夜が明けたばかりの、港区六本木。

ほんの少し前までの喧騒とは打って変わり、静寂が街を包み込むこの時間。

愛犬の散歩をする主婦や、ランニングに勤しむサラリーマン。さらには、昨晩何かがあったのであろう男女が気だるく歩いている。

そしてここは、六本木駅から少し離れた場所にあるカフェ。

AM9時。この店では、港区で生きる人々の“裏側の姿”があらわになる…。

▶前回:20代の頃と全く同じ服に、レディディオールで街を闊歩する35歳独身女。痛い若作りを続けた結果…




Vol.5:洋(38)「独身のまま、駐在から帰ってきたら…」


「うわ〜、5年ぶりの東京だ」

大江戸線六本木駅前に立ち並ぶ高層ビルを仰ぎ見ながら、小さくつぶやく。

海外勤務を終え、日本に戻ってきて約1ヶ月。ニューヨークで習慣づいた朝の散歩は、日本に戻ってきてからも続いている。

ボーッとしながら街を歩くと、いろいろなことを考えてしまう。最近の悩みといえば、やはり結婚のこと。

年齢的にもそろそろ身を固めたいけれど、結婚相談所に頼るのはなんだか気が引ける。

― だって年収が2,000万近くあって容姿もいい男なんて、そんなにいないだろ?

自分だったら、アラフォーだとしても若くて美しい女を捕まえられると思うのだ。

とはいえ結婚向きな女と、どこで出会えばいいのかまるでわからない。5年も日本を離れれば、かつての友人たちの状況も大きく変わっているから。

遊び仲間の男たちはすでに結婚しているか、自分と同じように気楽な独身街道を貫いているかのどちらかだ。

そんなことを考えていたとき、ふいにスマホが鳴った。前職の後輩である隆から、1通のLINEが届いている。

『洋さん、日本帰ってきたって聞きましたよ!さっそくですけど、食事会きません?』
『いいよ〜。俺も日本に帰って久々だから、友達増やしたかった!』

30代半ばの隆は、昔からしょうもない食事会を繰り返しているノリのいい男だ。

とはいえ、ちょうどいいタイミングでのお誘いにテンションがあがる。すぐに返信すると、さっそく来週末に六本木で食事会をすることになったのだった。


そして迎えた当日。

小綺麗なジャケットにスラックス。でもキメキメな雰囲気だと男の余裕が感じられないから、インナーはラフなTシャツにして臨むことにした。

あえて、ブランド品は身につけていかない。それで相手の反応を見るのだ。

「初めまして〜!えっと、洋さんですか?隆くんの先輩の」
「そうです。今日はよろしく」

若い女の騒がしい声は久しぶりだが、悪い気はしない。

今日の女性陣は皆、ロングの巻き髪にタイトなトップスやワンピースをまとっている。いかにも港区女子といった出で立ちだった。

正直言って雰囲気が似すぎているから区別はつかないが、みんな20代そこそこの若くて可愛い子ばかりだ。

さっそく乾杯し、食事会が始まる。1時間ほど経ったとき、ある1人の女が話しかけてきた。




「洋さんって、1ヶ月前までニューヨークにいたんでしょ?すごーい!」

「商社にお勤めなんですよね、カッコいい♡」

隆の後押しもあってか、女性サイドからの人気は上々のようだ。

「いまどき海外勤務なんか、全然すごくないよ」

「そうですか?…私、いつかニューヨークに行ってみたいんですよね。だからお話聞かせてください!」

そう言ってかきあげヘアの美女が、俺の話に食いついてくる。少し話し方がギャルっぽいが、見た目は大人っぽいし悪くはない。

― こういう女なら、結婚相手として視野に入れられるな。

「いいよ、今度ゆっくり食事でも。LINE交換しようよ」

そうして連絡先を交換したところで、食事会はお開きとなった。





食事会から、5日後。連絡先を交換した彼女とは、一応メッセージを続けているものの、だんだんやり取りがダルくなってきた。

『洋さん、先月オープンしたフレンチ食べに行きた〜い!』
『あと最近、お気に入りのティファニーのネックレスが壊れちゃったの〜!凹む…』

― そのアピールは何?俺に金を出せってか?

