「喉から手が出るほど、欲しい――」

高級ジュエリーに、有名ブランドのバッグ。

その輝きは、いつの時代も人を魅了する。

しかし誰もが欲しがるハイブランド品は、昨今かなりの品薄状態だ。

今日もショップの前には「欲しい」女性たちが列をなし、在庫状況に目を光らせている。

人呼んで「ハイブラパトローラー」。

これは、憧れの一級品に心を燃やす女性たちのドラマである。

▶前回:尽くしたがりの彼がなぜ急変?海外出張に行き2週間後「既読スルー」するようになったワケ




日系コンサル退職予定・ゆり(30)
わたしの幸せ【タサキ バランス ネオ ペンダント】


― よし、資料完成!月曜朝イチでクライアントに出せれば、トラブルの火消しは完了!

土曜日の朝。

ゆりは1人暮らしのマンションで仕事を片付け、ため息をつく。

― はあ…こんなに働いたら、また隆夫から「ブラック企業だね」なんて言われちゃうかな。

ゆりは、婚約者の隆夫からよく「働きすぎ」ととがめられる。

でもそんな日々もあと少しで終わりだ。ゆりは結婚を機に、隆夫と同じ地元の群馬に帰ると決めているのだ。

勤めている日系コンサル企業を退職する手続きを、今まさに進めている。

― コンサルの仕事から離れるのは、ちょっと心残りだけどね…。でも、お父さんが結婚を待ちわびているし、覚悟を決めなきゃ。

結婚を機に隆夫は、現在勤めているメガバンクから、群馬県庁に転職する予定だ。

長男、しかも本家、そして県庁勤め…。地元での権力を象徴する肩書をすべて手にしている隆夫との結婚に、ゆりの父は大賛成なのだ。

― あ。

ゆりは、ふと新着メールに目をやる。

自分の市場価値に興味があり、なんとなく登録した転職エージェントから、メールが入った。

意外なことに、世界トップクラスの規模である外資系のファームから応募のオファーが届いているようだ。

― 試しに、受けてみたいな。

ゆりは「結婚前にコンサルタントとしての実力をもっと試したい」という思いを抱えている。

― 応募だけしてみよう。落ちたら、コンサルの仕事に未練がなくなって、全部に折り合いがつく気がするし。

応募書類を提出すると、時刻はもう11時になろうとしていた。

夕方から隆夫とデートの約束がある。

その前に、ゆりには大切な用事があった。手早く身支度をすると、銀座に向けて出発した。


ゆりは、タサキ 銀座本店に到着した。

「今日は、バランスシリーズの入荷はありますか?ペンダントを探しているのですが」

ゆりが探しているのは、タサキ バランス ネオ ペンダントだ。

3つのパールと「サクラゴールド」という柔らかい色合いが特徴のタサキオリジナルの地金。目を引くデザインでありながら、どんなファッションともマッチする。

― 「いいお嫁さん」にも、「できる女」にもなれる万能アイテムだよね。

しかし、店員さんの聞き慣れたセリフを耳にして、ゆりは肩を落とした。

「あいにく、ただいま在庫がございません」

そのときだ。

「わっ、高……」

高級感あふれる店内には合わない小さな叫び声が聞こえ、ゆりは声の主を見る。

ゆりと同世代の女性だ。一粒パールのネックレスを見ているようだが、ほどなくして帰ってしまった。

「あの、私にもあのネックレスを見せていただけますか?」

興味本位でゆりが言うと、店員さんは、快くトレーを持ってきてくれた。

「本日入荷したもので、最高グレードのパール、9mmでございます」

一言で言うと、そのパールは圧巻だった。




「この輝き…。キラキラじゃなくて、なんて言ったらいいんでしょうか。内側からふわっと光っているみたいで、しかもまんまる」

ゆりが稚拙な言葉を並べていると、店員さんが「テリ」と「ラウンド」という言葉を教えてくれる。

こっそり値札を見ると、ゆりも思わず叫びそうになるが、ふと考えた。

― この清楚な輝き、「いいお嫁さん」になるにはぴったりだよね…。

もう会社も辞めるし、外資系コンサルは書類すら通らないだろう。

― むしろ、清楚でいいお嫁さんになりなさいっていうメッセージなのかも。

パールの美しさに目を奪われたゆりは、一粒パールのペンダントをお迎えすることにした。



「で、お前、その真珠買っちゃったの?ヤバくね?」

隆夫はそう言うと、横にいる友達の方を見る。

今日は2人でデートだと思っていた。しかし隆夫は、地元の群馬で働いているという男友達を連れてきた。

男友達の希望で、たばこが吸える店を大急ぎで探して3人で乾杯する。

「彼女さん、結婚してからちゃんと家計管理できるんっすか?」

男友達までゆりを笑いながら、たばこをくわえた。




「火、いいっすか」

はっとして、ゆりが友達のたばこに火をつけてあげると、友達は「あざっす」と言う。

― 結婚して群馬に帰ったら、私はこういう人たちと生きていくんだよね。

田舎特有の人間関係。今、ゆりのポジションは最下位だ。

ゆりの表情を見て、隆夫がゆりの頭をなでる。

「おい、お前はゆりのことを悪く言うなよ。こいつ、ブラック企業勤めだから洗脳されやすいけど、すげえ気が利くいい女なんだよ」

隆夫の手の重みを感じながら、ゆりは自分に言い聞かせる。

― 必ず隆夫が守ってくれる。だから大丈夫だよね。

「で、隆夫はいつこっちに帰ってくんの?地元の星なんだから、みんな待ってるぜ」

