いつの間にかアラフォーになっていた私。

自分の人生に後悔しているわけじゃないけど、たまに違和感を覚える。

結婚・出産・キャリア…違う分岐を選択した他人を見ると、特にそうだ。

幸せを手に入れるために、私が捨てたのは何だっただろう。

私のこれからって、どうなっていくんだろう。

これは葛藤しながらも、自らの幸せのために奔走し続けるアラフォー女子たちの物語。




「現実より夢を追っていた女」【前編】


名前:叶野 聖良
年齢:39歳
職業:会社経営
趣味:乗馬

40歳も、もう目前。

自分で会社を経営し、無我夢中で仕事に没頭してきた30代も気がつくとあと数ヶ月で終わる。

世間では40歳を超えても超えなくても、「アラフォー」と十把一絡げにされるけど、40歳手前とそれ以降は、天と地くらい違う。

38歳、39歳、40歳、41歳…。1年の意味は、アラサーの1年より重くて憂鬱だ。ひとつ歳を経るごとに衰えていく体力と知力、そして見た目に、どうにかあらがいたい。

「スパイシーバナナブレッドとカンパーニュ。あとサラダも追加で」

東京乗馬倶楽部で馬に乗ったあと、参宮橋の方に下り、『タルイベーカリー』でパンを買うのが私の週末の楽しみになっている。

食べたいものを好きに食べていい時代が終わった私にとって、この日は特別だ。

今は、野菜だったらオーガニック、パンは天然酵母、ワインはナチュールと、なるべく質の良いものを吟味するようにしている。

痩せたければ3食バランス良く、特に朝食を抜くな…なんてよく言われるけど、万人に当てはまることではない。35歳を超えたあたりから、3食食べるとぜい肉が無駄に蓄積していくだけだ、と私は気づいた。

― さ、帰ろうっと。午後はエステだし。

乗馬道具を入れた大きなバッグを肩にかけ、タクシーを拾うために通りに出た。

私の自宅は富ヶ谷にある。昨年、思い切って購入した2LDK、60平米ほどの中古マンションだけど、収納が多くて気に入っている。

購入には多少の勇気が必要だったけど、富ヶ谷であれば、何らかの理由で手放すことになっても、すぐ売れるはずだ。8,000万は安い買い物じゃないけれど、損することはないと見込んでいる。

親友と会社を立ち上げて今年で7年。仕事は思っていた以上に順調だ。

一応、付き合っている彼はいるけれど、若いころと同じように、なんとなく付き合って2年が過ぎてしまった。

そんな私がこの先も「おひとりさま」で生き続けていくために、マンションと仕事は大切だ。


仕事のパートナーからの衝撃の告白。39歳女が絶句したその中身は…?


週末明けの月曜日。表参道のオフィスには、毎朝10時に出社する。

「おはよう」

私は親友の園子と、PR会社を経営しているのだ。メンバーは計5人。私と園子のほかは契約社員で雇っている20代の女子が3人の、小さな会社である。

「おはよう聖良。今日の展示会のサポートは私が行くから、溜まっていた企画書仕上げちゃっていいよ。来週、提案だからね」

私の少し前に出勤した園子は、マックスマーラのテディベアコートをハンガーにかけながら、私のほうを振り返った。

「助かる!よろしくね」

園子はスケジューリングや資金繰りなどを段取るのが絶妙にうまい。

一方、私は交渉能力に長けている。お互いのないところを補い、これまでうまくやってきた。

園子は大学の時からの友達。8年前に転職した会社で、偶然再会したのだ。




再会を喜び、会社帰りに飲みながら話をしていると、園子も現状の給与に満足していないことを知った。

「2人で会社立ち上げたら、ひょっとして結構稼げるんじゃない?」

私が発した、この一言から始まったのが、今の会社だ。

立ち上げ当時と会社の規模は変わらずとも、クライアントをきめ細かくサポートし、毎年業績を伸ばしている。クライアントの多くはアパレルメーカーで、表参道にオフィスを構えたのが3年前。クライアントとの距離を縮め、1社からより多くの利益を得られるようにしようという園子の考えからだった。

「あのね、聖良。展示会は18時30分アップだから、今日仕事上がったら、ちょっといい?」

向かい合わせに座っている園子が、画面越しに私を覗く。

「あー、今夜は約束が…と思ったけど、大丈夫。リスケするから」

園子とはたまに、会社帰りに食事をしながら未来の展望について話し合う。実は、2週間ぶりに彼と会う約束をしていたが、私は躊躇なくリスケすることにした。

『ごめん、今夜会食が入っちゃった。別の日に変えてもらってもいい?』

恋人にしてはやりとりが少ないLINEのトーク画面に、メッセージを入力する。

送信と同時に既読になり、『わかった、おつかれ』と短い返信があった。

― 慎之介、ごめん!