こうもあからさまに金目当てな部分を出されると、本当に萎える。

「俺のことが好きなんじゃなくて、俺の金を狙ってるだけか…」

テンションが下がった俺は、日課の朝散歩に出かけることにした。ミッドタウン方面に歩いていくと、以前はチェーンのカフェがあった場所に、雰囲気のいいテラスカフェができていることに気づく。

― 天井が高いカフェってニューヨークを思い出すなぁ。ちょっと入ってみるか。

出来立てのクロワッサンの香りが、店内に充満している。俺はコーヒーを注文すると、テラス席に腰掛けた。

するとそのとき、向かいの席に座っている美女が目に入った。鼻筋の通った横顔が美しく、滑らかなロングヘアが風に揺れている。

年齢は30歳くらいだろうか。見た目はもっと若く見えるが、佇まいに大人の女性らしい品を感じる。

俺は思わず吸い寄せられるように近づき、声をかけてしまった。


「あの、お1人ですか?」

「えっ…?あ、はい」

「急にすみません、あまりにもお綺麗だったから声をかけちゃいました」

「いえ、そんな…」

そう言って謙遜する彼女の名は、智美さんというらしい。しっかりとした受け答えに、これまで出会ってきた若くて浅はかな女にはない魅力を感じる。

なんとしても連絡先を交換したい俺は、矢継ぎ早に質問を投げかけつつ、時に笑い話を交えて彼女の心の壁を壊そうとしていく。

やはり俺の巧みな話術は衰えていないようで、智美さんは可愛らしい笑顔をこちらに向けてくれている。

― これはいいぞ、好感触だ!




「すみません、私もうそろそろ行かなくちゃ」

「そうなんですか?残念だな、もっと話したかったのに…。良かったら連絡先を交換しませんか?」

「えっとそれは…。ごめんなさい」

― えっ!?

まさか断られるとは思わなかった。15分近く会話していて、彼女の方も打ち解けてくれていたはずなのに。

「えー、でも彼氏いないんですよね?」

「いませんけど…。もう私、引っ越して東京離れますし」

その言葉に、頭が真っ白になる。

ここまで美人で雰囲気が良くて、彼氏もいない若い女は、探そうと思って見つかるものじゃない。俺は「なんとか引き止めなくては」と知恵を絞った。




「それなら今後こっちに来るときは、俺の家へ来たらいいよ!東京までの交通費も出してあげる」

「…そんなことしてもらう理由がありません」

「なんなら都内に2つ家を借りてるから、もう1つの家に住めばいいよ。生活には困らせないし!」

すると、彼女が押し黙った。

「結婚して地元に帰るわけでもないのに、東京を離れるってことは…。1人暮らしが金銭的に苦しくなった?それなら僕と付き合えば、こっちに住み続けられるよ」

「いい加減にしてください。みっともないと思いませんか?」

急に語気を荒らげた彼女を前に、俺は言葉に詰まる。

「私は生活が苦しくてここを離れるんじゃありません。ここにはお金やステータスを振りかざすような人しかいなくて疲れたから、帰るんです」

そう言い残して、彼女は颯爽とカフェを去っていった。その背中を見つめながら、ぼんやりと考えこむ。

― ふん、お金やステータスを振りかざしてなんかいないよ。

心の中で力なく言い返す。がしかし、自分の考えが矛盾していることに、どこかで気づいていた。

食事会で出会った女には「金目当てじゃないか」と憤慨していたのに、彼女を落とそうと躍起になって出した俺の武器は、結局お金だった。

俺の年収に食いつかない、若くて美しい女と結婚したい。けれど、自分の魅力は「高収入であること」しか思いつかない。

「…やっぱり、結婚相談所に行くか」

がっくりと肩を落としながら、俺は冷めたコーヒーをすすった。

▶前回:20代の頃と全く同じ服に、レディディオールで街を闊歩する35歳独身女。痛い若作りを続けた結果…

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ずっと彼氏がいなかった地味な女友達が、急に結婚することになって…