「私、小学校から大学までずっと同じ学校なの」

周囲からうらやまれることの多い、名門一貫校出身者。

彼らは、大人になり子どもを持つと、必ずこんな声をかけられる。

「お子さんも、同じ学校に入れるんでしょう?」「合格間違いなしでいいね」

しかし今、小学校受験は様変わりしている。縁故も、古いしきたりも、もう通用しない。

これは、令和のお受験に挑む二世受験生親子の物語。

親の七光りは、吉か凶か―?

◆これまでのあらすじ
名門一貫校出身の果奈は、息子の翼を小学校から同じ学校に入れたいと考えている。幼児教室で気の合うママ友・彩香と出会いほっとする果奈。一方で夫・光弘とは、併願校について意見が衝突し…。

▶前回:「そんな理由で、小学校受験を決意…?」幼児教室のママ友が打ち明けた、複雑な事情とは




Vol.4 お受験は誰のもの?


果奈は、1人で伊勢丹婦人服売り場をうろうろしながら考えた。

夫の光弘と、翼の併願校に対しての意見が合わず口論になりかけたのだ。

― 夫婦の意見を合わせることも大切だけど、お受験は翼のためのもの。そこをちゃんと話し合わないとね。

1人で電車に乗り、元町・中華街行きの副都心線が中目黒の駅に着くころには、果奈はだいぶ冷静になっていた。

「果奈、ちょっと話せる?」

帰宅すると、光弘がコーヒーを片手に声をかけてきた。

翼はお昼寝をしているようだ。

― 翼をお昼寝させて待っててくれたんだ。

果奈はリビングのソファに座り、電車の中で考えたことを言おうと口を開いた。

同時に光弘も「俺たちさ」としゃべり始める。果奈は、まずは光弘の意見を聞こうとコーヒーを飲んだ。

「俺たちさ…翼の意見を聞くのを忘れてないか?」

「それ…私も同じこと考えてた!」

果奈は思わず叫んだ。

「高校受験とか、大学受験とかはさておき、翼自身がどんな学校に興味があるのか、まず聞いてみないか?」

「そうね、もう少し物事がわかるようになったら聞いてみよう」

果奈は、光弘がコーヒーを飲み始めたのを見て、話しかける。

「でもね、そんなに遠い将来のことは考え過ぎないでほしいの。翼がこれからどんな子になるかなんて、誰にも分からない。

それに啓祥学園の同級生だって、中学から他の学校に進学する子もいたわ。小学校受験ですべてが決まるわけでもない」

光弘が軽く眉をひそめたが、果奈は一番言いたかったことを伝えた。


光弘の目を見て、果奈は語り続ける。

「どんな進路だって、みんながその時の自分にとってベストな選択をした結果だと思うの。

だから、翼がこの先どんな選択をしても、それを尊重してあげてほしい」

「それはきれいごとだよ」

光弘は、厳しい表情になる。

「その時々で選択を変えてもいいってこと?『息子がドロップアウトしても応援します!』って言ってるようにしか聞こえないな」

― もう、どれだけ卑屈なのよ!

光弘は果奈の意見を一蹴する。

「俺は、果奈と同じ3人兄弟の末っ子だけど、高校と専門学校の学費を出してもらうだけで精いっぱいだったよ。やめたら山形で農業やるしかないから、どれだけ勉強がつらくても、頑張るしかなかった」

コーヒーを飲み干して、光弘は続けた。

「翼には、根性のある大人になってほしいんだ。自分の選択には執着してほしいし、嫌なことがあっても、それに食らいついてほしい」

― それって私が根性なしみたいじゃない?

