義母からの執拗な「子どもはまだ?」攻撃。守ってくれない夫にも限界を感じた女はついに…
― 【ご報告】―
SNSやメールでたびたび見るこの言葉に、心がざわついた経験はないだろうか?
人生において、新たなステージに入った【ご報告】をする人。
受ける側は【ご報告】されることによって、相手との関係性を見直したり、自らの人生や現在地を振り返ることになるだろう。
この文字を目にした人は、誰もが違う明日を迎える。
これは【ご報告】からはじまるストーリー。
▶前回:今の彼は、友人に紹介できない…。結婚報告を目前に、冴えないルックスの夫に妻が頼み込んだこと
Vol.3 <ご報告:妊娠しました>
「真美さん、次こそはあなたの番ね」
義理の母・絹恵が発した嫌味に、坂巻真美はただただ作った笑顔を見せた。
芝公園の『とうふ屋 うかい』で行われた、義理の妹・怜衣夫婦の妊娠発表会。
結婚式や会席に使われる料亭に親族でわざわざ集まり、お祝いをする。しかしそこには、義妹の妊娠祝いとは別の意図も含まれていることに、真美は気づいていた。
「お義姉さん、なんか先にすみません」
今日の主役である怜衣も、どこか肩身が狭そうだ。きっと、“影の主役”の存在を理解しているのだろう。
「いいの。本当に、気にしていないから」
そう答える真美に対し、絹江はここぞとばかりに口を挟む。
「結婚して5年でしょう。せっかくお互いギリギリ20代で結婚したのに、ふたりとももう30半ばじゃない?のんびりしている暇はないんじゃないの」
― また始まった…。絶対言われると思った。
立て板に水のように喋り続ける絹江を、やんわりと受け流す。
隣には夫の聡がいるが、まるで他人事だ。向かいに座る義弟と、ひたすらに趣味の鉄道の話で盛り上がっている。
いつものことだから、特に怒りは起きない。
怜衣は、こんな状態にはすっかり慣れているのだろう。長男至上主義の家に生まれたのだから当然と言えば当然だが、母の暴走を止めるわけではく、同調すらしはじめる。
「お義姉さんも子どもが要らないわけではないんでしょう?」
「はい。子どもは大好きですし、もちろん、いつかは欲しいと思ってますよ」
「じゃあどうして?積極的な妊活はしていないそうじゃないですか」
直接的過ぎるその質問の答えを、真美は言葉で濁しながらも、心の中で呟く。
― この家では、産みたくないからよ。
地獄の婚家
夫・坂巻聡とは、大学時代に旅行系のインカレサークルで出会った。
東京大学に在籍し、容姿も育ちも良い彼はサークルの憧れの的。
日本女子大に通っていた真美が彼と交際をすることになったときは、友人たちから痛いほど羨望の視線を向けられたものだ。
学生時代に一旦は別れたものの、28歳の時に、共通の友人との集まりで再会。
経産省に勤める官僚になった彼は、容姿も振る舞いも一層洗練され、さらに男性としての魅力を増していた。
そして、当時ちょうどお互い恋人がいなかったこともあり、とんとん拍子に結婚が決まった。
結婚当初は彼も義両親もあたたかく、優しかった。
しかし、1年を過ぎたあたりから、急に絹江から子どものプレッシャーを強くかけられるようになってきたのだ。
そのプレッシャーに対していつだって曖昧に応じる真美に、絹江のあたりが次第にきつくなっていったのは言うまでもない。
IT系の新興企業に勤める真美。会社も急成長中で、社内での責任や地位も上がってきたばかり。
子どもは欲しいという気持ちはあったが、それどころではなかった。
絹江のことを聡に相談すると、守るどころか「実は自分もそろそろだと思っていた」と、一緒になって真美を追い詰める有様だった。
以来、真美の身体のリズムに合わせた月2度の計画的な営みが設定され──どんなに多忙が続いても、その日だけは早く帰宅するようになった。
― 確か、学生時代に別れた時の理由って…。クリスマスとか正月とか、全ての予定が実家優先で、一緒に過ごせなかったからだったのよね…。
別れた当時、真美は20歳前後。
しばらく経って逃した魚の大きさを知り、「なんて子供じみた理由で別れたのか」と後悔したが、その時の判断は正しかったようだ。
彼のステイタスとルックス、受け身の優しさに目がくらみ、他の部分が見えなかった自分を悔いた。
◆
「じゃあ、真美さんからもうれしい報告を楽しみにしていますよ」
「うん。いつも心配かけてごめんね」
義父母が乗りこんだハイヤーを見送りながら、聡はわざとらしく真美の肩を抱いていた。
普段の聡は、表ではこういうことをめったにしない。
シャイな性格のはずだが、絹江の前だけではこうして見せつけるように触れ合おうとする。その振る舞いが、真美は結婚当初から気になっていた。
