が出るほど、欲しい――」

高級ジュエリーに、有名ブランドのバッグ。

その輝きは、いつの時代も人を魅了する。

しかし誰もが欲しがるハイブランド品は、昨今かなりの品薄状態だ。

今日もショップの前には「欲しい」女性たちが列をなし、在庫状況に目を光らせている。

人呼んで「ハイブラパトローラー」。

これは、憧れの一級品に心を燃やす女性たちのドラマである。

▶前回:両家顔合わせが修羅場に一変。30歳コンサル女子が激高した義母の「信じられないセリフ」




大手商社勤務・夏美(29)
憧れと嫉妬【カルティエ 1895ソリテール リング】


「ねえ、春樹。今週末もカルティエに行こうよ」

土曜日の朝。

夏美は2つ年上の婚約者である春樹の家で目を覚ますと、カーテンをさっと開けた。

「早く良いダイヤに巡り合えないと、値上げになっちゃうよ」

「うん…。もう少し寝かせて。俺、昨日ハワイから帰ってきたばっかりだよ」

大学の同級生のハワイ挙式に1人で参加した春樹は、ベッドで寝返りを打つと布団をかぶってしまう。

「こうしている間に、理想のダイヤが売れちゃったらどうするの?それに、私、あと5ヶ月後には30歳になっちゃうんだから!」

布団をバシバシと叩くが、そんなものでは時差ボケの眠さには太刀打ちできないようだ。

春樹は、再び寝息を立てはじめた。

床に落ちていたハワイ土産のレナーズのTシャツをつまみあげると、夏美はため息をつく。

― 1人で婚約指輪探しなんて、切ないよ。

暇を持て余した夏美は、レナーズのTシャツをスマホで撮影すると、Instagramに上げる。

『彼が友達のハワイ挙式に参加。俺たちの挙式もモアナサーフライダーがいいな、だって!』

「#プレ花嫁さんとつながりたい」のタグ付けも忘れずにアップする。

春樹と婚約し、このタグを付けるようになってから、夏美は顔も知らないたくさんのプレ花嫁とInstagramでつながるようになった。

カルティエの情報も、プレ花嫁仲間から仕入れている。

投稿に早速「いいね」が付き始めるのを確認すると、夏美は右手薬指に、お気に入りのトリニティリングをつけ、春樹の家を飛び出した。


― 春樹はわかってない!指輪が値上がりする前にオーダーしたいのに。

カルティエ 銀座ブティックに向かう途中で、夏美は再びため息をついた。

プレ花嫁仲間の情報では、カルティエは間もなく値上げするらしい。

― ただでさえ予算オーバーなんだから、絶対に値上がり前に注文しないと。

夏美が婚約指輪に使いたいダイヤは、1カラット以上の、最高品質のダイヤだ。

カラーは「D(エクセプショナルホワイト)」、クラリティ(透明度)は「IF(インターナリーフローレス)」と呼ばれる、欠点のない品質。

カルティエの厳しい基準で選定された中でも、最高の色と透明度のダイヤが欲しい。

しかしそれは夏美の中では、もはや幻になっている。オーダーをかけて待っても、いつになるかわからないからだ。

そもそも、もし10パーセントほど値上がったら、いくら大手商社勤めの春樹でも厳しいだろう。

― でも、せっかくの婚約指輪なんだもの。妥協なんてしたくない。

夏美はダイヤとの偶然の出合いを求めて、日々パトロールを続けているのだ。




土曜日のカルティエ 銀座ブティックは混んでいる。

入店を待つ間、再びInstagramを開いた。

青山学院大学時代からの友達でもあり、会社の同期でもある花恵の結婚準備の投稿が目に止まる。

『結婚式まであと5ヶ月!今日は、お色直しの引き振袖の試着に来ました』

― えっ、花恵、和装にするの?

