目まぐるしい東京ライフ。

さまざまな経験を積み重ねるうちに、男も女も、頭で考えすぎるクセがついてしまう。

そしていつのまにか、恋する姿勢までもが”こじれて”しまうのだ。

相手の気持ち。自分の気持ち。すべてを難しく考えてしまう、”こじれたふたり”が恋に落ちたとしたら…?

これは、面倒くさいけれどどこか憎めない、こじらせ男女の物語である。



志保、32歳、バツイチ。出会いなんて求めてなかったのに


炎天下の中、賑わう戸越銀座商店街を歩くこと5分。少し脇道に入ったところに、美玲と雅人さんの新居があった。

シンプルとも質素ともとれるエントランスだが、オートロックや宅配ボックスなど、それなりの設備が整っている。

大手メガバンクで総合職として働く2人ならもう少しいいところで住んでもよさそうだけれど、下手に贅沢しないところに2人のパーソナリティを垣間見た気がした。

エントランスのインターホンで403を押し、応答を待つ。たった5分しか歩いていないというのに、背中には汗が伝い、マスクの中は不快な湿気でむんむんと蒸れていた。

「志保!いらっしゃ〜い、待ってたよ!」

スピーカーから美玲の明るい声が響き、オートロックが解除される。

だが、私が気になったのは美玲の楽しげな声そのものではなく、その背後から聞こえる男性2人の笑い声だった。

― え〜、誰か他にもいるのー…?

<美玲:志保、雅人さんも紹介したいし、今度新居に遊びにきてよ>

大学時代からの親友である美玲からのそんな誘い文句で、今日はここまでやってきた。

恋人である雅人さんと同棲をはじめた2人の新居。何も考えずに挨拶しにきたものの、確かに来客が私1人だけとは言われていない。

― やだなぁ、知らない人だったら。私ってけっこう人見知りなんだよね…。

想定外の事態に少し動揺しつつも、私はエレベーターに乗り込む。

これが、私の心を大きく揺さぶる出会いになるなんて、知らないままに…。


志保が向かった先に待ち受けていた人物とは?


「志保、久しぶり〜」

美玲がドアを開けると、中から冷房の涼しい空気とともに、何やら盛り上がっている声が漏れてきた。

「久しぶり!てか、誰かいるの?」

「あ、そうそう。今日雅人くんのお友達も呼んだの」

「え、そんなの聞いてないよ〜」

美玲の天真爛漫な笑顔を向けられると、どうしても強く責められない。

「でも、その雅人くんのお友達、めっちゃイケメンだし、エリートだよ!」

「離婚してまだ半年しかたってないんだから、まだそういうのはいいってば〜」

私の声が聞こえていないのだろうか、美玲はぐっと声を潜めると、「しかも彼女募集中だって」と、聞いてもいない情報をこっそり教えてくれた。

「お、美玲。お友達きたのか?」

私たちが玄関でコソコソと立ち話をしているのに気がついたのだろう。奥から野太い男性の声が響き渡る。

「うん!志保、あがってあがって」

私は急かされるようにして、リビングへと案内された。

「お邪魔します〜、美玲の大学時代からの友人の志保です。…あ、これよかったらどうぞ。ナチュールワインです。ちょっとぬるくなっちゃってるかもですけど…」

「美玲、こんな綺麗な友達がいたなんて聞いてないぞ」

アハハと大口を開けて笑う男性が、美玲の恋人の雅人さんだろう。美玲と似て、生まれつき底抜けに明るい性格をしているように見えた。そこにいるだけでパッと場の雰囲気が明るくなる。

「あ、僕は雅人。で、こっちがショーン。こいつは俺の大学時代からの友達」

雅人さんからの紹介をうけたショーンは、遠慮がちにペコリと頭を下げた。

― …うわっ、すっごいイケメン…。

彫りが深く鼻筋の高い顔は、まるで彫刻のよう。Tシャツとハーフパンツというラフな格好なのに、ファッション雑誌から飛び出てきたみたいだった。

「あ、ショーンはアメリカと日本のハーフね。よく聞かれるから、先に俺から紹介しておくわ」

相変らずアハハと明るくふるまう雅人さんに対し、ショーンは控え目に笑うだけ。

― …あれ、もしかしてショーンさん、私のことあんまり快く思っていない…?

