3回目のデートで“告白”と意気込んで、イタリアンを予約した男。しかし、女は意外な反応で…
「海外で、挑戦したい」
日本にいる富裕層が、一度は考えることだろう。
そのなかでも憧れる人が多いのは、自由の街・ニューヨーク。
全米でも1位2位を争うほど物価の高い街だが、世界中から夢を持った志の高い人々が集まってくる。
エネルギー溢れるニューヨークにやってきた日本人の、さらなる“上”を目指すがゆえの挫折と、その先のストーリーとは?
現状に満足せず、チャレンジする人の前には必ず道が拓けるのだ―。
Vol.15 距離に負けた男(大手投資銀行勤務・雅也:34歳)
セントラルパーク近くのイタリアンレストラン『Marea』で、僕は玲奈と久しぶりに会っていた。
彼女は、メインのシマスズキを食べる手をとめ、僕の目をまっすぐに見て言った。
「雅也さん、私ね、日本に戻ることに決めたんです」
― えっ、そんな…。
一瞬、時間が止まる。しかし、僕はなんとか平静を装った。
「そっか。そうなんですね…」
2人の間に、何とも居心地の悪い沈黙が流れる。
玲奈とは8ヶ月前に出会った。
お互いに多忙なので、会えるのは2、3ヶ月に1度。だから、こうして2人でデートするのは、今日で3度目だ。
やっと仕事で成果が出始め、自信がついた僕は、今日、玲奈に告白する予定だった。
LL.M.(法学修士)の後、1年間の研修期間を終えた彼女は、こちらに残るとばかり思っていたから驚いている。
「もう…決めたんですね」
「はい。日本の弁護士事務所を辞めてこちらに残ることも考えたんですけど、やっぱりこちらに来る機会を与えてくれた事務所に、少しは貢献したいなと思って」
彼女の答えに、僕は自然と微笑んだ。
― 玲奈さんらしいな。
誰よりも真面目でまっすぐで義理堅く、そして強い。
一度決めたことなら、どんな状況でも達成する。そんな彼女に、僕は惚れたのだ。
「玲奈さんの選択を、応援します」
僕は、彼女の好きなスイーツをいつもより多く頼み、辛口のシャンパンで祝福した。
店を出てタクシーを拾うと、僕は彼女と一緒に乗り込んだ。
彼女の家の前まで行き、僕も降りる。
「じゃあ、お元気で。もし何か手伝いが必要だったら気軽に連絡してください。引っ越しの手伝いでも」
「はい、ありがとうございます。…雅也さんもお元気で。私もご活躍を祈ってます」
また、少しの静寂が流れる。
僕は「帰国までにもう一度会えませんか?」や、「こっちに来た時には連絡してください」などの陳腐な言葉を頭の中で並べては、飲み込んだ。
これから日本で頑張ると決めた玲奈の負担になりたくなかったから、僕は、彼女に告白どころか、次に会う約束さえしないことに決めた。
玲奈を降ろし、ぽっかりと空白のできたタクシーの後部座席で、僕は久しぶりに感じた孤独を持て余すのだった。
◆
1ヶ月後の金曜日。
スマホのカレンダーの通知がきた。
確認すると、明日が玲奈の出発日だと記されている。
― 明日は土曜日だし、見送りにだけでも行きたいな。
そんなことを考えていると、彼女からテキストが届いた。
『今から日本に帰国します。雅也さんと出会えて、ニューヨーク生活を楽しめました。ありがとうございます』
仕事中にもかかわらず、居ても立ってもいられなくなり、僕は席を立ち外に出た。
― 今なら、まだ間に合うかな…?