ドレスより、手間もお金もかかる和装。

夏美も早速引き振袖や色打掛を検索しそうになるが、ぐっとこらえてスマホをバッグにしまう。

夏美が婚約指輪にここまでこだわる理由は、他でもない、花恵にあると自分でもわかっている。

商社OL兼インフルエンサーでもある花恵の、ある日の投稿がきっかけだった。

『婚約指輪をオーダーしました!有名ブランドよりはるかにお得に買い物ができるこちらの宝石問屋さん、本当におススメです』

添えられたコメントに違和感を覚えてよく見ると、小さな『Paid Partnership』という文字が目に入った。

― 花恵、婚約指輪にはこだわりたいって言っていたのに…。

いつだって完璧で幸せな花恵の、小さな妥協。

夏美は、花恵への複雑な感情の落としどころを見つけた気がしたのだ。

― 私は、大好きなカルティエで、世界に1つだけの婚約指輪を手に入れるんだ。花恵ができなかったことができれば…私も花恵と対等になれる。

夏美は、その時初めて、花恵への複雑な感情の正体が「憧れと嫉妬」であることを認識した。

以来、花恵の結婚式に、カルティエの婚約指輪をつけていくことにこだわっている。

順番がきて、ようやく店内に案内される。

きらびやかな雰囲気の中で夏美は、赤いボックスから現れる未来の婚約指輪を想像しようとする。

しかし、夏美の心の中には、花恵との思い出が浮かんできた。




大学3年生の時、たまたま花恵と2人でキャンパスを歩いていたら、声をかけられた。

「ミス青山に出ませんか?」

最初に声をかけられたのは、夏美だった。

花恵もノリで一緒にエントリーしたところ、一般投票で絶大な支持を得て、花恵は最終選考にまで残ったのだ。

― 私は3次で敗退だったけどね。

だが、花恵はなんと「彼氏に反対されているから」という理由で最終選考を辞退した。

「ミス青山の称号が欲しい」という思いが強くなってきた夏美の気持ちを知ってか知らずか。

そして、ミスコンから1年後。

夏美と花恵は同じ商社に就職が決まる。

しかし夏美が配属されたのは鉄鋼部門で、花恵が配属されたのは、夏美が憧れていた繊維部門だった。

― 鉄鋼に配属されたから、先輩だった春樹とも出会えたんだけどね。

そして今年、学生時代からの恋愛を実らせ、結婚するという花恵。

奇しくも夏美も同じタイミングで春樹からプロポーズされ、2人はプレ花嫁仲間になった。

― せめて花恵が意地悪だったら、嫌いになれたのに。

夏美の心をこんなにも重くするのは、花恵がいつだって明るく、優しく、天真爛漫だからだ。

夏美の心に渦巻く思いをぶつけても、花恵だって困るだろう。この気持ちは、自分で解決するしかない。

だから、何がなんでも、カルティエの婚約指輪を手に入れたいのだ。


夏美が希望するレベルのダイヤは、注文してから一定期間がかかることもあるだろう。

― 待っているうちに、30歳になっちゃうかも。花恵の結婚式につけていけない。

たまらなくなった夏美は、春樹に電話をかけた。

「もう起きた?これから銀座まで来てくれる?一緒にうまく交渉してよ」

そんな思いとは裏腹に、春樹の返事はつれなかった。

「あのさあ、ちょっと話があるから、一度家に戻ってきてくれる?」

重く沈んだ春樹の声に、夏美はただならぬ気配を感じて、春樹のマンションに戻ることにした。




マンションに到着し、テーブルを挟んで春樹と向かい合う。

「結婚は延期しよう。プレ花嫁とか、パトロールとか、最近の夏美はおかしいよ」

春樹からのまさかの通告に、夏美は青ざめた。

春樹はマグカップを両手で包み込むようにして、うつむいている。

「値上げ前に婚約指輪が欲しい、なんて言い訳だろう?同期の花恵ちゃんだっけ?その子の結婚式に着けて行って自慢したいんでしょ?」

「自慢なんてしたくないよ」

夏美が婚約指輪にこだわる理由は、もっと複雑だが、夏美はそれをうまく説明できない。

「カルティエにこだわるのも、花恵ちゃんの影響なの?」

「それは違う!カルティエは…私だけのこだわり」

夏美は必死な様子で訴える。

「初めてのお給料で、トリニティリングを買ったの。そのあと、プロジェクトの打ち上げの時、春樹が『その指輪、いいね。俺も初ボーナスでこの時計買ったんだよ』ってサントス ドゥ カルティエを見せてくれて…」

婚約指輪と結婚指輪の次は、夫婦おそろいでバロン ブルー ウォッチを着けたい。もっと年を取ったら、パンテールシリーズも似合う女性になりたい。

「私にとって、カルティエは、春樹と一緒にずっと付き合っていきたいブランドなの」




一気にまくし立てたあと、ついに夏美は本心をつぶやいた。

「…でも実際、私、花恵に憧れて嫉妬してる。その思いに折り合いをつけるために、春樹との結婚を利用しようとしてた」

― 自分が情けない。春樹にも申し訳なさすぎる。

「花恵への気持ちなんて、春樹には関係ないのにね。ごめん…」

「話してくれたのは嬉しいけど、今、夏美と結婚する気にはなれない。でも、俺が好きな夏美に戻るまで、待ちたいと思ってるよ」

つらい言葉とは裏腹に、春樹は夏美の手をそっと握った。

さっきまでマグカップを抱えていた春樹の手は、じんわりと温かい。



5ヶ月後、夏美は花恵の結婚式に参加していた。

カルティエは値上げを実施し、夏美は30歳になった。

「花恵、おめでとう!」

友人代表としてスピーチをする夏美の言葉に、目を潤ませる花恵。

― あんなに焦って、私は何を手に入れたかったんだろう。

話しながら涙が出そうになってしまう。

何とか涙をこらえて美味しい料理を食べ、美しい花恵と写真を撮り、夏美は誰よりも披露宴を楽しんだ。

花恵が読んだ両親への手紙に、こらえきれずに泣く夏美を見て、周りの同期は感動した様子だった。

「夏美って、本当に友達思いなんだなあ」

実際の気持ちは、そんなに単純なものではないが、それは仕方のないことだ。

― 今なら冷静に考えらえるし、春樹とも向き合える。

披露宴が終わると、夏美は春樹の声を聞くために、スマホを握りしめた。

▶前回:両家顔合わせが修羅場に一変。30歳コンサル女子が激高した義母の「信じられないセリフ」

▶1話目はこちら:お目当てのバッグを求め、エルメスを何軒も回る女。その実態とは…

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もう1人の29歳が選ぶのは、キング・オブ・ダイヤモンド。結婚の行方は?