「海外で、挑戦したい」

日本にいる富裕層が、一度は考えることだろう。

そのなかでも憧れる人が多いのは、自由の街・ニューヨーク。

全米でも1位2位を争うほど物価の高い街だが、世界中から夢を持った志の高い人々が集まってくる。

エネルギー溢れるニューヨークにやってきた日本人の、さらなる“上”を目指すがゆえの挫折と、その先のストーリーとは?

現状に満足せず、チャレンジする人の前には必ず道が拓けるのだ―。

▶前回:3回目のデートで“告白”と意気込んで、イタリアンを予約した男。しかし、女は意外な反応で…




Vol.16 すれ違う想い(弁護士・玲奈:33歳)


今から2年半前、雅也と食事した帰りに、2人でニューヨークの街を歩いたときのこと…。

“食事デート”をしてから今日で2回目。もう少し2人の距離を縮められたら、なんて私は、期待していた。

「あ、『Lady M』だ。私、ここのケーキが好きなんですよね。

ここのお店、ミルクレープが有名なんですけど、ミルクレープって日本発祥って知ってました?だからここのケーキを食べるたびに、日本を思い出すんですよね」

「へぇ。僕は子どもの時、上から1枚ずつ剥がして食べてた記憶がありますね」

彼に似つかわしくない可愛らしいコメントに、私は笑った。

「わかります、私も小さい時はそうでした。でも大人になると、厚みがあるからこそ美味しいってことに気づいて…」

すると、彼がこんなことを言い出した。

「なんだか、人生みたいだな。若い頃は層が少ない分、一層一層を大事にする。けれど大人になると層に厚みが出て、その厚みが人生の深みになるというか…」

そう言って、彼は笑った。

「遠距離恋愛も、層の薄いミルクレープみたいですね。一層一層が大事なのに、僕はそのことに気がついてなかったな…」

宙を見て独り言のように彼は呟く。そういえば、少し前に遠距離恋愛をしていた彼女と別れたと聞いた。

「私もそうだな。こちらに来て忙しくて、一層一層を大事にすることも積み重ねる努力もしてなかった…」

一瞬重たくなった空気を変えるように、雅也がすぐに話題を変えた。

その日、結局彼と進展することはなかった。


家に戻った私は、1人になり、彼との今後の可能性に思いを巡らせてみる。

マンハッタンに残りたいという気持ちも大きいが、同時に日本に帰らないと、という気持ちも強い。

戻ったらまた私に担当してほしい、と言ってくれる顧客もいるし、こちらに来させてくれた所長にもやはり恩を返したい。

そうなったら、彼と付き合うことができても、また遠距離恋愛だ。

今でさえ会えるのは数ヶ月に一度。距離が離れてしまえば、心も離れてしまうのは目に見えている。

遠距離恋愛で失敗した過去を持つ私には、「それでも乗り越えられる」と言えるほどの自信がなかった。



それから3ヶ月ほどして。

「私ね、日本に戻ることに決めたんです」

心臓を大きく波打たせながら、告げた。

今日言わなければ、きっと言えなくなる。

食事も終盤に差し掛かり、会話が少し途切れたところで、やっと彼に伝えることができた。




「もう決めたんですね」

その問いに、胸が苦しくなる。

彼は聡明で博識でユーモアがあり、私の小難しい話も理解し、楽しく盛り上げてくれる。

毎回話したいことがたくさんあり、会話が途切れない。

もっと彼と、話していたい、もっと一緒にいたいと私は思っている。

それもあって、私は、日本へ帰国するかこちらに残るか、散々悩んだ。

でも、結局、帰国を選んだ。

心残りは色々とあるが、やはり雅也の存在が大きい。

「玲奈さんの選択を、応援します」

彼は優しく微笑み、そう言ってくれた。

その言葉がちょっと嬉しくて、ちょっと寂しかった。

私は昔から感情表現が苦手だ。嬉しい、会いたいなど、素直に表せない。

今の私の心を数パーセントでも伝えられたら、と思う。でも、きっとこれでいいのだ。

想いを伝えるのは、独りよがりでしかない。

「お元気で」
「雅也さんも、お元気で」

彼が私を家まで送ってくれたあと、彼の乗るタクシーのバックライトを見つめながら、自分の意志とは裏腹に、涙が溢れ出た。



日本に戻った私は、日本とニューヨークを結ぶ企業法務案件をメインに仕事をした。

それから、2年の歳月が過ぎ、私は、ニューヨークに戻りたい気持ちが強まっていった。

結局私は日本の事務所を退職し、ニューヨークに戻ることに決めたのだ。

