◆これまでのあらすじ

シングルマザーの沙耶香(34)は再婚活をしていたところ、高校時代の同級生・陽平と再会し、告白されるが…。

▶前回:「子どもを預けてデートなんて、ネグレクト!?」シングルマザーの再婚活を阻むものとは




葛藤


「俺は沙耶香が好きだよ」

まさか陽平から告白されるとは、しかもこのタイミングで言われるとは想定しておらず、沙耶香は思考が止まる。

「本当は、沙耶香と美桜の気持ちがもっと固まるまで、待とうと思っていたんだ。

けれど、気持ちを伝えないことで沙耶香が離れてしまうくらいなら、自分の気持ちを知っておいてほしかった」

初めに沙耶香の心を占めたのは、ただ嬉しいという感情だった。

けれど、すぐに理性が働く。

自分の感情よりも、優先するべきは子どものこと。元夫とも会える関係にいて、今が一番バランスが取れている。

ここで自分の気持ちを優先することは、後々うまくいかなかったときに美桜を傷つけることになる。

美桜が陽平に懐いているのはわかったが、だからこそ慎重に行くべきなのだ。

「ありがとう…。でもね、私…」

沙耶香は頭の中で言葉を選ぶ。すると陽平が慌てて言った。

「あ、いま答えが聞きたいわけじゃない。ただ、知っておいてほしかったんだ。沙耶香が俺に他の相手ができることを心配しているのなら、そんなつもりはないってこと」

考えていた言葉の出口を塞がれたように、喉の奥でそれらが詰まる。

正直、失敗するのが怖いのだ。

離婚という大きな傷を過去に一度、美桜に経験させてしまったため、これ以上のリスクを冒したくない。

それなのに、陽平の言葉に心が大きく揺さぶられてしまった。

早く断らなければと思うのに、断る文言が舌の上で必死に抵抗して、うまく出てこない。

複雑な表情を浮かべる沙耶香に、陽平は明るく笑った。

「ごめん、そんな深くとらないで。ただもし、沙耶香や美桜が俺との将来を考えられるようになったら、教えてほしい。その時は、絶対2人を傷つけないし、幸せにするから」

「…わかった」

「じゃ、帰るわ。今日はありがとう。戸締りしっかりしろよ」

安心したように、最後はいつもの“友達”の陽平に戻り、帰って行った。




「で?付き合うの?どうするの?」




1ヶ月ぶりに由梨と会った沙耶香は、恵比寿のカフェにいた。

子どもたちが今日から英会話教室に通うことになり、その間を一緒に過ごすことにしたのだ。

本当は由梨の幼馴染みとの進展を聞くつもりだったのだが、いつの間にか沙耶香と陽平の話に切り替わっていた。

「どうするって…どうもしないつもり。次に会ったら、ちゃんと断ろうと思ってる」

「え、何言ってるの?だって沙耶香、その彼のことが好きなんでしょう?美桜も懐いているのに、何の問題があるの?」

由梨は宇宙人を見るような目で沙耶香を覗き込む。

「そうなんだけどね、元夫も2、3ヶ月に1回くらい、美桜との時間を作ろうとしてくれてるし、今が一番バランスが取れてるから…」

沙耶香の返しに、由梨は呆れる。

「バランスが取れてるから、断るの?バランスが取れてるのは、その元夫も美桜ちゃんに定期的に会って、陽平って彼とも定期的に遊べてる今だけでしょう?

元夫なんて、“仕事が忙しくなった”だの“新しい彼女ができた”だので、いつまたバランスが崩れるかわからないよ?」

「それはそうだけど…」

「それに、陽平って人だって、断られたら会いづらくなるんじゃないの?そしたら結局、バランスは崩れちゃうでしょう?いつまでも“みんな一緒”なんて、都合よくいかないのよ」

由梨の言葉は正論だ。けれど、と沙耶香は本音を漏らす。

「一度失敗してるから、また失敗して美桜を傷つけたらどうしようって思うと怖くて。だから、それならこのまま2人で安定した生活を優先させるべきだって思ったの」

「それってさ、本当に美桜ちゃんのため?」

「え…?」

沙耶香は思わず由梨の顔を見た。

「結局、沙耶香が失敗して傷つくのが怖いだけに聞こえる。もちろん子どものことを思うのはわかるけれど、でも、美桜ちゃんも懐いているんでしょう?失敗するかどうかなんて、誰にもわからないじゃない」

