「受かったらラッキー」で幼稚園受験にトライするも撃沈。母親には、思い当たる“不合格の理由”があって…
「私、小学校から大学までずっと同じ学校なの」
周囲からうらやまれることの多い、名門一貫校出身者。
彼らは、大人になり子どもを持つと、必ずこんな声をかけられる。
「お子さんも、同じ学校に入れるんでしょう?」「合格間違いなしでいいね」
しかし今、小学校受験は様変わりしている。縁故も、古いしきたりも、もう通用しない。
これは、令和のお受験に挑む二世受験生親子の物語。
親の七光りは、吉か凶か―?
名門一貫校出身の果奈は、息子の翼を小学校から同じ学校に入れたいと考えている。果奈は夫・光弘をつれて幼児教室を見学した。その際光弘が、幼稚園受験の案内を受けたようで…。
▶前回:幼児教室を見学した父親が、3歳の息子の様子を見て感じた、ある違和感とは…
Vol.5 まずは幼稚園受験
10月下旬。
新年少で幼児教室に入った翼も、もうすぐ新年中に進級する。
その前に小学校受験の前哨戦として、幼稚園受験に挑戦する――夫・光弘の提案を、じっくり考えた果奈は「トライしてみる」という結論を出した。
さっそく果奈たちは、準備の大詰めに入っている。
金曜日の夜、早めに帰宅した果奈は、光弘が考えてくれた志望動機を清書していた。
明日の午前中に、幼児教室で「願書添削相談会」があるのだ。
就職祝いに父から送られた、ペリカンの万年筆を引っ張りだし、緊張しながら鉛筆の下書きをなぞる。
果奈は万年筆という筆記具を初めて使うが、こんな時こそ、万年筆で差をつけたいのだ。
― すごく書きにくい!でも、これで大丈夫かな。
ところどころ線の太さが違ってしまったが、誤字脱字もないし、これで問題ないだろう。
果奈は書き上げた願書をバッグにしまった。
幼稚園受験に成功することを思い描くと、うれしさと同時に不安も湧き上がる。
― ほとんどの幼稚園の預かり時間は9時から13時。しかもお弁当なのよね…。
働いている果奈のライフスタイルと幼稚園生活は、まったくマッチしていない。
それでも私立の幼稚園という選択肢は、果奈の目に魅力的に映った。
『初等部受験生ママ集まれ!』のLINEグループでのやり取りを見ても、通う幼稚園によっては、小学校受験に大きなアドバンテージとなることは明らかだ。
― 送り迎えにお弁当。問題はあるけど、挑戦する価値はあるよね。万が一合格したら、その時にいろいろ考えればいいんだし。
万年筆を片付けると、果奈は明日の「願書添削相談会」の前に予約しているパーソナルトレーニングに備え、早めにベッドに入った。
次の日、パーソナルトレーニングを終えた果奈は、1人で幼児教室を訪れた。
早速清書した願書を先生に添削してもらう。
果奈が清書した志望動機を、表情一つ変えずに読み終えた年配の先生は、開口一番にこう言った。
「お母様、筆記具は普段から使い慣れたもの…ボールペンでかまいませんよ」
「はい。承知しました…」
万年筆を使い慣れていないことが早々に露呈し、果奈は縮こまる。
「志望動機は、問題ありません。翼さんの考査を待つ間に、お母様が同じような書類を書く時間があると思うので、つじつまが合うようにしておいてくださいね」
はい、と果奈が返事をしようとしたその時、幼児教室の入り口のドアが開いて、血相を変えた誰かの母親らしき女性が駆け込んできた。
受付の奥から室長が出てくると、その女性は一気にまくし立てた。
「昨日学校に提出した願書なんですけど、志望動機に『人生の礎となる』って書いたんですが…今、改めて学校案内を読み返したら、学校側の表記がひらがなで『いしずえ』だったんです!」
手に握りしめた学校案内のパンフレットの該当ページらしきところを開き、指をさして震えている。
― えっ、そんなことで?
