埼玉県の奥地、群馬県と茨城県との県境にも近い場所に関東2部リーグを戦う大学がひっそりと構えている。昨季初めて関東の舞台に昇格し、夏の総理大臣杯の出場圏も獲得した平成国際大学だ。昨シーズン残留争いを制し、今季も2部での戦うことが決まったこの新鋭チームを率いる若き指揮官、西川誠太監督に昨季の振り返りや郊外に構える大学のあり方などを語ってもらった。


ー昨シーズンを振り返っていかがでしたか?

昇格一年目ということで、最初は6連敗もしました。でもそこから盛り返していったという形でしたね。基本的に、ずっと県リーグにいたときからチームとして大事にしていることとか、"こういうサッカーをしようよ"というのを連敗したときにも曲げずに、シーズン1年間通して貫き通せたことができました。当初の目標とはかけ離れていますけど、結果的に残留できたというのは選手にとってもすごく自信になる部分もあったかと思います。ただ僕としては正直、もっと高いところを志していた、というのも結果うんぬんではなくて、自分達の大事にしていること、やろうとしていることを出せる試合をもっと増やせるはずだという感じだったんですけどね。昇格1年目ということで選手たちが構えてしまった部分は必ずしもあると思いますし、不満の残るシーズンとも言えますね。


ーとは言え、総理大臣杯に出場できたことは称賛されるべきかと思います。

記念大会ということで出場枠がいつもより多く、その恩恵を頂いたという形にはなると思うんですけどね。でもそうは行っても関東のコンペティションはそんなに甘くない。その中でベスト8に入ったといことは、記念大会という運もあると思うんですけど、その運だけで勝ち上がれるほど関東は甘くないので。僕らのチームにも何らかの勝ち上がれる原因があったのじゃないかな、と僕はポジティブに考えています。ずっと、負け続けても自分達のスタイルやフィロソフィーを大事にしてきたことがその要因なんじゃないかなと思いますね。


ー実際に大阪に行って全国大会を経験して得たものはどういったことでしょう。

何ですかね・・・・。あまり思い浮かばないですけど、やっぱり、あの場に行けたこと自体が大きいと思いますよ。選手にとっては。あの場に行って空気を吸って空間を感じたことはすごい大きいことだと思いますし。でも一番変化を感じたのは関東の予選のときかなと思っています。時之栖で敗退したチームが帰っていく中で自分達が残っている状況ですよ。毎朝、食堂でたくさんのチームが一緒に朝食を取るんですけど、日を追うごとにチームが少なくなっていく。それで自分達が最終日までいれたことに変化を感じました。全国大会も、本当は勝ちたかったんですけどね・・・。でもやるべきことはできたと思います。


ー初めての2部で、特に去年は残留争いが激しかった印象です。

僕の拙い記憶ですが、おそらく都県に落ちるチームが勝ち点20以上を取ったのって初めてなんじゃないかと思うんですよね。それくらい競争力が激しいというか、チーム間に差がないということだったと。僕らも27点取ったんですけど。本来ならこれは残留争いをするような勝ち点ではないんですけど、2部全体のレベルが上がったという印象ですかね。


ー関東2部のサッカーの質だったり、レベルというものに感じた点は?

県とは全然違います。でもこれは数の問題ですよね。県リーグで8チームあるうちに競争できるのは全チームではない。2部だと12チームいて、12チームとも高いレベルで競ることが出来る。単純にその数の差は1つあると思います。ただ、サッカーに関してはどこも変わらないんじゃないんですかね。県でも競争力を持ったチームがやっているサッカーと、2部のチームのサッカーにそこまで差はない感じはありますよね。


ーそういう状況の中で、近年は大卒選手がJの舞台で活躍している印象があります。

ウチがJリーガー出している訳ではないので、なんとも言えない部分はあるんですけど(笑) あえて客観的立場で言うとしたら・・・18から22歳までに経験する公式戦の試合数というのはよく言われることで、それは同意なんですけども。ただJ1・J2含めてみると大卒選手は多いんですが、圧倒的にJ2が多いですし。そこらへんのところは大学サッカー界の育成力が評価されているという面と、もう一つはJクラブ側の置かれている状況、若い選手を取って育てられないというような状況ですとか。そういう色々な要素があってのこの事実だと思うんですよね。なので単純に、『数多く排出しているから大学はいいぞ!』というようには、僕は捉えていないです。実際はJ1はどうなんだ、とか。世界的に見たら22でトップリーグというのはやっぱり遅いですし。そういうのも含めてもっと大学の存在価値というのは、Jリーガーに排出する数だけではなく、中身のところ。選手の人間性とかそういう部分がもっと言われるべきだと思います。