そしてある時、その理由にふと気づいた。
聡の意志は、全て義実家の意志だということに。
妻である自分のことは、坂巻家の子どもを産む道具くらいにしか認識していないのだ。
聡が心から笑っている様子など、鉄道のことを語っている時しか見たことがない。
たとえ無事に子どもを産んだとしても、子どもの全ては絹江に支配されてしまうだろう──。
そう思い至った時には、真美の中に、ひとつの揺るぎない想いが生まれていた。
― お義母さんを…あの女を、喜ばせたくない。
もし子どもができても、その報告だけは絶対にしたくないと思った。
だから本当のところ、絹江に何を言われても真美にとってダメージはない。
苛立つ絹江の表情を見ていると、喜びさえ覚えるほどだった。
◆
しかし、そんなある日のこと──。
怜衣の妊娠報告のことをなんとなく思い返していると、ふと、ある事実に気がついた。
― しばらく、生理が来てない。
常備していた妊娠検査薬を手に取る。
そして、その結果を確認した真美は、思わず目を見開いた。
「え…。嘘でしょ」
結果は、陽性。ハッキリとその部分に、赤いラインが出ていたのだ。
口元を歪ませながら、真美は今にも絶叫したい気持ちを抑え、震える。
― これで、これで私は……。
翌日。仕事で遅くに家に帰ると、絹江が家を訪れていた。
入るなり、真美が帰宅していることを知ってか知らずか、リビングからは言い争いのような大声の会話が聞こえてくる。
「自然に越したことはないけど、病院代なら出すから」
「それくらい大丈夫だよ。ただ、アイツが行こうとしないだけ」
「嫁選び、間違えたんじゃないの?」
廊下から耳をそばだてていたが、我慢できなくなり、真美はゆっくりとその扉を開ける。
「あら…。おかえりなさい、真美さん」
入るなり、絹江は満面の笑みを浮かべて真美を出迎えた。
テーブルの上にはこれ見よがしに、レディースクリニックのパンフレットや精力増強剤が置かれている。
「ずいぶん遅いのね。共働きを認めてあげているんだから、少なくとも妻としての役割は果たさないと。仕事の代わりなんて、いくらでもいるんだから」
実はその日、真美は産婦人科で診察を受けていた。
8週目、とのことだった。
「すみません…」
真美は心を押し殺し、張り付いたような笑顔を作ることしかできなかった。
◆
4ヶ月経っても、真美は絹江にも…聡にも、妊娠の事実を告げないままでいた。
食卓で向かい合う聡は、長い出張から帰ったばかりで疲れているのだろう。
真美の作った料理を感想も言わず静かに黙って食べ、目を合わさない。
お腹は、ほんのすこしふっくらとしてきている。そんな真美の変化にも気づかず、リビングでいつものごとく鉄道雑誌を読んでいる姿に、背中を押されたような気がした。
― そろそろ、リミットね。動かないと。
真美はそのまま寝室に向かい、自分のウォークインクロゼットの中に閉じこもった。
そして、奥にあったスーツケースを引っ張り出し、その中に生活に必要なありとあらゆるものを詰め込む。
この日のために、着々と準備を進めていた。
明日は会社を休み、実家に荷物を運んでから、自分とお腹の子のための新居を探しに行くつもりだ。
今日受けた妊婦検診で子どもが男の子だということや、母子ともに異常は今のところ見当たらないことを確認した。
言い出せなかったのではない。機を見ていただけなのだ。
ずっと、子どもは欲しかった。
いつからか、聡が自分のことを産むための道具のように考えているなら、自分も聡をそのように考えようと思うようになった。
ひとりで子どもを育てる覚悟を確固たるものとし、職場での地位と体制を整え、自分の両親も説得した。
準備できるまでの間は、ピルを服用するなど、できる限り結果が出ないよう気を付けていた。
妊娠が分かった日。検査薬を手に叫び出しそうになったのは、計画が遂に動き出す喜びの歓声だったのだ。
「おやすみ、聡。今日は疲れたから早く寝るね」
「……」
聡はこちらを気づかうどころか、返事すら返さない。だけど、かまわない。
「あなたもお疲れさま」
それだけ告げて、真美はリビングの扉を閉めた。
明日からは、お腹の中の子との新しい生活が始まる。そう考えただけで、クスクスと笑い声が漏れそうになる。
― ああ、ママになるのが楽しみ。でも…妊娠の報告は、あの人たちには絶対にしてやらない。
真美の胸は、希望と喜びに満ち溢れていた。
▶前回:今の彼は、友人に紹介できない…。結婚報告を目前に、冴えないルックスの夫に妻が頼み込んだこと
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