地方の活性化にはなにが必要なのか。日本ガストロノミー協会会長の柏原光太郎さんは「富山県の『食』が世界から注目を集めている。人口約100万人の富山県内には20ものミシュラン星付きレストランがあり、2016年には富山市内の日本料理店が最高位の『3つ星』を獲得している」という――。

※本稿は、柏原光太郎『「フーディー」が日本を再生する! ニッポン美食立国論――時代はガストロノミーツーリズム――』(日刊現代)の一部を再編集したものです。

筆者撮影
富山県利賀村のレストラン「L'évo(レヴォ)」のメインディッシュ - 筆者撮影

■富山には20ものミシュラン星付きレストランがある

これまで観光都市でもなかった場所が突如、「美食」「フーディー」「インバウンド」といった要素で飛躍した地域があります。富山県です。

田村耕太郎さんが、2022年2月24日のフェイスブックでこう書いていました。

〈富山県素晴らしいですね。1000メートルの深さの富山湾と3000メートル級の立山連峰に挟まれた世界一ダイナミックで美しい風景。バリ島を思わせる美しい棚田。世界遺産の合掌造りの家屋等々。いまだに人が住んでいる世界遺産は世界中でここだけらしいです。

人口100万人しかいない富山県内に20ものミシュラン星付きレストランがあることも驚き。それほど海、山、畑からの幸そして料理人にも恵まれ、凄まじいポテンシャルです。また、ドンペリの最高醸造責任者が惚れ込んで作った酒蔵も富山にはあります。いくつもの魅力的なリアルな物件を富山県様からご提示いただき、世界の富裕層が集まる自然を活かしたラグジュアリーリゾート開発して参ります。

ゼッカさん桁違いの顧客リスト持っておられますので。“しろえび小判”うますぎです。ゼッカさんとゼッカさんの奥さんと私とで奪い合って食べています。〉

■最高級リゾートホテル「アマン」グループ創業者が注目

「ゼッカさん」とは最高級リゾートホテルとして知られる「アマン」グループを創業したエイドリアン・ゼッカ氏のことだろうと思われます。アマンを離れてからも数々のホテルビジネスを成功させ、日本でも瀬戸内海に旅館を作っています。

もともと1950年代にジャーナリストとして東京に住んでいて、箱根や伊豆の旅館に魅せられたというゼッカ氏が、次に考えているのが富山県ということなのでしょうか。

実は、富山県は私の祖父の出身地であり、さまざまなご縁から現在、「とやまふるさと大使」を拝命しています。そのため、富山の方々とはかなり以前から交流があるので知っているのですが、かつて北陸新幹線構想が具体化された頃、富山は強い危機感を持っていたのです。

■富山県の危機感を裏付ける厳しい調査結果

県の関係者は、当時こんなことを言っていました。

「北陸新幹線が金沢まで通じると、富山はスルーされて、観光客は全部金沢に取られてしまうのではないか」

実際、新幹線開業半年後に富山国際大学現代社会学部がアンケート調査をもとにした「金沢を訪れた観光客から見た富山県観光」によると、

〈今回の旅で(金沢の前後に)富山県を訪れるかどうかを尋ねたところ、「訪れる(た)」は80名(18.5%)、「訪れない」は350名(80.8%)、無回答は3名(0.7%)であった。「訪れない」と答えた350名に対しては、富山県を訪れない理由も尋ねた結果、「時間がなかった」(180名)、「主な目的地が金沢」(143名)といった回答が多数を占めた。(中略)富山県には「魅力に感じる観光地等がない」と回答した人も14名いた。少数意見ではあるが、富山県にとってはもっとも厳しい意見といえる〉

と分析しており、富山県の危機感が裏付けられる結果となっています。

■2015年の観光客増加数は17.5%で、石川県を上回る

では実際はどうだったのでしょうか。

2015年に北陸新幹線が開通してから1年で金沢を訪れた人は20%増の1千万人を超え、兼六園の入園者数は前年比1.5倍になったといいます。

金沢は海の幸も豊富で古くから「金沢料理」と呼ばれる日本料理も進化を遂げていて、「金城樓」に代表される古くからの料亭、「銭屋」「つる幸」(のちに閉店)などの由緒ある割烹とともに、「片折」「さかい」といった新しい店が増えました。