考え込むように、沙耶香は頷く。

「シングルマザーだからって、幸せになっちゃいけないなんて、絶対ないと思う。

もちろん付き合うことや再婚だけが幸せじゃないけど。好きで、相手も子どもを大事にしてくれそうな人なら、前に進むべきだよ」

「そう、かな…」

「そうだよ、羨ましいくらい。私なんて…」

そう言って、由梨はアイスティーを喉に流し入れた。




「うちの子…和樹なんて、全然相手に懐いてくれなくて。

付き合うまでは、普通に一緒に遊んだりしていたのに、付き合った途端拗ねちゃって…」

「そうなんだ…。お母さんを取られちゃう、って思ったのかな?男の子と女の子だと、反応が違うのかもね」

先ほどまで活気のあった由梨は、急に肩を落として言った。

「まだ付き合ってそんなに経ってないから、向こうも和樹の機嫌を取ろうと頑張ってくれてるけど、そんな2人を見てると私も辛くてさ。

和樹にも彼にもひどいことをしてるんじゃないかって」

由梨はひどいことなどしていない、ただ人を好きになっただけ。

そう言いかけて、沙耶香は口をつぐんだ。


自分だって、ただ人を好きになっただけ。

相手も自分と子どものことを大事にしてくれている。

それなのに逃げようとしていたのは、由梨の言うとおりただの自分勝手で、陽平や美桜の気持ちをきちんと考えられていなかった。

「私さ、美桜ときちんと話してみる。だから由梨も和樹くんと話してみたら?案外子どもが本当はどう思っているかなんて、親にはわからないものなのかも」

そうだね、と由梨は疲れた顔を隠して優しく笑った。

由梨と子どもたちを迎えに行った後、別々に帰路につく中で、沙耶香は美桜に聞いてみる。




「あのさ、美桜は、陽平のこと好き?」

「うん。ようへーはいっぱい遊んでくれるし、楽しいから好き」

そっか、と微笑む沙耶香に、美桜がそれにね、と続ける。

「ようへーと一緒にいる時のお母さん、嬉しそうだから。だから好き」

子どもは親のことをよく見ているな、と感服する。美桜の優しさが伝わってきた。

「もしも、陽平ともっと会えるようになったら、美桜は嬉しい?たとえば、浩太くんはいないけど、陽平と3人とか」

「うん、嬉しい!この間家に来てくれたの、嬉しかったもん」

「でもね、離れて会えなくなってしまうことも、あるかもしれない」

美桜は純粋な瞳を向け、どうして?と尋ねる。

「例えばお仕事で遠くに行かないといけなくなったりとか」

少し濁しながら言うと、美桜は「うーん」と考えた。そしてニコリと笑顔を向ける。

「大丈夫よ。お母さんもいるし、じーじとばーばもいるし。お父さんもたまにいるしね」

その言い方が妙に大人ぶった感じがして、沙耶香は微笑み、そして反省した。

自分が勝手に先回りして結論を出していたけれど、美桜は美桜なりに考えているのだ。

由梨が言ったように、どこかで沙耶香も思い込んでいた。

シングルマザーが幸せを求めていいのか、と。

― 少しだけ、前に踏み出してみようかな。

由梨や美桜の言葉に勇気をもらった沙耶香は、そんなふうに考え始めた。



それから10日ほどが経った頃。

仕事で外出先から戻る途中、あることを思い出した。

― この辺り、陽平のオフィスがあるって言ってたっけ…?

沙耶香も陽平も同じ渋谷にオフィスがあると知り驚いたが、両社は駅から真逆の方向にあったため、これまで近くを訪れることなどなかった。

― ちょうど昼休憩だし、ランチでも誘ってみようかな…。

告白された日から会っていなかった沙耶香は、期待と緊張を抱えながら、陽平のオフィスを目指して歩く。

その時、陽平がちょうどオフィスのあるビルから出てくるのが見えた。

「あ、陽平…」

右手をあげ、呼ぼうとしたところで、陽平が誰かと待ち合わせをしているのか、道の反対側へと小走りで駆け寄っていく。

その先にいたのは、晶子だった。




心臓がチクリと痛む。

平日の昼間、ランチを一緒にするほどの仲なのか、と。

その時、晶子と目が合った気がした。

沙耶香は慌てて目を逸らし、顔を伏せる。しかしどうしても気になり、もう一度ゆっくり目線を戻すと、晶子の口元がこちらに向かって微笑んでいた。

そして急に陽平の腕を掴んで寄り添うと、そのまま歩いて行ってしまった。

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▶1話目はこちら:ママが再婚するなら早いうち!子どもが大きくなってからでは遅いワケ

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晶子は沙耶香に挑発的な態度を取り、陽平との仲を割こうと必死になって…