「喉から手が出るほど、欲しい――」

高級ジュエリーに、有名ブランドのバッグ。

その輝きは、いつの時代も人を魅了する。

しかし誰もが欲しがるハイブランド品は、昨今かなりの品薄状態だ。

今日もショップの前には「欲しい」女性たちが列をなし、在庫状況に目を光らせている。

人呼んで「ハイブラパトローラー」。

これは、憧れの一級品に心を燃やす女性たちのドラマである。

▶前回:「既読無視」に込められた深い事情に気づけず…。25歳女が後悔した理由




通信系サービス会社SE・ひかり(30)
あばたもえくぼ【タサキ バランスプラス ピアス】


― また、このタイミングで?

タサキが値上げするという噂を聞いたひかりは、ため息をつく。

値上げ自体は問題ではない。駆け込み需要による、品薄が問題なのだ。

タサキパトロールを続けて3年。お目当ての「バランス」には、まだ出合えていない。

…思い出すのは、3年前のある夜。

何気なくテレビドラマを見ていたひかりは、画面にかじりつくかのように、前のめりになった。

5粒のパールが連なるピアスが、童顔女優と呼ばれる主演女優を、美しい大人の女性に見せていたのだ。

それが「バランス」というタサキのカジュアルラインであることをひかりは知っていた。デパートのポップアップで見かけたことがあり、気になっていたからだ。

そして次の日の仕事終わり。

ひかりは職場に近い二子玉川の高島屋に出向いたのだが、ジュエリー売り場の店員さんは困った表情で言った。

「ドラマの影響で、売り切れてしまいました」

イヤリングなら1点残っています、と試着させてもらうと、パールの控えめな輝きと斬新なデザインに魅了された。

― でも、ピアスがいい。入荷するまで待とう。

だが結局、バランスシリーズは数ヶ月間も欠品が続き、ようやくブームが落ち着く兆しを見せたと思ったら、タサキが値上げを発表してまた欠品が続いた。

以降、「今度こそ買えるかな」と思うタイミングで、有名人が着用したり、値上げしたりを繰り返してきた。

― なんでこんなにタイミングが合わないんだろう…。

ひかりは、肩を落とす。


ひかりは、値上げが公式発表される前に、と銀座本店に出向いた。しかし店員さんの言葉は無情だった。

「あいにく、完売してしまいました」

― はあ、買える気がしないわ。

うわさでは、毎月初めに入荷があるので月前半が買いやすいとされている。

しかし、ひかりは月の前半はクライアントの都合で深夜、土日祝を含むシフト勤務になっており、パトロールする余裕はない。

― この際、他のアイテムを買っちゃおうかな。

思い立ってベビーパールのネックレスを見せてもらおうとするが、そちらはもっと品薄らしい。

「こちらはいかがですか?最高級のグレードのものが本日入荷しました」

大きな1粒パールのネックレスを見せてもらう。しかし、バランスと大差ない価格に思わず声を上げた。

「わっ、高……」

試着もせず銀座本店を後にしたひかりは、恋人の康太と約束しているレストランに向かった。




康太は、好きも愛しているも言わないし、めったに感情を表に出さないが、不思議とひかりとの相性はぴったりだ。

「今日もバランスは買えなったわ。タイミングが合わないの。ほんと運がなくてつらい。…あ、この赤身肉すごく美味しい」

『渋谷鉄板焼きOKANOUE』で康太とディナーをしながら、ひかりはコロコロと表情を変える。

「相変わらずひかりは怒ったり食べたり、忙しいなあ」

「これくらいマルチタスクじゃないと、タサキを買えるほど稼げるようにはならないもん」

「他のメーカーのパールじゃダメなの?」

「私はバランスが欲しいの!」

ひかりは息巻く。

「そうだ康太、知ってる?タサキの店員さんって、天然パールのくぼみのことを『えくぼ』っていうのよ。なんかパール愛が感じられて良くない?」

ひかりは康太と、交際2年になる。2人は、自由が丘ひかり街のペットショップで知り合った。

ひかりは仕事に疲れたとき、ちょくちょくそのペットショップにハムスターを見にいっていた。

そのうちに、同じようにケージの前に立つ康太となんとなく話すようになったのだ。

出会った当時、東京工業大学の博士課程に在籍していた康太は、今では外資系メーカーで研究員をしている。

東工大は「合コンしたくない大学No.1」などと言われることもあるそうだが、こんなに素敵な人には合コンでは出会えない、とひかりは思っている。

「あばたもえくぼ」

「えっ、なに?それ私の話と関係ある?」

康太が赤身肉に箸をつけながらぼそっと言ったので、ひかりは思わず聞き返した。

「いいや、なんでもない。そうだ、来月から1ヶ月、イギリスに出張になったよ。しばらく会えなくなる」

「いいなあ、イギリス。私が深夜勤務している間に、康太はアフタヌーンティーかあ」




「アフタヌーンティーは行くかわからないよ。休みの日には、F1のコースを見に行ったり、インペリアル・カレッジのキャンパスを歩いたりしてみたいな」

― そういうところも好きなのよね。