「まあ、長男だし、できるだけ早く戻って家継がないとな」

隆夫はゆりの方を向いて聞いた。

「お前、いつまで仕事すんの?」

「うん、もう退職の手続き進めてるよ。私の父も、結婚をすごく楽しみにしているから。早く隆夫のご両親に、正式にご挨拶に行きたいな」

― 「いいお嫁さん」らしい素敵なパールもお迎えしたし、もう迷いなんてない。

ゆりはジョッキを傾け、ハイボールをグイっとあおった。




隆夫の実家に挨拶に行く前日。

煮えきらないゆりは、タサキ 銀座本店の前にいた。

― 今日出会えなかったら、結婚のことだけ考える。だから、最後にもう一度だけ。

1階のジュエリーコーナーを見ていると、なんと、ゆりがずっと欲しかったバランス ネオのディスプレイが見えた。

― うそでしょ。あった!

しかしショーケースに近づくと、ゆりの目は、隣にあったより豪華なバランス シグネチャー ネックレスに移る。

― ああ…完璧な『できる女』のネックレスだわ。

「いいお嫁さん」をめざすと決めたはずなのに、あまりの美しさに思わず試着をお願いする。

「ロングのネックレスって…すごく幸せ。胸元がきれいに見えるだけじゃなくて、自分の目で見て楽しむこともできるんですね。このネックレス、買いたいです」

あまりの美しさにゆりが購入を決めると、店員さんが言ってくれた。

「幸せですか。素敵な考えですね。先日お求めいただいた1粒パールとの相性も完璧ですよ」

― 幸せ…か。私の幸せって何だろう。

店員さんの言葉に、ゆりは自問した。



次の日、ゆりは予定通り、隆夫と共に群馬に出かけた。両親を伴って隆夫の実家に行く。

1粒パールとバランス シグネチャー、両方がゆりの胸元を飾っている。

「この度は、こんな素晴らしいご縁をいただきまして…」

父が、通された客間で挨拶している。その一部始終を、ゆりはぼーっと聞いていた。

「ゆりさん?そんな華やかな真珠をつけて。ちゃんと貯金はしているの?」

突然、隆夫の母が言ったので我に返った。微笑みを浮かべているが、目の奥は笑っていない。

メガバンクのエリア職の隆夫よりも、成功報酬型で働くゆりの方が収入が多い。そのことを、彼女は知らないのだろう。

― 隆夫も知らないはず。まあ、そんなことを知っても、私の扱いが変わるわけはないもんな。

ゆりが黙っていると、まあいいわ、と隆夫の母は続けた。




「赤ちゃんができるまではお仕事を続けられるように、こちらで近くの会社の事務職で話をつけておいたわ。後で挨拶に行ってね」

「え?あの…」

ゆりが何か言おうとすると、となりに座る母がゆりの手をそっと握って制する。

ゆりがうつむくと、バランス シグネチャーのパールのヘッドがゆらりと揺れ、サクラゴールドと呼ばれる美しいピンクがきらめいた。

ふと、店員さんとの会話がよみがえる。

― 幸せ…か。そうだ。私、自分で幸せになれる力があるのに、何やっているんだろう。

ゆりはまっすぐに隆夫の母を見ると、大きく息を吸い込んだ。

「私の仕事を、勝手に決めないでください」

「お前、何言ってんだ」

隆夫が目を丸くする。

「私、隆夫が結婚するって言ってくれて、嬉しかった。でもこうして結婚が決まっても、全然幸せじゃない」

突然始まったゆりの反撃に、皆が驚いている。

「あなた、娘さんにどんな教育しているの?」

隆夫の母が激高すると、ゆりの父が頭を下げる。

「父は関係ありません。お父さんも、ペコペコするのはやめて。娘がこんな扱いを受けても、本家の長男と結婚してほしい?」

ゆりは、自分の力で手に入れた2つの宝物が、胸元で自分を励ましてくれているような気がした。




「私は、自分が幸せだって思える選択をして生きたい。隆夫さんと結婚はしません…」

― 言っちゃった!

「はあ?ブラック企業勤めで、結婚できなかったらどうやって生きていくんだよ」

もう30歳のくせに、と隆夫が吐き捨てる。

「隆夫…やっぱり地元の価値観が一番大事なんだね。私はね、自分の価値観で生きていきたい」

ゆりは、解き放たれたような気分で笑った。

「あと、ブラック企業っていつも言うけど…。結婚してあなたの家族と暮らすほうが、よっぽどブラックだってわかりました」

失礼します、とゆりは両親を引き連れて、隆夫の家を後にした。

「どうするんだ。東京に出たゆりと結婚してくれる人なんて、もう地元にはいないんだぞ。それに、地元で力の強い本家とは今後もつながりがあるのに……」

父はおろおろとしていたが、母は意外にもすっきりとした表情をしていた。

「お父さん、ゆりの幸せはここにはないっていうことよ」



両親に謝り倒すと、ゆりは東京に戻ってきた。

固い殻を突き破って、新しい世界を目にしたような気持ちになっている。

洗面所の鏡に映る自分の胸元には、2つのパールジュエリー。控えめな輝きを放つそれらをそっとなでる。

― このパールも、固い貝の中から出てきたんだよね。

ふとスマホを見ると、転職エージェントから、外資系コンサルとの面接の日程調整依頼メールが来ている。

― 書類、通ったんだ…!

メールに返信しながら、ゆりは新しい世界に向けて一歩を踏み出す決心をした。

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