■ ポジション別 ベストプレーヤー

先日のサッカーダイジェストの特集にならって、「日本代表のポジション別 歴代ベストプレーヤー」を考えてみました。対象は、サッカーダイジェストと同様で「1992年のオフトジャパンから2011年のザックジャパンまで」としました。選考のスタンスとしては、

 ・フル代表での実績を最優先に考える。
 ・ただし、困ったときは、五輪代表やユース代表での実績も加味する。
 ・基本的には、クラブチームでの活躍は考慮しない。

としますが、国際大会のチーム成績だけでは判断しません。また、若年層の代表で活躍した選手であっても、フル代表のキャップが「ゼロ」の選手は対象から外します。


6回目は「攻撃的MF」になります。7回目が「セカンド・トップ」で、8回目が「ファースト・トップ」の予定です。ここで、MF中田英、MF森島、FW岡崎、MF香川といった選手を「攻撃的MF」とするか、「セカンド・トップ」とするかは難しいところですが、「ゲームメーカータイプ」や「チャンスメーカータイプ」の選手は攻撃的MF、「得点を奪うことを主の仕事とする選手」をセカンド・トップとします。

どのように分けるかですが、あくまでもお遊びなので、厳密に分ける必要もないので、感覚で分けます。どちらにも当てはまるという人もいますが、この点を突き詰めて考えてもあまり意味はないので、深くは考えません。


 → 攻撃的MFというと、日本代表の顔となる選手がつとめてきたポジションで、「ベスト・プレーヤー候補」となりうるのは、MFラモス瑠偉(ヴェルディ川崎)、MF中田英寿(ベルマーレ平塚)、MF中村俊輔(横浜Fマリノス)、MF本田圭佑(CSKAモスクワ)の4人であるが、このポジションはMF中田英寿をベストプレーヤーに選ぶ以外に選択肢はないだろう。

地元開催となった1993年のU-17世界大会を皮切りに、1995年のU-20世界大会、1996年のU-23(=アトランタ五輪)、1998年のフランスW杯とすべてのカテゴリーで世界大会に出場。今では国際大会に出場することは当たり前のようになっているが、当時は世界大会に出場すること自体が夢だった。

本大会での活躍のみならず、アジア予選突破にも大きく貢献しているが、U-20世界大会は1979年の地元開催を除くと初の予選突破であり、アトランタ五輪は28年ぶりの出場、1998年のW杯は初出場と、重い扉をこじ開けて続けた貢献度は計り知れない。その後も、2000年のシドニー五輪、2002年と2006年のW杯に出場。U-17、U-20、U-23、W杯、コンフェデとFIFAの主要大会すべてでゴールを決めているアジア人は、彼一人である。


次に来るのは、MF中村俊輔(横浜Fマリノス)か。2002年W杯では最終メンバーから落選し、2006年W杯はコンディション不良で不調、2010年W杯も大会直前になってレギュラー落ちするなど、W杯とは縁がなかったが、2000年と2004年のアジアカップ連覇に大きく貢献。2000年のレバノン大会は左サイドでプレーしたが、2004年は攻撃的MFの位置でタクトをふるって、大会のMVPに選ばれている。

コンフェデ2003とコンフェデ2005でも目覚ましい活躍を見せており、2000年代の日本代表は、いつも彼が話題の中心だった。1997年のワールドユースとシドニー五輪のベスト8入りにも大きく貢献している。


3位はMFラモスか、MF本田圭となるが、ここではMFラモスを選択。もちろん、単純に能力だけを比較すると、MF本田圭が上回るのは間違いないが、こういう話は「時代」も考慮しないと話は広がっていかない。MFラモスは1992年のアジアカップ制覇に貢献し、1993年のドーハの悲劇も経験したが、このとき36歳で満身創痍の状態ながらチームを引っ張っていった。彼が来日して「日本人」にならなかったら、日本サッカーはもっと世界から離されていたことだろう。

したがって、4位はMF本田圭。2011年のアジアカップでは攻撃的MFのポジションでプレーし優勝に貢献。大会のMVPに選ばれた。先の南アフリカW杯では、フォワードとしてプレーし、南アフリカ戦、デンマーク戦でゴールを決めている。ネックになったのは、南アフリカW杯ではフォワードだったということであり、攻撃的MFのポジションでプレーしていたら、もっと上にする必要があった。複数のポジションでプレーしている選手は、ポジション別で評価するとどうしても不利になってしまう。


5位は、悩みどころである。その候補としては、MF北澤豪(ヴェルディ川崎)、MF福田正博(浦和レッズ)、MF前園真聖(横浜フリューゲルス)、MF小野伸二(浦和レッズ)、MF小笠原満男(鹿島アントラーズ)、MF本山雅志(鹿島アントラーズ)が浮かんでくる。

この6人の中から1人を選ぶ作業に移るが、まず、はじめに、MF北澤豪、MF前園真聖、MF小笠原満男の3人に絞った。1999年のワールドユースで準優勝したときにトップ下のポジションでベストイレブンに輝いたMF小野であるが、フル代表では左サイド、ボランチでプレーする機会が多く、攻撃的MFのイメージはほとんどない。MF本山雅志も同様で、1999年のワールドユースでの活躍はセンセーショナルだったが、このときは左ウイングバックで、MF小野と同様に、フル代表では、攻撃的MFで華々しい活躍プレーしたという印象はない。

3人の中で迷った末に、アトランタ五輪代表チームのキャプテンであるMF前園真聖を5位にランクインさせたい。28年ぶりの五輪出場を決めた1996年のアジア最終予選の圧巻のパフォーマンスが印象的であるが、1994年の広島アジア大会、1995年のダイナスティカップでも素晴らしいプレーを見せており、フル代表でも19試合で4ゴールを挙げている。アトランタ五輪の後にコンディション不良もあって代表から去ることになったが、1994年のファルカンジャパンと、初期の加茂ジャパンでは「攻撃の切り札」として活躍した。


したがって、MF前園を5位にしたが、「W杯出場に貢献した」という点を重要視すると、MF北澤も捨てがたい。第1次の岡田ジャパンでは、MF北澤の起用が瀕死の日本を救ったのは周知の事実である。結局、どこをフォーカスするか、どの大会の、どの試合が特に印象に残っているかは人それぞれであり、順位は主観に大きく左右されてしまう。ただ、それは仕方がない。


※ MF森島寛晃(セレッソ大阪)、FW大久保嘉人(ヴィッセル神戸)、MF岡崎慎司(清水エスパルス)、MF香川真司(セレッソ大阪)らは「セカンド・トップ」として考える。




ということで、以下に決定しました。


 1位:中田英寿(ベルマーレ平塚、ペルージャなど):国際Aマッチ 77試合11ゴール

 2位:中村俊輔(横浜Fマリノス、セルティックなど):国際Aマッチ 98試合24ゴール

 3位:ラモス瑠偉(ヴェルディ川崎、京都サンガ):国際Aマッチ 32試合1ゴール

 4位:本田圭佑(名古屋グランパス、CSKAモスクワなど):国際Aマッチ 28試合7ゴール

 5位:前園真聖(横浜フリューゲルス、ヴェルディ川崎など):国際Aマッチ 19試合4ゴール


次回はセカンド・トップ編です。




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