康太が好きなものは車と研究。お金にも、華やかなものにも興味がない。そんな控えめな性格なのに、ひかりの言うことならなんでも積極的に聞いてくれる。

「ねえ」

ひかりは、ふと思いついた。

「イギリスにも、タサキがあるみたい!康太、買ってきてよ。イギリスなら日本ほど品薄じゃないと思うの」

― それに、免税でお安くなるかもしれないわ。

タサキはブライダルラインも充実している。機転の利く康太のことだから、バランスだけでなく婚約指輪も買ってきてくれるかもしれない。

ひかりは満足げにうなずいた。




『ひかり:バランス、買えた?』

『康太:ごめん、週末も仕事があって、今週は買いに行けそうにない』

イギリスに旅立った康太に、ひかりは毎日LINEをしている。

なかなか買い物をする余裕もないようだが、1ヶ月の間になんとかしてくれるだろう。

『ひかり:いつごろ買いに行けそう?』

『ひかり:わからないことがあったら電話して!深夜でも起きてるから』

2週間を過ぎた頃、康太はついに既読スルーをするようになった。

― もう!毎日連絡しているっていうのに。

忙しいシフト勤務をこなしながらも、ひかりは絶えずスマホをチェックした。

― 「買えたよ」って一言くれれば、穏やかに康太の帰りを待てるのに。

日曜日の夕方。

出勤していたひかりは、休憩のために会社のカフェテリアに向かった。

「あ、ひかりちゃん、お疲れさま」

同じく出勤していた女性の先輩から声をかけられ、なんとなく相席する。




ひかりはコーヒーを飲みながら、康太の既読スルーについて愚痴を言う。

すると先輩から、意外な言葉が返ってきた。

「それはちょっと、思いやり不足じゃない?」

「そうですか?付き合い始めた時から、これぐらいグイグイいっちゃってますよ、私」

先輩は首をかしげる。

「付き合って2年で、結婚もしたいんでしょ?はじめはそりゃ、あばたもえくぼでなんでも可愛いわよ。でももうそんな時期は過ぎているんじゃない?」

― あばたもえくぼ?

どこかで聞いたような気がしたが、思い出せない。

「でも、彼から不満なんて聞いたことないですよ」

そこまで言って、ひかりはハッとした。

ひかりにとって感情をストレートに表現するのは自然なことだが、康太は違う。

ひかりは、ハムスターのケージの前に佇む康太の姿を思い出す。

「ハムスター、かわいいですよね」と声をかけたひかりに、康太はとても驚いていた。

付き合い始めてからは「自分の気持ちを表現するのが上手だよね」とまぶしそうにひかりを見ていた。

「…私、彼の気持ちを大切にできていなかったかもしれません」

先輩はそうかもね、と言って席を立った。

― イギリスは、今、日曜日の朝だよね。

誰もいないカフェテリアで、ひかりは康太に電話をかけた。




康太があっさり電話に出たから、ひかりは拍子抜けする。

「康太?私、わがままばっかり言って康太のこと全然考えてなかった。ごめん。もうバランスのことは忘れて、康太の気持ちを聞かせて?」

ひかりの言葉に、康太は低く笑った。

「聞かせてって…朝7時に電話してきたと思ったら、いきなりそれ?バランスのことばかり聞かれて困ってたのは事実だよ」

「本当にごめんなさい…」

康太は、謝るひかりの言葉を遮る。

「待って、最後まで聞いて。実はタサキのお店には行ったんだ。だけど真珠って個体差があって、どんな色味とどんな艶のものがひかりに似合うかわからなくて…」

康太は続けた。

「写真で撮っても細かいニュアンスは伝えられないし、どうやって伝えようと思ってたら、仕事が忙しくなって、どんどん時間が経って…」

「へ?」

意外な言葉に、ひかりは拍子抜けしてしまう。

「僕はひかりのことをわがままだなんて思っていないよ。ひかりが笑ったり、怒ったり、自分の思いを僕にぶつけてくれるのが心地いいんだ」

「…私は、穏やかな康太との時間が大好き」

ひかりが言うと、電話の向こうで康太の吐息が聞こえた。

「うれしいな。僕、何を考えているかわからないって、何人もの女性にフラれてきたから」

― そんな康太が何より魅力的なのに。

「僕たちは、他の人から見たら欠点になることも、長所だと思えているんだね。それって奇跡的だな」

イギリス出張前のディナーの光景が、ひかりの脳裏によみがえる。

「…だから、『あばたもえくぼ』なんて言ったの?」

「うん、説明不足でごめん。そうだ、帰国したらタサキのお店に一緒に行こう。バランスはなくても、タサキって、真珠だけじゃなくてダイヤもあったし、その…こ…こ…」

「婚約指輪?」

ひかりが思わず先走って大声を出すと、康太も大きな声で笑った。

▶前回:「既読無視」に込められた深い事情に気づけず…。25歳女が後悔した理由

▶1話目はこちら:お目当てのバッグを求め、エルメスを何軒も回る女。その実態とは…

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タサキ銀座本店には、もう1人の悩める30歳が。一体何が…?