お世辞にも社交的とはいえないその態度に、居心地の悪さを感じる。しかし、美玲と雅人さんはそんなことにはお構いなしに、私をショーンの隣に座らせたのだった。

「みんな揃ったことだし、乾杯〜」




雅人さんの音頭で始まったその会は、簡単な自己紹介にはじまり、美玲と雅人さんの出会いや世間話など、一通りの盛り上がりを見せた。

そして、雅人さんはニヤニヤしながら切り出した。思っていることがすべて顔に出るタイプなのだろう。

「で、ショーンはどうなんだ?最近、恋愛の方は」


雅人が切り出した話題に、ショーンは意外な反応を見せる…


「どうもこうも、何もないよ」

自分に話題を振るなと言わんばかりに、ショーンは片手で何かを払うような仕草を大袈裟にしてみせる。

そしてシャンパンを飲み干し、無言で目の前に残っていたオリーブをつつき始めた。

「お前、本当に何もないのか〜?そのルックスとスペックだったら、芸能人とかとも繋がれそうなのにな」

「…俺の話はいいから」

ショーンは本当に迷惑そうにその話題を終わらせようとしたけれど、雅人さんの言う通りだと思った。31歳。モデル級のルックスに、早稲田大学卒・外コン勤務という肩書。まさに鬼に金棒だ。

きっと女性関係も色々あるけれど、自慢話になってしまわないよう自制したのだろう。だって、こういう派手な顔立ちの人は、絶対遊んでいるに決まっている。絶対そうだ、間違いない。

それから、しばらく当たり障りのない話をして、会はお開きとなった。



短かった結婚生活が終わって、まだ1年。

離婚して間もない今の私は、しばらく恋愛する気にはなれそうにない。

もしかしたら美玲と雅人さんは、そんな私を哀れんで今日、ショーンとの出会いの場を提供してくれたのかもしれなかった。でも、なによりショーン自身が私にまったく興味を示さなかったから、淡い期待を抱くことすらなくて正直助かる。

でも、でも…。いくら気持ちが動かない私でさえ、これだけは分かる。彼の隣に座っていたから、彼の顔をまじまじと見ることはできなかったけれど、濃い顔が好みの私にとってはまさにドストライクのルックス。

ショーンは、本当に久々に見るイケメンだった。

しかし、予想外なことは起きるものだ。

― はぁ、めっちゃ目の保養になった…。しばらくはショーンって人の残像でときめき補充しよう。

それくらいの全くリアリティのない感想しか、ショーンには抱かなかったのに…。

翌日の朝に美玲から届いたLINEには、予想外の言葉が書かれていたのだ。

<美玲:志保の連絡先、ショーンくんに教えていいよね?>

頭の中に、いくつものクエスチョンマークが飛び交う。

<志保:いいけど、なんで?>

そう返すと、速攻で美玲から返信があった。

<美玲:なんでって…ショーンくんが知りたいって言うから!>

なぜだろう?何か私に聞きたいことでもあるのだろうか?あんな引く手数多のイケメンが、バツイチで一つ年上の私なんかに興味を持つとは思えない。

<志保:いいけど>

なぜショーンが私とコンタクト取りたがっているのか、理由は全くわからなかったが、拒否する理由も思い浮かばなかった。

ふと、ショーンを思い出してみる。

真っ白なきれいな歯を見せて笑う顔が最高にハンサムだった。けれど、その隣に立つ女性は、きっと私みたいな女じゃないはず。

帰国子女か海外経験のある、自信に満ち溢れるような女性だろうか。前髪をばさっとかき上げ、ゴールドの大振りのピアスなんかをしてそうだ。




― うわ、私とは全然違いすぎる…!

ショーンに似合う女性を妄想して勝手にショックを受けていると、新しいメッセージの着信があった。

<Shaun.t:志保さん、昨日はありがとうございました!>

速攻で送られてきたイケメンからのLINEにたじろぎながらも、私はどうにか当たり障りのない挨拶を返す。

<志保:こちらこそ、ありがとうございました〜>

その後しばらく何ターンかラリーをしたが、なぜ私とこんなやりとりをしているのか、一向に彼の目的がわからない。

私だって恋愛経験がないわけじゃない。バツイチだけど、相手が好意を示しているか否かくらい判断がつく。ショーンはあのとき間違いなく、私に興味を示していなかった。

― だから、きっと何か別の目的があるはず…。

そんなふうにあれこれ考えながらやりとりを続けていると、ショーンは思わぬ提案をしてきたのだ。

「…え、…どういうこと?」

その内容に、私はフリーズした。

理解するために私は何度も何度も、LINEのメッセージを読み返す必要があった。

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