オトナになったら、“卒業式”はないけれど、卒業したいものがある。

過去の恋に執着している自分、臆病な自分、人付き合いが苦手な自分…。

でも、年齢を重ねた分、思い出もたくさんあって手放しづらくなるのが現実だ。

学生のときみたいに、卒業式で強制的に人生をリセットできたらいいのに…。

そんな悩めるオトナたちが、新しい自分になるために奮闘する“卒業ストーリー”。

この春、あなたは何から卒業する?

▶前回:アプリで知り合った東大卒の男と初デート。プロフィール画像について“あること”を彼から指摘され…




Vol.3 自信が持てない自分(愛理・26歳)


3月半ば。

心も体も本格的な春の準備を始める、そんな時期。

私は仕事終わりに、幼馴染みの茜に『BRIANZA TOKYO』に呼び出された。

待ち合わせの20時。

テラス席で、丸の内の夜景を眺めながら彼女を待っていると、10分ほど遅れて、Max Maraのスプリングコートをはためかせながら茜が現れた。

「愛理〜、久しぶりだね!この前会ったのは高校メンバーとの忘年会だったから…3ヶ月ぶりか〜!」

彼女は、到着するや否や。近くにいた店員さんをさっと呼びとめた。

「シャンパン2つ、それからバーニャカウダと、アスパラのジョスパー焼き、トリュフと卵のオーブン焼きで」

全て言い終わってから「シャンパンでよかったでしょ?」と確認してくるのだから、私は苦笑してうなずく。いつものことだ。

「愛理、聞いてくれる?雄一ってば最近冷たいの。クリスマスも全然楽しくなくてね、思えば冷たくなったのはあの時からかなぁ」

真っ白な肌に、大きな目。それを潤ませて、茜は唇を尖らせる。“雄一”というのは、以前、茜と一緒に行ったお食事会で知り合った経営者だ。不動産に注力しているという。

― 私も不動産会社で働いてるから話が盛り上がったけど…結局、茜に持っていかれちゃったんだよね。

はじめは別の男性とイイ感じになっていたはずの茜が、私が雄一と話しているのを見るやササッと近寄ってきて…あれよあれよという間に、2人は密着して話を始めてしまったのだ。

いつもの、ことだった。


出会いは中学受験の塾


茜との出会いはもう15年以上も前、中学受験のために通っていた進学塾だった。

「愛理ちゃん、算数の点数すごいね!どうやったらそんなにスラスラ解けるようになるの?」

授業の合間の休み時間、1つ後ろの席の茜に話しかけられたことがキッカケだった。

当時の私は地元の公立小学校でうまく友達をつくれず、女子グループの輪に入れないでいた。だから、とびきりかわいくて、性格も明るい茜から突然話しかけられたことに、正直言って戸惑った。

― 勉強の暇つぶしに話しかけてきたのかな。

何かと声をかけてくる茜に、はじめはそう思いつつ接していた。でも茜は私のどこを気に入ったのか、ことあるごとに私に構うようになり、いつしか「愛理と同じ学校に行けたらなぁ」なんて言い始めたのだ。

私の志望校――のちに茜とともに進学することになる都内の女子校は、偏差値55くらいの中堅校だった。

「そのためには、やっぱり算数がネックだわ。ねぇ愛理、この問題の解き方教えて?」

明るく人気者の茜からそんなふうに頼られて、誰が断ることができるだろう。

日陰者の人生を送ってきた私にとって、「茜に好かれている」という事実はまるで、人生に差し込んだ一筋の光のようだった。嬉しくてうれしくて、喜んで勉強を教えた。そうして一緒に頑張っているうちに、私たちは無事に同じ学校に合格したのだ。




以来、茜とは腐れ縁だ。部活やら委員会やら、茜は何かと私と同じところに所属したがった。大学も、私が指定校推薦で立教に入学を決めた後、一般入試で立教の同じ学部に入ってきた。

「愛理〜!大学の入学式、待ち合わせて一緒に行こうよ」

茜が私を頼るたびに、そして同じ道に来ようとするたびに、私は『真似ばっかりしないでよ』と思う反面、自分の中の何かが満たされるようで嬉しかった。

こんなに美しい親友がいること、そしてその親友が私を信頼してくれていることが、どこか誇らしくも思っていた。

でも…。




「愛理!見てみて、高石さんとクリスマスにデートしたの。プレゼントにネックレスもらっちゃった」

大学に入り、祖父の影響で密かに趣味にしていた囲碁を本格的にやってみようと、囲碁部に入った。

そのことを、茜にはなんとなく秘密にしていた。

特に深い理由はなかった。囲碁なんて茜は興味ないだろうし、テニスやゴルフサークルなど、もっと華やかな世界を好むだろうと思ったのだ。

けれどどこから聞きつけたのか、茜は囲碁部までやってきて、年末には私の憧れていた3年生の高石さんとイイ感じになっていた。

たぶんその頃から…私は、茜に対して複雑な感情を抱くようになったと思う。



茜との過去を思い返していたら、彼女がつぶやいた。

「もう、雄一とは別れちゃおっかなぁ――」

「まあまあ、まだ付き合い始めてそんなに経たないんだし、様子見てみたら?」

チリチリ、チリチリ…

茜の愚痴を聞きながら…私は胸の中で、何かがつっかかるような、イライラするような、そんな違和感と闘っている。この数年、茜に対してそんな感覚を覚える頻度は増えていた。