近年は寿司人気も高く、「すし処めくみ」「乙女寿司」「鮨 志の助」といった有名店は予約が取れないほどの勢いとなっています。

北陸に行くなら金沢にまず行こうと考えるのは当たり前のことかもしれませんが、当の金沢市が予想していた人数をはるかに上回る観光客だといいます。

ところがです。

危機感を募らせていた富山県も同様に伸びているのです。2015年の観光客増加数は17.5%で、15%の石川県全体と比較すればむしろ勝っています。2015年から2018年まででも30%増になっているのです(「北陸新幹線開業5年目の交流人口変化がもたらす富山への経済波及効果」日本政策投資銀行編より)。

その背景には富山の食が世界から「発見」されたという理由がありました。2016年に発表された『ミシュランガイド富山・石川(金沢) 2016特別版』では、3つ星を獲得したのは富山市内の「日本料理 山崎」のみ、石川県はゼロだったのです。

写真=時事通信フォト
「ミシュランガイド富山・石川(金沢)2016特別版」で、最高ランクの「三つ星」の評価を得た日本料理「山崎」(富山市)の山崎浩治店長(中央)=2016年5月31日、石川県金沢市 - 写真=時事通信フォト

しかし、富山県が「食」で伸びた象徴的なレストランは山崎ではないと私は思っています。

■全国から美食家が訪れる豪雪地帯のレストラン

富山市郊外のリゾートホテルで産声を上げ、その後、南砺市利賀村という人口わずか500人で、交通も不便なところに移転した「L'évo(レヴォ)」というオーベルジュ(宿泊機能を持ったレストラン)がそれです(前回の記事でも紹介したように、同店は、「Destination Restaurant of the Year 2021」に選ばれています)。

レヴォはもともと、富山市にあるホテル「リバーリトリート雅樂倶」のフレンチとして有名でしたが、谷口英司シェフが利賀村の食材に惚れ込み、2020年に移転したのです。

利賀村は、富山駅から車で約1時間半。岐阜県に隣接する標高1000m級の山々に囲まれた谷あいの、富山県内でも指折りの豪雪地帯にあります。過去は多いときには4メートル以上も降っていたといわれ、1971年まで、冬季は雪のために車が往来できず、閉ざされた地域だったそうです。村の主産業は観光ではなく、農業、山菜の加工、岩魚の養殖などですが、人口減少に悩まされている地区です。

レヴォがオープンした2020年12月は、まさに雪が1メートル以上積もったときでした。しかし、オープン当初からフーディーたちは、続々と訪れました。

筆者撮影
富山県内でも指折りの豪雪地帯にあるレヴォのレセプション棟 - 筆者撮影

■不便な場所に訪れることが「勲章」になっている

利賀村のレヴォは、約7500m2の敷地にレストラン棟、コテージ、サウナ棟、パン小屋など6棟が建っています。

「L'évo〈レヴォ〉富山県利賀村 地方料理は進化を遂げる」(Discover Japan 2021年4月6日付)で谷口さんはこう語っています。

〈「山菜を採りに来て、秘境感が気に入りました。ここでなら、薪を燃やしても炭をおこしても誰にも迷惑をかけない。思いきり、好き放題に料理ができると思いました」
「地域を知れば知るほど、料理が進化する。それを教えてくれ、僕の料理観を180度変えたのが富山でした」
「利賀村には、郷土料理や食材保存の知恵があります。まだまだ知らない食材もありますし、知るほどに村が好きになっています。ここでさらに進化するL'évoの料理をぜひ食べに来てください」〉

宿泊はできるものの、コテージは3室しかないため、予約が取れなければまた1時間半かけて戻らなければなりません。しかし、そんな不便な場所に訪れることが、実はフーディーたちには勲章になっているのです。

筆者撮影
3室しかないレヴォのコテージ - 筆者撮影

2021年のことです。都内のあるレストランのテーブルを4人で囲んだとき、私以外の3人がオープン当初にレヴォを訪れており、全員が山道の運転の怖ろしさをある種、嬉しそうに語っていたのです。