「それはまた別の話だと思うわ」

「ママー!ぼくおきたー!」

翼がお昼寝から起きてきたので、話し合いは平行線のまま終わりを告げた。




次の土曜日、果奈と光弘は、そろって翼の幼児教室の付き添いに来ていた。

教室に提出する志望校リストは、まだ空欄のままだ。

話し合いも平行線のまま、あれから夫婦でゆっくり話す時間も取れていない。

翼の志望校はじっくり選んでも遅くはないはずだが、夫婦のわだかまりは早めになくしておいたほうが良いに決まっている。

今日、光弘と幼児教室に来たのは、教室での翼の姿を見てもらい、改めて翼の将来について考えてもらいたいからだ。

「へえ、土曜日だから、両親そろってきている家庭も多いんだな」

今日の仕事は夕方にミーティングが1つあるだけだという光弘は、だいぶリラックスして、近所の公園にでも遊びに来ているかのような雰囲気だ。

「このネームカードを付けて入ってね。私は終わるころに迎えに来るから、気になることがあったらこのノートにメモしておいて」

感染症対策のため、保護者は1名までしか付き添いができない。

果奈が首から下げるネームカードや、ノートを渡しながら光弘に手早く指示をする。

「俺1人で見るの?一緒に入ろうよ」

不服そうに光弘が言う。

「入り口に『保護者の付き添いは1名まで』って書いてあるでしょう?」

「別にいいじゃん。ほら、みんな夫婦で座っているよ」

光弘が強引に果奈を引き入れようとするので、慌ててその手を振りほどいた。




「あのさ、みんながやっているから自分もルール違反して良いって、良くないと思うわ。

それに意地悪で言っているわけじゃなくて、感染症対策のためなんだから、ちゃんと守ろうよ」

結局光弘が1人は嫌だ、というので、ひとまず授業の前半は果奈が見学することにして、光弘は後半から交代することにした。

― 光弘、ちゃんと戻ってくるかな。戻ってこなかったら、翼、悲しむだろうな。

心配しながら授業を見学していると、30分ほどすると入り口に再び光弘が現れた。

果奈はほっとして退出の準備をした。

見学席にいる周りの保護者に軽く会釈をして立ち上がると、そっと椅子をもとの位置に戻して、入り口に光弘を迎えに行く。

「ちゃんと戻ってきたのね。これからお絵かきタイムが始まると思う。そのあとのおままごとの時間でマザーリングがあるからよろしくね」

「マザーリングって何?」

マザーリングとは、授業の総評のようなものだ。この時間で、保護者はその日の授業の狙いや、子どもの習熟度を確認し、家庭学習に役立てるのだ。

「俺、そんなの聞いてもわかんないよ!iPhoneで録音しておいて良い?」

「…良いと思う?」

冷ややかに聞く果奈に恐れをなしたのか、光弘は一言、頑張ります、と言ってノートを片手に保護者見学席に向かっていった。


数十分後、翼の手を引いて教室から出てきた光弘は、晴れやかな顔をしていた。

― 見学、よっぽど楽しかったのかしら?

帰りの車の中、光弘が上機嫌で話す。

「今日のマザーリング、俺たちすごい褒められてたぜ」

今日はなぜか夫婦そろっての付き添いが多く、1人ずつ交代で見学したのは果奈たちだけだったらしい。

夫婦2人で見学していた他の保護者は注意され、光弘は1人褒められたので上機嫌のようだ。

「そんな当たり前のことで…」

「当たり前だけど、そうじゃないんだよ。実際できていない人が多いんだから」

光弘が運転しながら大きく息を吸いこんだ。

「今日、外から果奈を見ていて思ったんだ」

車が信号待ちで止まると、光弘は助手席の果奈の方を向いた。

「翼には、果奈みたいな大人になってほしいって。周りの人に会釈したり、椅子を戻すしぐさの1つ1つが自然ですごく上品だった」

― 全部当たり前のことだけど…。

光弘の真意がわからず、果奈は黙っていた。

「俺、果奈の家族は違う世界の人なんだと思ってた。みんなオーラが上品で、思わず自分を卑下してしまうぐらいに。

でも、それって小さな当たり前の行動が積み重なってにじみ出る上品さなんだよな」

信号が変わり、光弘は車を発進させる。

「それで今更ながら気づいたんだ。果奈はいつも相手の立場に立って物事を考えている。

それを卑屈にとらえていたのは俺の方だったよ。…だからこれからは果奈の意見を尊重するよ」




「ありがとう。でも、お受験に関しては、翼の意志が第一。これは絶対に忘れないようにしようね。今日は付き添いお疲れさま」

光弘は時として、うれしい気づきを果奈に共有してくれる。

― こういうところが光弘の優しさなのよね。

夫婦のわだかまりが少しとけた気がして、果奈は安心した。

「プラレール!」

車を降りて、玄関のドアを開けると、翼が叫びながら子ども部屋に行ってしまう。

お稽古バッグをしまいながら、光弘がそっと話しかけてきた。

「ねえ、前哨戦だと思って、幼稚園受験してみない?」

「えっ?」

今日のマザーリングで、幼稚園受験の案内があったらしい。

翼は、6月生まれで4歳になるが、幼稚園ならば今は年少だ。

果奈の母校は、幼稚園は3年保育しか募集がないのでもう受けられないが、2年保育の幼稚園ならこれから対策しても間に合うかもしれないというのだ。

「受かったらラッキー、ぐらいの感じでさ」

すっかり乗り気になった光弘は、先生に早速相談してみたらしい。

預けたノートに、『暁星、東洋英和』と書いてある。




「先生に聞いたら、翼は元気だから、暁星っぽいってさ。東洋英和は小学校から女子校になっちゃうけど、良い幼稚園だから小学校受験を考えてる男子にはおすすめだって」

「へえ、そうなんだ…。その前に、今日授業を光弘に見てもらったのは、聞きたいことがあったからなの」

果奈は翼が遊びに夢中になっているのを確認して、小声で言った。

「翼、全然授業についていけてなくない?」

「…俺もちょっと思った。翼、今日のお絵かきの時、絵具用バケツの水で遊んでて、全然絵をかいていなかったぜ。あいつは…普通の学校じゃダメなのか?」

自分だけの胸にとどめておこうかと思った翼の状況。ここ最近は、マイペースに磨きがかかり、授業に参加できているのかいないのか、わからない状態が続いている。

先生方が笑顔で接してくれるのと、翼自身が教室通いを嫌がらないのが、せめてもの救いだ。

― こんな状況で、幼稚園受験なんてできるのかしら?私からも先生に相談してみないとわからないわ。

夫婦の足並みはそろったが、翼本人の学習スイッチは全く入っていない。

果奈は、再び頭を抱えたのだった。

▶前回:「そんな理由で、小学校受験を決意…?」幼児教室のママ友が打ち明けた、複雑な事情とは

▶1話目はこちら:「この子を、同じ学校に入れたい…」名門校を卒業したワーママの苦悩

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翼が幼稚園受験?準備不足が否めないのに、合格を勝ち取れるのか?