ただ、その正体がなんなのかは…よくわかっていない。

「あれ、愛理?お疲れさま。偶然だな、こんなところで」

背後から不意に話しかけてきたのは、会社の同期の拓真だった。爽やかな笑顔に、思わずドキッとする。185cmの高身長、大学まで続けたバスケで鍛えた体躯。営業としてめきめき実力をつけていると社内でも好評だ。私は――密かに、拓真に思いを寄せている。

拓真もここで会社の人たちと飲んでいたそうだが、子育て中の先輩たちが多く、もうお開きになったという。

それを聞くと、茜はパッと顔を輝かせた。

「よかったら、一緒に飲みませんか?私、愛理の幼馴染みなんです!」

「え?いいんですか、女子会にお邪魔しちゃって」

茜はニコニコして「ぜひぜひ!」とうなずいている。

2人の様子を見つめながら、私は…胸の奥で響く違和感の音が、大きくなったように感じていた。


結局私たちは、場所を移して飲むことになった。

「茜、拓真くんの隣がいいなぁ」

茜はすっかり上機嫌で、お店に着くなり、ソファ席でちゃっかり拓真の横におさまっている。

上目遣いで拓真の顔をじっと見つめ、目が合うタイミングでにっこりと微笑む。笑いながら拓真の肩を叩く。「一口ちょうだい」と拓真の飲み物を飲む。




― ああ、いつもの展開だ…。

もう何度あったかわからない、茜と、自分の好きな人と3人のシチュエーション。茜に甘えられて、落ちない人はいなかった。

ただ――拓真は、ほんの少し困ったような表情で茜を見ている。

「ねえ、茜。拓真がちょっと困ってるみたいだよ。あんまり絡んじゃダメよ」

「え〜、愛理ってば真面目!」

やんわりとたしなめると、茜は口をとがらせてぶうたれた。冗談めかしてはいるが、私が茜に注意することなんて今まで一度もなかったから、何かを感じたのかもしれない。

「あ、そうだ。茜、この後彼と待ち合わせしてるの」

茜は、そう言って突然帰っていった。

彼女がいなくなると、一気にホッとした気持ちになった。

「なんか台風みたいな子だったなぁ。まだ終電まで時間あるし、飲みなおすか」

拓真の提案に、私は素直にうなずく。

仕事の話。恋愛の話。拓真も囲碁の経験があることが判明して、囲碁の話でも盛り上がった。

「愛理って、おとなしそうに見えるけど、面白いし芯があるし、ギャップあるよな。もっとそれを全面に出していっていいと思うけど。さっきも、ずっと聞き役に回ってたけどさ」

拓真にそう言われて、驚いた。

15年も付き合ってきた茜にだって、そんなことは言われたことはなかったから。

そして同時に…15年も一緒にいる茜よりも、たった数年の付き合いの同期の方が、ずっと心を開いて話せていることに気づいた。

― 私は、やっぱり…茜のいない世界を求めてるのかな。

正直、そんな気はずっとしていた。

こっそりと囲碁サークルの新歓に行った時。

茜が高石さんとデートしたことを知った時。

お食事会で「いいな」と思った人と、茜が付き合い始めた時。

でも、気づかないフリをしていた。

茜に憧れていた。茜のようになりたかった。明るくて人気者で、甘え上手で。

茜が羨ましくて、妬ましかった。近づくほどに、一緒にいるのが辛くなった。だから距離を置こうと思った。

でもやっぱり、不意に茜から連絡がくると嬉しくなった。「求められている」という感覚に、深く満たされた。

気づけば何年も、ずっとこのサイクルの中で回り続けている。翻弄されるように茜に振り回され、チリチリと違和感を感じては、気づかないフリをして。

美しく鮮やかな、茜の笑顔。

もう何年も見てきたそれを、私は頭の中に思い浮かべていた。




それから、1ヶ月。

茜からはあれ以来、連絡がなかった。

「次に連絡がきたらどうしよう」なんて時々考えては頭を悩ませていたから、連絡がなくて逆によかったのかもしれない。けれど…。

―― ♪

仕事帰り、通知に気づいてスマホを見ると、茜からLINEが来ていた。思わず立ち止まる。

『愛理〜♡最近どうしてる?私、雄一と別れちゃったの。話聞いてほしい!』

反射的に、連絡を返したくなった。

でも――私は、グッとこらえた。

学生の頃は、茜といると、何者かになれる気がしていた。

でもそれは、“過去の話”。

私に今必要なのは…茜じゃなかった。

今の私は、茜に対して、いつもモヤモヤした感情を抱いているし、彼女といるとなんだか“自分らしく”いられないのだ。

もうとっくの前に、私は茜から卒業するべきなのに、ずっと離れられないでいたのだと思う。

― …しばらくは、会えない。今会ったら、過去の自分に引き戻されてしまいそうだから。

私は、モヤモヤする茜との関係から卒業することにした。

胸がきりきりと痛んだが、画面を数度タップした。トークルームを非表示にする。

スマホをコートのポケットに入れると、私はもう一度、たしかな足取りで歩き始めた。

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