「レヴォに到着する手前の右カーブはこわかったよね」
「そうそう、スピンするかと思った」

など、都内にいて富山県の山奥の道路についてあんなに楽しそうに語っている光景を、私ははじめて見ました。それくらい、フーディーたちにとって、できたばかりのレヴォに行くことは嬉しい出来事だったのです。

■フレンチのシェフが和定食をつくる理由

私も先日、レヴォに行きました。この日のディナーでは猪、熊、牡蠣、甘鯛などが出ましたが、すべて地元のもの。谷口シェフの料理はいまやフレンチというより、彼固有の料理でした。しかも朝ごはんは、ごはんと味噌汁で食べる完全な和定食です。

筆者撮影
朝食は利賀村で受け継がれてきた朝ごはんをイメージした日本食 - 筆者撮影

しかし、谷口さんの話をうかがうと、その意味がよくわかりました。

谷口さんが富山に来たのは、ホテルからの誘いを受けてのこと。当初は富山で本格的フレンチをやろうと意気込み、フランスや関西から食材を送らせていたそうです。ところがそれが空回りして悩んでいたとき、富山の食材の旨さや調理方法に気づいたのです。

「一緒に山菜を採りにいっても、地元のおばさんたちはすぐに塩漬けにするんですね。当初は『そのまま食べたほうが美味しいのに』と思っていたのですが、地方をめぐってよくわかりました。それって、豪雪に閉ざされた地域で生き抜く知恵なんです。地方には、その地方に根差した独自の料理があるんだから、そしてせっかく富山にいるんだから、それを使った料理をつくったほうがいいんじゃないかと気づいたのです」

現在のレヴォは、食材も器や工芸品もすべて富山のものを使っているそうです。生産者や職人と話をしていると、料理の新たな発想が湧いてくると、谷口さんは嬉しそうに話してくれました。

■料理が「いまの気持ち」を描いている

谷口さんの毎日は、敷地内にある土づくりから手掛けた農園で野菜を育て、天然の山菜やきのこを採り、パンを焼く生活です。料理や洗い物や飲料に使う水も裏山から引いています。

そういう経緯を知ってから食べたレヴォの料理はとてもエキサイティングでした。ディナーで出された猪、熊すべて利賀村の契約猟師が獲ってきたもの、ペアリングで出されたお酒もすべて富山のワイン、日本酒でした。料理が載せられた器や工芸品もすべて富山のものです。

柏原光太郎『「フーディー」が日本を再生する! ニッポン美食立国論――時代はガストロノミーツーリズム――』(日刊現代)

いっぽう、宿泊客のみが食べられる朝食は、利賀村で受け継がれてきた朝ごはんをイメージした日本食です。味噌汁は近所の南砺市の種麹店の麹を使い、大豆を通常の3倍以上使う利賀豆腐の煮物、郷土料理のジャガイモの甘い煮っころがしなどが出されます。米はもちろん、富山のコシヒカリです。

訪れる前は「朝ごはんがなんで和食なの?」と思っていたのですが、食べて納得しました。ある意味、夕食は彼が富山に来て利賀村に移転するまでの葛藤と思いを料理にし、朝食は利賀村に居つくことにした谷口さんのいまの気持ちを描いているようにも感じたのです。

朝食で私が気に入ったのは利賀豆腐の煮物でした。固くて重い豆腐なのですが、大豆の味がしっかりとして、優しい風味の出汁と絶妙に合うのです。帰り道に作っている豆腐店に立ち寄り、お土産に購入したほどでした。

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柏原 光太郎(かしわばら・こうたろう)
日本ガストロノミー協会 会長
1963年、東京生まれ。慶應義塾大学卒業後、1986年、株式会社文藝春秋入社。「週刊文春」「文藝春秋」編集部等を経てニュースサイト「文春オンライン」、食の通販「文春マルシェ」を立ち上げる。『東京いい店うまい店』編集長も務める。2018年、美食倶楽部「日本ガストロノミー協会」を設立したほか、「OCA TOKYO」ボードメンバー、食べロググルメ著名人、とやまふるさと大使なども務める。J.S.A認定ワインエキスパート。
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(日本ガストロノミー協会 会長 柏原 光太郎)