話を小耳にはさんでしまった果奈があっけにとられていると、室長は母親をなだめながら励ました。
「お母様、出してしまったものは仕方ありません。今からできることで挽回しましょう!」
― こんな熱心なおうちの子と、翼が同じ土俵で戦うのね。
自分の考えの甘さを思い知ったようで、果奈は、気後れしながら幼児教室を後にしたのだった。
願書添削を終えた果奈は、彩香にLINEをした。
『果奈:今、お教室の近くにいるんだけど、時間があったらお茶でもいかが?』
『彩香:ぜひぜひ!ヒルズクラブでどう?アンはウィリアムに任せて私だけ行くね』
2人は、彩香たち夫婦がメンバーだという六本木ヒルズクラブに行くことにした。
エレベーターの前で落ち合うと、近況報告が始まる。
彩香の娘のアンも、幼稚園受験をする予定だそうだ。志望校は、翼と同じく東洋英和と暁星の女子枠を受けるらしい。
「東洋英和の校内をゆっくり見られるチャンスだし、もし受かったら本当にラッキーだよね!」
コーヒーを飲みながら、あっけらかんと話す彩香。自分にはないその明るさに、果奈はいつも救われる。
「そうだよね。どこかご縁があれば、自信にもなるしね」
「もし受かったら、クラブメッド石垣島でアンはキッズプログラムに入れて、ゆっくりワーケーションするって決めているんだ」
しばらく2人はまだ受けてもいない幼稚園に合格したつもりになって、お受験が終わった後のご褒美について話し合った。
「もうこんな時間!お教室に向かわなきゃ。うちはシッターさんが翼をお教室の前まで連れてきてくれるけど、彩香さんは一度家に帰る?」
果奈が身支度を始めると、彩香はのんびりとメニューを眺めながら手を振った。
「私はもう少しゆっくりしていく。今日は、ウィリアムがお教室に連れて行ってくれるの」
「そっか。次にゆっくり話せるのは、幼稚園受験の後かな?またね!」
果奈は彩香に手を振ると、アプリでタクシーを呼んだ。
果奈が幼児教室が入るビルの前に着くと、シッターが翼と手をつないで待っていた。
「翼くん、今日もとても元気でしたよ。お着替えに手間取って、家を出る時間がギリギリになったので、タクシーを使わせていただきました」
果奈は、シッターにお礼を言うと、「タクシーで来た!」とはしゃぐ翼をなだめながら幼児教室へと入った。
ガラス張りの教室内では、運動考査の練習をするのか、先生たちが三角コーンを準備している。
それを見ていた果奈が気を抜いた瞬間、翼が果奈の手を振りほどいて教室内に走って入ってしまった。
「今日、タクシーで来たんだよ!」
翼が叫びながら、先生が置いたばかりの三角コーンを蹴り飛ばしていく。
6月生まれの翼は、体も大きく、力も強いので、なかなか先生も制御できない。
「翼、やめて!本当に申し訳ありません!」
ペコペコと頭を下げる果奈に、先生は穏やかに言った。
「翼さん、今日も元気でなによりです。お母様、お子さんの前ではもっと堂々としてくださいね。
それから、教室へは、できるだけ公共交通機関でいらしてください」
「はい…」
肩身の狭い思いをしながら待合スペースに戻ると、他の親子が静かに授業開始を待っている。ただ1人をのぞいて。
「ブヒ、ブヒ!」
アンの声だ。相変わらずイギリスの子ブタアニメにはまっているのか、鼻を鳴らして笑っている。
いつもと違うのは、それをたしなめる彩香は不在で、ウィリアムと思しき男性も一緒になってブヒブヒ言っているところだろうか。
― 私たち、数週間後には幼稚園受験するのよね。
果奈は、さっきまで2人で語っていたお受験後のご褒美は、おそらく幻になるだろうと思わずにはいられなかった。
◆
11月下旬、幼稚園受験の結果が発表された。
果奈は暁星幼稚園と東洋英和の不合格を確認すると、久しぶりに彩香にLINEをした。
『果奈:彩香さん、久しぶり。幼稚園受験、うちは全滅だったよ』
― まあ、当たり前の結果よね。
果奈は特に落ち込みもせず結果を受け入れているが、東洋英和の不合格通知を受け取った時は、少しだけ自分を責めた。
東洋英和の両親面接の時、同伴していた翼の遊びスイッチが入ってしまい、走り回る翼をたしなめているうちに時間が過ぎてしまったのだ。
― 私がもっと堂々としていれば。
翼が走り回っても、動揺などしてはいけなかったのだ。
『面接の時、子どもが走り回ってしまいましたが、受け答えに集中したら、無事にご縁をいただけました!』
『初等部受験生ママ集まれ!』のLINEグループで、そんな合格報告を目にする。
しかし、終わってしまったものは仕方がない。
本来狙いを定めているのは小学校受験。あと2年、親子でベストを尽くすしかないのだ。
ため息をついていると、彩香から返信が来た。
『彩香:連絡ありがとう。今少し電話できる?』
― もしかして合格報告?
果奈が、自分のことのようにドキドキしながら電話をかけると、彩香がワンコールで電話に出た。
「果奈さん、久しぶり!うちも東洋英和も暁星も、落ちちゃったよ。でも、当たり前の結果だよね」
果奈たちと同じように、不合格をあっさり受け入れている彩香は相変わらず明るい。
「これからも幼児教室でよろしく…でね、果奈さんに言わなくちゃいけないんだけど」
彩香が一呼吸おいてから話し始める。
「実はね、アンは11月初めに伸びる会幼稚園を受けたの。で、合格したの」
「えぇっ…。そうなんだ」
聞いていない、と喉元まで出かかった言葉を飲み込むと、変な声が出た。
― 報告する義務もないのに、そんなことを言うのはお門違いよね。
「この幼稚園は、早朝と夕方の預かり保育もあるし、働いているお母さんもたくさんいるんだって。二次募集もあるかもしれないから、翼くんもどう?」
「そうなんだ。ちょっと考えるね」
ウキウキしながら話す彩香に、おめでとうと言って電話を切ると、果奈はしばしの間落ち込んだ。
彩香に置いてけぼりをくらったような気分だった。
― ああ、そうだ。お母さんにも結果報告しないと。
果奈と翼のことをいつも気にかけてくれる母。
果奈は一通りの結果を報告してから、そういえば、と長い間聞きそびれていたことを問いかけた。
「お母さん、聞きにくいんだけど、どうしてお兄ちゃんたちは付属幼稚園なのに、私は違う幼稚園だったの?まさか私…幼稚園落ちた?」
母は、笑いながら答えた。
「あら、今さらそんなこと聞くの?まあ、果奈は覚えていないわよね」
果奈は次の母の言葉をドキドキしながら待った。
▶前回:幼児教室を見学した父親が、3歳の息子の様子を見て感じた、ある違和感とは…
▶1話目はこちら:「この子を、同じ学校に入れたい…」名門校を卒業したワーママの苦悩
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兄たちとは異なる果奈のお受験事情。母が打ち明ける衝撃の事実とは?