「なにもしないから」という言葉に押され、初デートで年下男を家に泊めてしまった29歳女。翌朝…
◆これまでのあらすじ
ゴルフ練習場で出会った実業家の男・橘と、ゴルフ好きから意気投合しラウンドへ行ったモモ。帰り道の車中で彼の女性遍歴を聞き、次々と色々な女性の名前が出てくることに辟易しながらも、ここ最近の自分の振る舞いも同じだと自らを省みる。彷徨えるモモが、新たに出会った男性とは…。
▶前回:ゴルフデートにテスラで迎えにきた36歳起業家。エスコートは完璧なのに、女が幻滅したプレー中のマナー
パーソナルジム経営者の男:薫(23)
「おはよう、モモさん」
ぼんやりとした頭の中で、だんだんとレンズの照準を合わせるかのように、こちらに向かって微笑む男が何者なのかを思い出す。
年下男子の薫だ。
「おはよう。起きてたの」
「うん。今日、大事な約束があって。シャワー借りてもいい?」
「もちろん。タオルそこにあるから、使って」
「ありがとう」
薫は、私を柔らかなタオル越しにぎゅっと抱きしめてから、鼻歌を歌いながらバスルームへと向かった。
― 薫くん、朝から機嫌いいな。大きなワンちゃんみたい。
私は薫の背中を眺めながら、さまざまな男性を遍歴するこのスタンプラリーのような生活も、もしかしたら薫で終わるのかも…と、淡い期待をする。
私だって、いつまでもフラフラしていたいわけではない。
20代を仕事に全力投球してきて、朝から晩まで働き、管理職に昇進したのが今年。
仕事面で一つの目標を叶えた今、やっとプライベートについて考える気になったのだ。
ところが、いざ男性と関わってみると、あまりにも不器用で中途半端な立ち振る舞いをしている自分に気がついた。
「落とされない」と決めて、冷静に色々な人と向き合ってみるのが目的だったけれど…。
このままでは20代最後の年に異性を振り回した、という、どうしようもない思い出が残るだけだ。
健太郎からの「結婚せずに子どもだけ欲しい」という変わったオファーについても、決着をつけなくてはならない。
― けど…。
― 男性と関係を構築するのは、正直まだ怖い。
傷つくことを恐れて中途半端なままでいれば、それが付け入る隙として男性の目に映るということもようやくわかってきた。
― 今までが“拡散”だったなら、これからは“収束”のフェーズだ。
そろそろ心を開いて、次のステップに一歩踏み出したい。
◆
薫と出会ったのは、そんな迷いの真っ最中だった先月の休日のことだ。
コンサルティングの仕事をしていると、平日の日中は社内外の会議でみっちりとスケジュールが埋まるため、企画や戦略を考えるといった頭を使う仕事は、おのずと週末に回ってしまう。
― ダメだ、頭働かない。ちょっと歩こう。
週明けのプレゼンの準備に着手したもののすぐに煮詰まってしまった私は、歩きながらアイデアを出そうと、自宅のある中目黒から広尾方面へと散歩することにした。
有栖川公園の手前にあるカフェに入ってアイデアをまとめあげ、時計を見ると16時半。
― とりあえずひと段落!…今から買い物してご飯作るの面倒だな。せっかくだから、『レストラン コニシ』でハンバーグでも食べて帰ろう。
レストランの開店時間までの半端な時間を持て余した私は、広尾商店街にあるペットショップに入った。
店員さんに勧められるまま子犬を抱っこしていると、入り口から入ってきた男性に話しかけられる。
「うわぁ…可愛いですね。今にも寝ちゃいそう」
「本当に。癒やされますね…」
「お姉さん、犬飼うんですか?」
「いえ、飼いたいんですが、仕事が忙しくて…今は少し我慢かな」
2、3言だけ言葉を交わし、店員さんにお礼を告げて店を出ると、店の外へ追ってきた彼が声をかけてきた。
「すみません、単刀直入に言います。すごく綺麗で、自然体で…僕の好みのタイプです。よかったら仲良くなりたいです。少しだけ、お話しさせてください!」
― え、ナンパ…?
何か反応をする間もなく畳み掛けられた私は、思わず後退りしてしまう。
それに今日はあくまでも、ご近所散歩のつもりで出てきたのだ。ラフな格好すぎて、男性の前に長くいられる状態じゃない。
要するに、新たな出会いを受け入れられるような“戦闘モード”ではなかった。
「ごめんなさい、予定があるので」
「ですよね、わかっています。今から一緒に、とは言いません。でも…チャンスを逃したくないので、連絡先だけでも教えてください!」
面白さ半分、怖さ半分の気持ちになった私は、とにかくその場を切り上げたくなり、LINEだけ交換してしまったのだった。
連絡先を交換した後、薫は毎日連絡をしてきた。
内容は、何をしたか、誰と遊んだか、といった子どもみたいな近況報告。それに加えて「今日、どこかで少しでも会えませんか」と、小さなジャブを打ってくる。
仕事で忙しかった私は、連絡がくればくるほど返事をしづらくなり、薫とのやりとりを放置気味にしていた。
そんな気まずさもあり、今さら彼に会うつもりなどなかった。
しかし数日後、出社をしようと中目黒駅に向かう道中で──自転車に乗った薫に、バッタリ遭遇してしまったのだ。
「モモさん、モモさん」
「あ、薫…くん?偶然だね」
「元気そうでよかった!あの…、やっぱりどうしてもモモさんと一緒に食事に行きたいです。必ず楽しい気持ちにさせるって約束します」
メッセージを放置しているという負い目のあった私は、薫の直談判についに根負けする形になった。
「わかった」と返事をしたすぐその場で、私たちは翌週の夜に会う約束を交わした。
◆
約束の夜。
日比谷線を降りて恵比寿駅西口のロータリーに出ると、待ち受けていたかのように薫が駆け寄ってきた。
遠くからでもすぐにわかる、太陽のような笑顔だ。
― なんだか、夜の似合わない男の子だな。
薫の発する明るいオーラは、駅構内の蛍光灯にも夜のネオンにも馴染んでいない。健康で柔らかく純朴な彼の雰囲気は、恵比寿の街において異質に感じた。
「モモさん、おつかれさま。僕の好きな店を予約したので、行きましょう」
― え、ここ?