ー西川監督がここの監督になった経緯というは。

大学院を卒業した後、ここに就職したんですよ。ただ最初から大学の指導をしていたわけではなくて。最初の5年くらいはここの系列の中学校のサッカー部の立ち上げを任されて、そっちをやってたんです。実はここの大学の指導者にはS級を持っている方がいたんですけど、別のチームに移られて、急遽、自分が中学校から大学に行ってくれと。院生のときは大学生を普通に教えてたので、ここに就職したときは大学生を教えられると思っていたんですけど(笑)


ー中学生を指導していてから、いざ大学生への指導に切り替わって感じたことというのは?

ウチでいうと、最初に僕が大学を教えてたのは筑波だったんですけど、そことは状況が全く異なりますよね。当初に思っていた大学生のイメージとは違うというか、同じ大学生でも違うというのを感じましたね。各々が属する大学に来た経緯も違うわけですし、そういう意味ではこっちが幅広く構えておかないといけないというのはものすごく勉強になりましたね。ただやっぱり、根本的な指導の面は変わらないんですけどね。もともとウチのサッカー部は同好会みたいなところから始まる練習に毎日来るというのが当たり前ではないところから始まっているので、勉強になりましたよ。


ーそういった状態から2部まで上がったと。

2部まで上がるということに関しては、頑張ればどこにでもチャンスはあると思うんですよね。問題はここから。どうやってそのクラブとしてのブランド力というか、存在価値を高められるかということになってきますよ。関東リーグには色々な手法で強化をしてきたチームがたくさんありますよね。多分それと同じ方法でやろうと思ったら、二番煎じですし。ウチはウチでオリジナルのやり方というか、考え方を持ってことに当たらないと。伝統校に渡り合うことは出来ないと思います。なのでウチの大学の強み、特色はなんだろうな、と考えてそれを大事にしています。


ーその強みとは?

例えば、ここの場所も辺鄙なところにあるでしょ?なので学生を集めるのは難しいですし、普通の人が考えればデメリットなんですけど。ただここにあるからこそのメリットというのもあると思います。埼玉県には一時、尚美さんがいたときは会ったんですけど、関東リーグに属するチームががなかったですし、いわゆる北関東とか東北とか北信越の子達からすれば、ここは東京まで降りてくる際に一番最初にぶつかるところで、割と実家から近いところにあるチームになる。そういうエリアに住んでいる子たち、関東リーグでサッカーをやりたいと思う子達が選択肢に入れられるようなチームになりたいなと。この場所にあるのもデメリットではなくてメリットになるし。そういうことをものすごく考えますよ。西の方の子からすれば色んな大学を越えた先に僕らの大学があるわけですから。そういう子たちを獲得しようとは僕は考えていませんね。それよりも県内・北関東の子たちを集めることですよね。魅力ある大学・クラブであればそういう子たちで十分戦えるチームにしたい。


ー選手達もここに集まってきているのでしょうか。

例えば今いる選手たちは、僕らが県リーグからやっているときに何かを感じてくれてここで勝負したいと思ってくれてる選手なので、そういう選手たちは、僕にとってはものすごく大事ですし、誇りに思っています。これからは関東リーグで戦いたいと思ってここに来る子も現れると思うんですけど、そもそもここで勝負したいと思わせるモノが僕らにないといけない。でないと、色んなことを考えて違う選択肢を選ぶと思うんですよね。


ー最後に、今季に向けての目標を教えて下さい

基本的にやることは変わらないですよ。地に足をつけて、自分達のやっていることというか、ボールを持って意図的にサッカーをしたいというのはあります。今までやってきたことを続けていってクオリティをあげたいということもあります。その先に結果があると思うので。どうしても選手は結果を求めてしまったり、先を求めてしまったりするんですけど、そういう中でも1つ1つ、最初に行った通り地に足をつけて取り組んでいきたいです。

【writer】
Reona Takenaka

【プロフィール】
平成元年生まれのロンドン世代。2011年よりCSParkのサッカーライターとして本格的に活動を始め、今年度は引き続き関東大学リーグの取材をしつつ、『EL GOLAZO』にて湘南ベルマーレの担当記者を務める。twitterでは記事とのギャップが垣間見える。

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