「先生、お世話になりました」

ニューヨークに出発する日の朝、急に、引き継ぎの件で呼び出され、最後に事務所を訪れた。

「にしてもニューヨークっていうのは、それほど魅力的な何かがあるのかい?物価も高いのに」

「なんでしょうね?」

上司からの問いに曖昧に答える。

ニューヨークが夢の場所でないことは、百も承知だ。

いいところもたくさんあるが、抱えている問題も多い。

ただ、やはり私を惹きつけるものがある。

ビジネスの本場であり、移民も数多い。世界中のさまざまな問題がここに集結している。

訴訟大国のアメリカの中心部で仕事をするのは、キャリアの幅を広げる大きなチャンス。

それに、会いたい人もいる。

私は上司に丁寧にお礼と別れを告げると、羽田空港へと急いだ。






だが、マンハッタンに来てすぐ、共通の知人から「雅也が結婚した」と突然聞かされた。

ショックを受けた私は、脇目も振らず、仕事に集中した。

そんなある日、2年前にこちらで、友人伝いに知り合った瑞希から、ホームパーティーに呼ばれた。

私は、久しぶりに、出かけるのもいいかなと思い、参加することにした。

イーストヴィレッジのアパートに着くと、すでに数名が集まっている。

瑞希が来客対応している間、私は料理の準備を手伝う。

すると、思いがけない人が現れたのだ。


「久しぶりです、玲奈さん」

姿を見て束の間、全てが止まったように感じる。

2年前と変わらない雅也が、そこに立っていたのだ。




今日会うとは想定しておらず、まだ雅也と会う覚悟ができていなかった。

すると瑞希が、雅也からの手土産だと『Lady M』のケーキを持って来てくれた。

「ここのケーキ、玲奈さんも好きって言ってたから」

昔の何気ない会話の中で言ったことを、今も覚えていてくれたんだと、胸が温かくなる。

「僕の家族もここのケーキが好きだって」
「美味しいですよね!」

けれど彼と話しているうちに、ある重要なことを思い出したのだ。

私はすぐにでも帰りたい気持ちに襲われる。

しばらくし、先に帰ることにした。すると後から雅也がやってきた。

「ちょっと、話しませんか…?」

雅也の顔を見て、胸が締め付けられる。

一瞬迷ったが、彼に伝えたいことがあったので、夜遅くまでやっているカフェで話すことにした。

「すみません、呼び止めて。どうしてももう一度話したくて…」

話している途中で、彼が目を細めて微笑んだ。

「初めて玲奈さんと会ったのも、このカフェでしたね」
「確かに。あれから2年以上も経ったなんて…」
「あの時のこと、鮮明に覚えてます。すごくカッコ良い女性だなって」

そう言うと、彼は一息置いて言った。

「僕、ずっと後悔していたんです。何も言わずに玲奈さんとの関係が切れてしまったこと。また、こうして会えないですか?」

真剣な目にドキッとする。

私はようやく、伝えたかった言葉を口にした。

「あの…おめでとうございます。ご結婚されたって聞きました。次は奥様も一緒に…」

やっと言えた、と彼の顔を見ると、ポカンとしている。

「結婚?何のこと?僕はまだ独身ですけど…」
「え!?だって前に雅也さんのこと知っている友達から聞いたんです。

それに、雅也さんもさっき、『ミルクレープを家族に買って帰った』と言っていたし…。てっきり私は」

「あれは両親が、旅行でニューヨークに来ていた時の話です」

― じゃあ、結婚の話は私の早とちりか、友人の勘違いだったってこと!?

私たちは、お互いに見つめ合った後、吹き出した。

「それで少し様子が変だったんですか?」
「はい。結婚したって聞いてショックで…」

照れて目線を下に向ける私に、雅也が少し身をかがめて目を合わせた。

「僕は、ずっと玲奈さんに会いたいと思ってました。今日もすごく楽しみだったんです。良かったら、僕と付き合ってもらえませんか?」

驚きながらも、私は素直に「はい」と答える。




ニューヨークの1番の魅力は“人”だと私は思う。

ミルクレープのように、さまざまな夢を持った人々が集まり合い、大きな価値を作り出している。

その中でも、雅也に出会えたことが、私の人生に大きな意味を与えてくれた。

大好きなニューヨークで、これから彼と一層一層、新しい人生を作り上げていこう。

Fin.

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