店構えを見て、私は躊躇してしまった。
薫が連れてきてくれたのは、食べ放題のしゃぶしゃぶ店。
― こういうお店、もう何年も来ていないな。
最後に来たのは、家族とだっただろうか、それとも大学時代に友人と来たのだろうか。
― 薫くん、どういうつもりでこのお店を選んだんだろう。
この店が悪いわけじゃない。しかし、あんなに熱望されて約束したディナーの場所が食べ放題店であったことに、少しがっかりしてしまう。
「ここ、結構美味しいんですよ。だから、モモさんとも一緒に来たいなと思って」
薫の屈託のない笑顔を前にして私は、自分が意地の悪い女になってしまっていたことをにわかに反省する。
気を取り直して入店すると、薫と一緒にお出汁の種類を選んで、好き好きに肉や野菜をオーダーして、学生みたいに元気よく、グラスを合わせて乾杯した。
◆
― ご飯って、こういうのでいいのかも…。
薫と話しているうちに私は、いつのまにかそんなふうに考えを改めはじめていた。
野菜だって好きなだけたっぷり食べられるし、お肉もそこそこに美味しい。さらには、個室の上にリーズナブルだ。「食べ放題」の響きに斜に構えていたが、いざ食事が始まってみると、意外にも特に不満はなかった。
聞けば、薫は23歳。地元の大学を出て上京してきたばかりの若者で、私より6歳も若かった。
「家族には地元にいてほしいって言われたけど、自分の力で何かを起こしたくて」
「何かって?起業とかそういう?」
「そう。今年パーソナルジムを立ち上げたから、まずは軌道に乗せる予定。健康な肉体と行動力には自信があるよ。成功するために、俺はなんでもやるつもり」
― 若い!そして熱い…!
私は心の中で薫の向こう見ずな情熱にツッコミを入れながら、東京に生まれ育ち悠々とサラリーマンをしているアラサーの自分と、地方から出てきた未来に夢見る若者とのマインドのギャップに驚いていた。
薫の大都会一念発起計画を微笑ましく聞きながら食事を楽しんだ後、私たちは店を出た。外は晩秋の空気で、ひんやりとしている。
「モモさん、手繋いでもいい?」
「え、あ、うん」
あらためて確認されるのもなんだか新鮮で、少しドキドキする。
その後「純粋に一緒にいたい、何もしない」という薫の押しに負けて、私は薫を家に招いてしまったのだった。
◆
実際に、薫は私に何もしてこなかった。
アイスを食べながら映画を見て、顔を洗って歯磨きをして一緒に寝た。
それがなんだか私には、とても平和なことのように思えた。
「モモさん、シャワーありがと」
シャワーから出てきた薫を見て、私はその肉体美に惚れ惚れしてしまう。
ハイスペでもない。エリートでもない。
ただただ真っすぐで、ペットのように懐いてくる男。
年齢差もあるし、生きている世界も違う。
そうなると逆に、違和感が新鮮に感じるし、期待しない分、多くのことは許せる気がしてくる。
― 初めてのことばかりで、私、判断力が鈍っているのかな。でも、こういう愛の形もありかも。
私があれこれ考えているうちに、薫はテキパキと身支度を整えていく。
「じゃあモモさん、行ってきます。また夜連絡するね」
◆
午前中の会議を自宅で終えた私は、情報収集のために雑誌を眺めながら軽く食事を取ろうと、『Anjin』に向かった。
店員さんの案内で席に向かう途中、広いフロアの向こうに大柄で姿勢の良い男が手を挙げているのが見えた。さきほど別れたばかりの、薫だった。
― 薫だ。よく会うなぁ。
しかし、薫が手を挙げているのは、よく見れば私に向かってではなかった。
ほんの少し方向のずれている彼の視線の先には、待ち合わせ相手がいる。
その相手こそ、薫の“尊敬している人”なのだろう。
好奇心に駆られた私は、その待ち合わせ相手をチラリと横目で確認する。
そして、驚きのあまり思わず硬直してしまうのだった。
― えっ…薫の大事な約束って、あの人と!?
▶前回:ゴルフデートにテスラで迎えにきた36歳起業家。エスコートは完璧なのに、女が幻滅したプレー中のマナー
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朝から気合を入れて出かけた薫の、待ち合わせ相手とは?