『フライトは明日かと思ってました。今どこですか?』とテキストを送り、僕は急いでタクシーを捕まえようとした。
すると、すぐに返信があった。
『一日早くなったんです。今搭乗口にいて、今から飛行機に乗ります』
僕は一気に全身の力が抜け、我に返った。
― バカだな…何してるんだろう…。
玲奈のことは、諦めたはずなのに、急に彼女への想いが込み上げてくる。
あの日カッコよく啖呵を切った恐れ知らずな玲奈。
会えば会うほど、相手を思いやれる優しさと強さを持つ彼女に惹かれた。
けれど、タイミングが合わなかった。
玲奈はこちらでネットワークを作り、さまざまな経験をしようとしていたし、僕も転籍をしたばかりの中、成果を出すのに必死だった。
だから、会えた数も少なく、会えてもその後に仕事や用事があったりと、ゆっくり話すこともままならなかったのだ。
それなのに、玲奈の存在が僕の中でこれほど大きくなっていたなんて。
『二つ合わさることによってできる、新しい価値ってありますよね』
僕は彼女のその言葉に、少なからず救われた。
― 本当に行っちゃったんだな…。
仕事場に戻り、ガラス張りの壁から外を眺めながら、僕は心の中で玲奈にさよならを告げた。
◆
2年の歳月が経ったある日。
以前、友人の結婚式に出席した際に出会った瑞希から、連絡がきた。
『今度の土曜日、うちでホームパーティーをやるんですが、来ませんか?』
仕事があるしどうしようかと迷っていると、もう一通メッセージが来た。
「日本から戻ってきた弁護士の玲奈さんも来るので、彼女の歓迎会もかねて。確か彼女と知り合いって言ってましたよね?」
懐かしい名前に指が止まる。
そういえば初めて瑞希と会った時に、共通の知り合いの話になり、その中に玲奈もいた。
あれから彼女とは、一度も連絡を取っていない。
正直、ずっと玲奈のことを想っていたわけではなかった。
僕も何人かとデートをしてきたし、いい感じになった女性もいる。
それぞれにみんな魅力的で楽しく、会話も弾んだ。
ただ、玲奈の時ほど大きく心が動かなかった。
久々に見た玲奈の名前に、あの頃の気持ちを思い出し、じわりと胸が熱くなる。
『うん、知ってる。誘ってくれてありがとう、行きます』
込み上げる感情を抑えきれず、僕は1人でニヤついてしまった。
迎えた土曜日。
僕は時間よりも早く家を出て、30 Rockefeller Plazaの中にある『Lady M』のケーキを買いに向かった。
先日、僕の両親が来た時にも買って帰ったら、喜んでいた。これなら今日のパーティーの手土産にちょうどいい。
昔、玲奈が好きだと言っていた“ミルクレープ”をホールで購入した。
高鳴る胸の鼓動をなんとか落ち着かせながら、瑞希の家へと向かう。
「雅也さん、ようこそ。お久しぶりです!」
瑞希が笑顔で出迎えてくれた。僕は彼女にワインとケーキを渡した。
「ありがとうございます!ここのケーキ、美味しいですよね!」
もうすでに数名が楽しそうに談笑している。
何気ないそぶりで中をぐるりと見渡すと、奥のキッチンで、何やら忙しそうにしている玲奈が見えた。
― ついに会えた…。
嬉しさでいっぱいになった僕は、緊張しながらも彼女に声をかけた。
「久しぶりです、玲奈さん」
彼女は僕を見て、一瞬だが強張った表情を見せた。
「…あ、お久しぶりです…」
小さく言うと、目を逸らされてしまった。
わずかに気まずい空気が流れる。
そこに瑞希がやってきて、玲奈に僕が持ってきたケーキのカットを渡した。
「このミルクレープ、雅也さんが持ってきてくれたのよ。よかったら、どうぞ」
瑞希はそのまま他の来客の対応に行ってしまった。
2人になった僕たちは、ゆっくりとぎこちなく会話を始めた。
「ここのケーキ、前に玲奈さんも好きだって言ってたから」
僕の言葉に、玲奈がようやく笑顔を見せた。
「ありがとうございます。覚えてくれてたんですね、ケーキのこと」
2年前と変わらない雰囲気に、僕は嬉しくなった。
「はい、今日玲奈さんが来るって聞いたので。この間も、家族に買って帰ったら、繊細な味で美味しいって喜んでくれて」
「そうだったんですね。美味しいですよね!」
「玲奈さん、こちらに戻ってきたんですね、元気にしてました?」
「はい。1ヶ月ほど前に…」
玲奈の柔らかい表情に、ドキッとする。
「Butterflies in my stomach(お腹で蝶が舞う)」っていう表現があるが、まさに今の僕だ。
胸がドキドキして落ち着かない。
新しい連絡先を聞くチャンスだと思った時、玲奈が急に言った。
「ちょっと失礼しますね」
そう言い残し、彼女は他の人のところへ行ってしまった。
あっさりとした再会に、僕の中の蝶は飛び去っていき、やっと冷静になった。
自分にとって彼女との時間は、今も風化していないかけがえのない思い出。
けれど彼女にとって僕は、ただこちらで数回食事をしただけの友人の1人。
2年も経てば、彼氏がいるかもしれないし、結婚しているかもしれない。
色んな可能性を考えなかったわけではないが、彼女に会えた喜びで忘れてしまっていたのだ。
それから2時間ほどして、彼女が帰ると言った。
僕は一瞬迷う。ここでもう一度声をかけたら迷惑だろうか?
でも、2年前玲奈が帰国した日のことを思い出す。何も伝えられず後悔したあの日を。
― このまま、終わりたくない…。
僕はみんなに今日のお礼を言うと、慌てて玲奈の後を追った。
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