3つ年下の慎之介とは付き合って2年になるけれど、特別に燃え上がった記憶もなく、なんとなくゆるゆると今日まで続いているような関係だ。

彼はウェブマガジンの編集者で、撮影や取材以外の仕事はほぼリモート。仕事自体は忙しく、休日返上で働いていることは知っているが、自宅作業なのでたいがい私の都合に合わせてくれる。

彼のことを、好きだとは思う。

LINEのやりとりは毎日というわけじゃないがちょくちょく送るし、月に2、3回会って食事をし、どちらかの家に泊まる。

会えば安心できるし、居心地は悪くない。

だけど「このままでいいのかな」とも思っている自分がいるのも事実。2人の間で結婚の話は出たことがないし、私もさほど結婚に興味がない。ただ、この先、どうやって歳をとっていくのか、時々考えるようになった。

私の人生に園子は絶対に必要だけど、慎之介は…。

親友と恋人を天秤にかけるなんて、よくないことだとわかっているけれど、どうしてもそう考えてしまう私がいた。



仕事が終わり、19時に代々木八幡の『ヨヨナム』で園子と落ち合う。園子は10分ほど遅れてやってきた。

「ごめん!私から誘ったのに遅れちゃった。タクシー捕まらなくて、電車で来たの」

園子みたいに柔らかく笑う女を私は知らない。大変なことも顔には決して出さず、困難にぶち当たっても最後まできっちりやりきる強さもある。

園子と組んで良かったと、私は常日頃から思っている。

― きっと、園子もそう思っているはず…。

グラスに注がれたシンハービールの泡を1口、2口と美味しそうにすすると、園子は言った。

「聖良、あのね。今日は大事な話があるの」

こんな前置きをするなんて、園子にしては珍しい。そう思った矢先、信じられないことを彼女は打ち明けたのだ。

「私、会社辞めようと思ってる」


仕事のパートナーからの突然の別離宣言。本来なら言うべき言葉が出ず…


「え?今、なんて…?」

園子の口から出たのほ、私が1度も考えたことすらなかった言葉だった。

「突然で、本当にごめん…。でも聖良ならこの先、私がいなくても1人でやっていけるよ」

園子は申し訳なさそうに両手を合わせた。

「辞めてどうするのよ?なんでいきなりそんなこと…」

動揺がおさまらず、言葉が続かない。

「ごめん、聖良。なんの相談もなく、いきなりでびっくりしたよね…」

園子は何度も謝るけど、瞳の奥はキラキラと瞬いていて、私に悪いなんて思っていないことは明らかだった。

― うまくやっていると思ってたのに、一体何が理由で…?

予想外の出来事に混乱している私に向かって、園子は幸せそうに笑いながらこう言った。

「私、結婚することにしたの」

無垢な輝きを放つ彼女の表情を目の当たりにし、私は思わず言葉を失った。

「だからって、いきなり辞めなくたっていいじゃない。今どき、寿退社なんて聞いたことないわ」

私の言葉を聞いたあと、グラスに残っていたビールを飲み干して園子は言った。




「聖良、前から思ってたの。あなたのそういうところ、直したほうがいいわ」

さっきまでの花のような笑みは消え、目の前の園子は真顔だった。

「そういうところって、どういうところよ?」

心当たりのない言われように、私は思わずムッとした。

「聖良は私が誰と結婚するのか、なぜ辞めるのか聞かないのね?聖良は、いつも自分にしか興味がないのよ」

私は言い返す言葉が見つからない。

「ごめん、そうよね。まずおめでとう、って伝えるべきだったわ…」

園子の顔をまともに見ることができず、私はテーブルの上でカピカピに乾いた生春巻きを見続けるしかなかった。

「私、結婚したいの。お付き合いしている彼とは、人生最後の恋愛だと思って、一緒にいる時間を大切にしてきたの」

そういえば今年の4月。一足早く40歳になった園子は、事あるごとに「折り返し地点」「人生で最後」を強調していた気がする。

私は、年齢なんてただの記号だと思っていた。それがひとつ、ふたつと増えていっても、自分の意識がそこに捉われなければ、まったく気にすることはないと。

でも、園子を見ていると、それがカチッっと40に切り替わった時から、これまでとはまったく違う意味を持ち始めたようなのだ。

「ごめん。でも、今すぐ辞めていいよなんて言えないよ…。ずっと2人でやってきたんだもの」

当然、園子に辞める権利があるのはわかっている。

でも、今の私は彼女がいてくれたからこそあるのも事実。いきなり1人になるなんて、とても耐えられなかった。

「…あなたがいなくなったら、会社は続けられない」

園子がいなくなったら私の人生計画は…。いや、まだ説得できる。私は結婚しないでと言ってるわけじゃない。

何を言っても無理だとどこかでわかっていた。

無理だとわかっていながらも、私は思いつく限りの説得を続けるしかなかった。

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