【日本サッカー見聞録】日本は強くなったのかどうか。結果は出した五輪最終予選初戦

写真拡大

▽日本は勝負強くなったと言えるのかどうか。何とも微妙と言うか、複雑な気持ちにさせられるU-23日本対U-23北朝鮮のリオ五輪最終予選初戦だった。

▽1月13日、カタールのドーハで行われたグループリーグBの初戦。日本は開始5分に山中の右CKから植田がフリーとなって先制点を決めた。しかし、その後は北朝鮮の運動量に裏打ちされたタテへの推進力がある攻撃に圧倒され防戦一方。相手の圧力にミスも加わり、これまでなら昨年に東アジアカップ同様、いつ逆転されてもおかしくない展開だった。

▽特に後半の20分過ぎから北朝鮮の攻撃に迫力が増したのに対し、日本には状況を打開しようとリーダーシップを発揮する選手がいなかったことで、内心いつ同点ゴールを奪われるのか冷や冷やものだった。北朝鮮の素早い集散から繰り出す攻撃に、関根がいればドリブル突破で時間を稼ぎ、FKを獲得して一息つけるのではないかと思わずにいられなかった。

▽それでも日本は“虎の子”の1点を死守した。“これまで”と違い、DF陣が相手の猛攻に耐え、波状攻撃を許しながらも最後までゴールを死守した。ボールポゼッションで上回り、チャンスを作りながら決め切れず、カウンターやセットプレーから失点して世界への道を断たれてきた過去のアンダー世代とはまるで正反対の試合展開であり結果である。

▽結果の問われる試合で日本は結果を出した。選手の奮闘は称賛したい。しかし、これを日本の“進化”と呼んでいいのかどうか。それが複雑な気持ちにさせる原因でもある。攻撃陣で期待された南野と久保の“海外組は”、フル代表における本田や岡崎ほど“海外組”の存在感を発揮したと思えない。ただ、本田も岡崎も北京五輪では現在のような活躍はできなかった。日本人選手は、この年代ではまだまだ経験不足ということなのだろうか……。

▽内容的には収穫が少ないものの、「勝ったことがすべて」(手倉森監督)のリオ五輪最終予選の初戦。チームのピークはまだ先に設定しているのかもしれないし、五輪予選そのものも、アトランタ(西野監督)から始まり、シドニー(トルシエ監督)を除けば、ギリシャ(山本監督)、北京(反町監督)、ロンドン(関塚監督)と最終予選はいずれも綱渡りの出場権獲得だった。

▽過大な期待を抱いてはいけないのが五輪予選かもしれないが、第2試合でサウジアラビアとタイが引き分けたのは日本にとって追い風のはず。まずは早々にグループリーグ突破を決め、余力を残して決勝トーナメントに備えて欲しい。ドーハのホテルは準決勝が始まる24日から予約しているので、それが無駄にならないことを今は祈っている。

【六川亨】1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。